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『モンテ・クリスト伯』-その5 悪党3人の末路やいかに?壮大な人間愛と自由な世界の大切さを知る-

(Spoiler Alert!ネタバレ注意!)

みなさん、こんにちは!

今回の記事で、『モンテ・クリスト伯』のご紹介は、終わりにしたいと思います。

また、お知らせですが、やっと今回の記事で、数年前にアメブロに書いていた記事をこちらのnoteに移行する作業が終わりました。

今後も、以下の記事を予定していますが、何分今忙しいので、1週間程お休みをいただいてから、記事を再開したいと思っています。

・ベルばら関連の映画(今ちょうど観ている最中です)のご紹介&感想
・アレクサンドル・デュマの『王妃の首飾り』の感想と考察(まだ読めてない💦)

上記の執筆が終われば、いよいよ『ベルサイユのばら』の感想や考察の記事を書いていこうと思っていますが、いちから文章を組み立てて記事を書いていく(記事の移行作業とかではないので💦)ので、しばらくお時間頂くことになるかもしれません。

でも、物書きは、なんとか続けていこうと思っていますので、またよろしくお願いいたします!

では、『モンテ・クリスト伯』のエンディングをこれからみていきたいと思いますが、YouTubeでも舞台となった場所などを含め、お話ししていますので、あわせてご覧頂けると嬉しいです^^

モンテ・クリスト伯を、無実の罪で牢獄に14年間も追いやった3人は、最後にどうなったかというと・・・

①フェルナンは、自分の戦地時代の裏切りがばれて、妻と息子が家出し、最後に自殺する。

②国外に逃亡したダングラールは、山賊に襲われて拉致され、無一文になる。

③ヴィルフォールは、自分の妻が、先妻の子や身近な人間を毒殺していたことに気づき、妻に自殺をするようほのめかす。

そして、ヴィルフォールが家に帰ってくると、彼の望み通り、妻は死んでいたが、息子も道連れにしており、その状況をみたヴィルフォールは、発狂してしまう。

何年もかけて練った復讐計画がすべて成功したモンテ・クリスト伯だが、ヴィルフォールの息子が死んだとき、その復讐心がぐらつき始める。

本当に復讐をして良かったのかと、自問自答するように・・・。

このあたりのモンテ・クリスト伯の心の揺れは、人間としてどうなのか?と自分自身へ問いかけている場面でもあり、彼の苦しみや迷いが痛いほど伝わってくるシーンです。

この3人の復讐が終わった後、彼はもう一度生まれ故郷であるマルセイユへ戻ります。

そこで、フェルナンと結婚していた(昔のモンテ・クリスト伯の婚約者だった)メルセデスと会うシーンがあるのですが、もうそれは切ない・・。

生きて二度と彼女に会うことはないと思いながら、彼女のもとを去るモンテ・クリスト伯の描写が切なすぎます。

そして、14年間入れられていた牢獄シャトー・ディフを訪れます。

この時はもう政治犯の収容所ではなくなっていて、自由に見学できる場所になっており、モンテ・クリスト伯も、ただ興味があって訪れた人の一人のようなふりをして、自分が入れられていた独房や、あのファリア司祭の部屋を訪ねます。

そこにはまだ、脱獄に使おうとしていた抜け道跡が残っていたり、ファリア司祭が息を引き取ったベッドもそのままになっていたんです。

このシーンもすごく切ないです。

彼は、そのベッドにひざまずき、「わが第2の父よ」と言うシーンがあるのですが、やはりファリア司祭がいなければ、現在のモンテ・クリスト伯は存在し得なかったと改めて思わせる場面です。

彼が、富と知識をモンテ・クリスト伯に授けたんですから。

私は、この話を幼いころから読んで知っていますが、今も変わらない感想は、反論できない&権利を行使できない世の中には住めないということ。

いかに自由で開かれた世界が大事かということです。

こうやって私が自由に自分の記事を書くことが出来るのも、そういう社会に私が存在しているからで、自由なSNSの発信が出来ない国や社会もありますからね。

先述したように、最後にモンテ・クリスト伯は、自分の復讐がこれで良かったのか、良心を痛める場面がありますが、私だったら、痛まないでしょう。

だって、自分を20~34歳まで牢獄に入れた人物達ですよ。

私なら絶対許しませんね。

モンテ・クリスト伯の物語は、復讐劇ではありますが、物語の主軸は人間愛だと思っています。

メルセデスの愛、ダンテスの父の愛、ファリア司祭の愛、そしてエドモン・ダンテス(モンテ・クリスト伯)の愛など、沢山の愛が描かれています。

モンテ・クリスト伯の時代も今も、人を思う気持ちは変わらないんだなと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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