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#小説
それはそうと、君はまだ童貞かい?
初対面でいきなり、「君は童貞かい?」はないだろう。
失礼だし、不穏だ。
迫られた側は、瞬時に勘ぐり、無駄に身構えてしまう。
はじめて話を交わす相手には、気をつかうのが礼儀だ。
脅威をあたえてはならない。
相手の私生活には深く踏み入らないのがエチケットであり、
政治・信条に関する内容は御法度、
セクシャルな言動も論外である。
そんな論外を、三島は当然のように『金閣寺』で描きだす。
以下に引用す
"くるぶし"まで8cmの金閣寺
三島由紀夫の『金閣寺』をはじめて読んだのは高校3年。
感銘をうけた。語彙が豊穣で、文章も流麗。これはすごい作家だと思った。
が、その感銘はすぐに萎えた。神保町の古書店で、三島の写真集を見てしまったからだ。たとえば、こんな写真。
以来、三島の作品を読もうとすると、この裸体が頭をよぎり、どうしても、素直な気持ちで作品を堪能できなくなってしまった。
美文を読んで唸らされる。うんうんと咀嚼しようとす
総計44回の「そうして」「それから」
全部で44回。
太宰治の『トカトントン』に出てくる「そうして」と「それから」の合計数だ。ぼくも暇だ。いちいち数えた。
しつこいようだが、この記事でも『トカトントン』についてとりあげる。
(前回の記事は下記リンク)
『トカトントン』は決して長い小説ではない。
文庫本のページにしてわずか21ページの短編だ。
そんな短い文章のなかで、「そうして」が34回、「それから」が10回も出てくる。やや異常だ
「。」まで337文字のトカトントン
まず、話の便宜上、太宰治『トカトントン』の一部を引用する。
すこし長いが、ご勘弁を。
何の疑うところもなく堂々と所信を述べ、わが言に従えば必ずや汝自身ならびに汝の家庭、汝の村、汝の国、否全世界が救われるであろうと、大見得を切って、救われないのは汝らがわが言に従わないからだとうそぶき、そうして一人のおいらんに、振られて振られて振られとおして、やけになって公娼廃止を叫び、憤然として美男の同志を殴り、