時間は資産と言うけれど
時間は資産だと、声高に叫ぶ人を時折見かけます。
残りの人生の時間を、算出して、
そこから睡眠時間やらなんやらを削って、
あなたに残された時間はこれくらいで、あなたの1分1秒はいくらいくらの価値があるのだから、有効に使いなさい、と。
あなたの周りにもいませんか?
もしくは、あなたがそう叫んでいるかもしれません。
でも、これと似た話を僕はどこかで読んだことがあるんです。
きっと、ピンときた人もいるんじゃないでしょうか。
そう、児童小説の名作「モモ」
時間どろぼうに盗まれてしまったみんなの時間を取り返してくれた少女の物語です。
今日は、モモの文章を引用しつつ、
「あなたの『心』は『時間』を感じとれていますか?」
という話をしてみます。
今日のまとめを先に
✅残りの時間を数えてはいけない
✅心が時間を感じとれなくなったら、その時間はないも同じ
心で時間を感じとる
僕もね、最近思うんです。
ここのところ、やけに時が経つの早くない!?って。
それが、精一杯生きているからなのか、はたまた、単に歳を取っただけなのかはわかりません。
あっという間に一日が、ひと月が、一年が終わっていきます。
とにかく、なぜか時間が足りない。
だからこそ、
時間は大切だと、僕も心から思います。
だけどね、
残りの人生の時間を計算するのは違うなぁ、と思うんです。
だって、そういう計算をする人たちが言っている時間って、
あくまで標準世界時が刻む1分1秒ですよね?
あなたのスマホが教えてくれるその1分1秒は、
みんなが等しく認識できるものとして、定められただけの時間です。
時間ってそんな単純なものでしたっけ?
「モモ」という児童小説にはこんな文があります。
時間とはすなわち生活なのです。
そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
本当は、ひとりひとり違う時間を持っているのが当たり前なのではないでしょうか。
今だって、農業を営む人と、漁業を営む人と、都会のサラリーマンと、みんなそれぞれの生活があるじゃないですか。ということは、そこにそれぞれの時間があるはずです。
それなのに、均一化された時間を数えるって、
何か意味あるんでしょうか?
そして、モモにはこんなセリフもあります。
時計というのはね、
人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、
きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。
光を見るためには目があり、
音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には時間を感じとるために
心というものがある。
そして、
もしもその心が時間を感じとらないようなときには、
その時間はないも同じだ。
これは僕がこの物語の中で最も心を打たれたセリフです。
「心」は「時間」を感じとるためのもの。
僕の心は、ちゃんと時間を感じとれているのだろうか。
そう自分に問いたくなるセリフだと思いませんか?
「モモ」はあらゆる現代人に今一度、
時間とはなにかを問いかけてくれる素晴らしい物語です。
読んだことのない人はぜひ読んでみてください。
児童小説と、侮ることなかれ。
ということで、今日の話はおしまい。
時間を数えることなく、
日々、自分の時間を心で感じとりながら、
精一杯に生きていきたいものですね。
引用:「モモ」岩波書店
ミヒャエル・エンデ作 / 大島かおり訳
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