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人生万時塞翁が馬−5

人生とは、苦しみの連続

人間の一生とは、本来は苦しみの連続のように思える。

憲法が国民の基本的人権を保障してくれたとしても、個人の心の悩みや生老病死の問題まで面倒を見てくれるわけではない。

かつて評論家の小林秀雄さんが「人間というのは、おぎゃあと生まれた瞬間から死に向かって一歩一歩歩いている旅人のようなものである」と言われていたことがあるが、確かにそのとおりである。

行き着く先は見えているにも関わらず、我々はそれにさほど絶望することなく生きていく。

そのことだけ考えると生きているというだけでも、どれほど大切なことを人間は、やり遂げているかと考えざるを得ない。

人間は、誰しも死と隣合わせに生きている。

自殺という特別に異常なことでなく、誰でも手を伸ばせばすぐ届くところにある世界なのではないだろうか。

ひょいと気軽に道路の白線を跨ぐように、日常生活を投げ出すこともあり得ないことではない。

「ああ、もう何もかも嫌になった」と死に向かって歩みだすこともあるだろう。

そういう意味では、我々は何時もすれすれのところできわどいどころで生きているといえるのではないだろうか。

事実として日本の年間の自殺者数、約2万人とG7諸国の中では最悪だそうである。

そう考えてみるとこの「生きている」ということもまた、なかなか大変なことなのである。

老いを意識する年齢になるとなおさらである。

しかし、若い時期にも悩むことは、多い。

中学生や高校生或いは小学生やもっと幼い子供さえも「生きていく」ことの悩みや苦しみがあるのであろう。

大学を卒業して就職した後も、また、結婚して子供を持つようなってもからもそうである。

人は誰しも日々の暮らしの中で立ち往生してしまってさてこれからどうしようと溜息をつく場面にしはしば出会う。

物事をすべてプラス思考に、さっと切り替えられる人ならいいだろうが、現実にはなかなかそうはいかない。

これにまた、大切な人の喪失等といった重大な現実にも遭遇し、これをどのように超えていくのかという普遍的な課題を我々は、突き付けられるのである。


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