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それはそうと、君はまだ童貞かい?

初対面でいきなり、「君は童貞かい?」はないだろう。
失礼だし、不穏だ。
迫られた側は、瞬時に勘ぐり、無駄に身構えてしまう。

はじめて話を交わす相手には、気をつかうのが礼儀だ。
脅威をあたえてはならない。
相手の私生活には深く踏み入らないのがエチケットであり、
政治・信条に関する内容は御法度、
セクシャルな言動も論外である

そんな論外を、三島は当然のように『金閣寺』で描きだす

以下に引用するのは、主人公である溝口が大谷大学に進学し、同級の柏木とはじめて会話をする場面である。
溝口は吃音、柏木は内翻足。どちらも不具者だ。
溝口は吃りながら柏木に声をかける。すると柏木はぶっきらぼうに答える。

「君が俺に何故話しかけてくるか、ちゃんとわかっているんだぞ。溝口って言ったな、君。片輪同士で友だちになろうっていうのもいいが、君は俺に比べて自分の吃りを、そんなに大事だと思っているのか。君は自分を大事にしすぎている。だから自分と一緒に、自分の吃りも大事にしすぎているんじゃないか」
【『金閣寺』 三島由紀夫 新潮文庫 p118】

とっつきにくさMAXだ。
はじめて声をかけて、こんな返事をされたらたまらない。
溝口はたじろぐ。

しかし、これはまだ序の口である。
問題は次からだ。
二の句が継げずにいる溝口に、柏木はさらに畳みかける。

「君は、やっと安心して吃れる相手にぶつかったんだ。そうだろ? 人間はみんなそうやって相棒を探すもんさ。それはそうと、君はまだ童貞かい?
【『金閣寺』 三島由紀夫 新潮文庫 p119】

いきなり、である。
初手から王手の狼藉。
「それはそうと、君はまだ童貞かい?」

三島 童貞

こんな三島の姿が眼に浮かぶ。
じつに鬱陶しい。

はじめての会話で、童貞かどうか相手に迫るのは、マナー違反だ。
男同士だからいいだろ、というものではない。
とくに20歳前後の青年に対しては禁句、地雷を踏みかねない。
童貞というワードに敏感な年頃だ。

さて、あわれ溝口は面喰ってしまい、馬鹿正直に「うん」と頷いてしまう。
するとどうか。
柏木はますますつけあがる。

そうだろうな。君は童貞だ。ちっとも美しい童貞じゃない。女にももてず、商売女を買う勇気もない。それだけのことだ。しかし君が、童貞同士附合うつもりで俺と附合うなら、まちがってるぜ。俺がどうして童貞を脱却したか、話そうか?
【『金閣寺』 三島由紀夫 新潮文庫 p119】

ぼくが吹きだすのも当然だろう。
「ちっとも美しい童貞じゃない」とは何事か。

『金閣寺』は爆笑本だ。
以前の記事でも取りあげたが、公共交通機関乗車中には読まない方がいい。
なにを笑っているのだと、白い眼で見られかねない。

それはともかく、ひどい台詞だ。
親しい間柄でもこんなことを言われたら癇に障るだろう。
ましてや初対面の相手である。お話にならない。

人のことを「美しい童貞じゃない」などとさんざん罵って、
挙句の果てには、
「俺がどうして童貞を脱却したか、話そうか?」である。

余計なお世話だ。
聞きたくもない。

が、自慢したがり屋のご多分に漏れず、聞いてもいないのに、

柏木は私の返事も待たずに話しだした。
【『金閣寺』 三島由紀夫 新潮文庫 p119】

まったく品性下劣である。

初対面でいきなり童貞かどうかを問い、
お前は美しい童貞じゃないと罵倒し、
童貞脱却の自慢話を得々としてはじめる。

こんな奴が世の中にいて許されるのだろうか。
許されるわけがない。
小説だから許されるのだ。

小説は奥が深い。懐が深い。
それにしても、文豪の名作はめちゃくちゃだ。
読んでいてまったく気が抜けない。

それはそうと、君はまだ童貞かい?

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