見出し画像

毒親の父親が30年越しにはじめて私を助けた話

父が私の人生で初めて父親らしいことをした。
私の両親は毒親で自分達の為にしか生きてこなかった人達だったので、
私の人生約30年間の間で初めてのことだ。

私のために生活費として20万送ってくれた。
私から金額も、送ってとも言ってないのに。

母が父に電話した後、私が父に連絡を取るまえに振り込んでくれた。

いつもなら仕事のことを根掘り葉掘り訊かれたり独自の理論を私に押し付け、
父親として人として頭がおかしいことを沢山言った後、結局ケチで、どれだけ私がメンタル弱っていても、残酷な状況になっても、病気や怪我で悲惨な状況になっても、助けてくれなかったのに。それどころか私をもっと精神的に追い込ませて悲しくさせてくるのが父だったのに。

実際4年前、私がある会社で働いていて、過労と理不尽な職場のストレスで限界をむかえ、低音性感音突発難聴が再発した時だって、私が耳がきこえなくなるかもしれない、と言ったら「うちの職場のおばさんも、耳きこえない人いるからなぁ。」と言って、私はその職場のおばさんと同じなのかと思ったし、助けようとしてくれるどころか、父親として人として頭がおかしいことを言われ続けた。
ああ、もうこいつは本当に駄目だ。とその時に見切りをつけてから、今の29歳までとくにもう父親に頼ろうとすることも、期待することも一切なくなった。

私が生まれてから29歳の今までだって、養育費だってしっかり払わず、教育費だって払ってもらっていない。だから私は奨学金を今でも返済しているし、これは約36歳まで支払い続ける計算になっている。私は大学に受かって編入出来る切符があったけど、行かなかった。そこに金銭的理由はやはり大きくあった。既に奨学金を借りていたので。もし私が大学編入をしていたら、65歳くらいまで奨学金を返す計算になった。
ちなみに父親は私が26歳の時に新車でベンツのワゴン車を購入している。ちなみに遺産には期待できない。


ずっと家族や親戚なんかに頼らず生きてきた。

どんなに働くのが辛くても、病気になっても、誰も助てくれる人がいなかったから、自分で稼いでやってきた。
生きているといろんな手続きがあったり、障害にぶつかったり、これは一人ではなく絶対に誰かに頼るべきだし、知識や経験や財力、本来なら親が全て助けてくれるべきところを、幼い頃から全て自分で調べて行動してやってきた。どんなに辛くても全て自分でやらなきゃいけなかった。だって誰も助けてくれなかったから。

今回私は交通事故に遭って今体全身が痛い。でも、今月は扁桃炎になり喉が痛過ぎて声が出ず、腫れに腫れてご飯も食べれず入院一歩手前だったので、10日間ほど仕事をすでに休んでしまっていた。
だから、体全身が痛くても泣きながらクソって思いながら本当に世の中不公平だし、こんなに体が痛いのに仕事に行かなきゃいけないなんて、
人生もうやだって、もう生きるのつまらないし めんどうくさいなって思っていた。
保険に入っていなかったからなんのお金も入ってこない。
それは貧困が故と、それ故の情報に乏しかったから。

約30年間、そんな状況で私は生きてきた。
だけど今回20万が父より振り込まれていておどろいた。父親の 意思で、好意で、振り込まれたのがはじめてな気がした
父親にささえられるってこんな感じなんだなぁ とはじめてわかった。
皆んな小さい頃からこんな安心感の中で生きてたんだ ってわかった。
これで体痛いのに無理して働かなくてもすむって思えて楽になった

その後父親と電話したが、いつもと違って事故のことについては頼りになった。からだの負傷のことについても頼りになった。もっといつもみたいに何も知識なくて、また私が嫌な思いだけして終わると思ったのに。どうやら事故や怪我のことについては私の周りには男の人の方が詳しい人が多いみたい。車運転したりスポーツしたりする機会が多いからだろう。
事故後の対応については面倒臭いことも含め全て私が全て行なっていた。優秀な私なので交通事故に遭っても頼る人がいなかったのであらゆることを全て自分で調べて行なった。交渉も全て。からだが痛いので泣きながら全て自分でやった。ほんとうになきながらやった。父に丸投げできるほど父を過信していないので我ながら今回の対応は全て間違ってなかったと思う。

父のことばも、今まで聞いたことのないようなことを言っていた
世の中の普通のお父さんはきっとこれが普通なんだろうなってはじめて思った
こうやって感謝しておとなになっていくのが普通なんだろうなって思った

30年間私の気持ちも一切わからず、人としても父親としてもおかしかったので、やっぱり言っていることで頭のおかしいことは沢山あった。私も20万もらったからといってこの30年間の血の滲むような苦労と悲しみと、今でもずっと私を苦しめていることにかわりはないし、その事実は消えないのですぐに全面的に感謝とはならないし30年間分の重みを許したりしていない。
だけどもしこういう対応を30年後まで続けてくれるなら、そこから許すかどうか考える時かなと思う。30年はとても長い。私はとても長かった。もう何度も悲しい思いをさせられて全然助けてもらえなかった それが今の人生に続いている。

父は老後のことが心配になって私にそういう対応をしてきたのかとも思っている。いままでそういう仕打ちをして来たのだから、そう考えても不思議じゃないと思う。私だってたくさん愛情注がれて育ちたかったし、こんな考え持ちたくなかった。たとえそうだったとしても、私が59歳9ヶ月になるまで今回みたいな対応を続けるなら、考えてあげてもいいかなと思っている。
ほんとうに30年は長かった。

私が貧困で毒親家庭に生まれ育って、買って貰えなかったものが沢山ある。
でもそれは適年齢に買って貰うべきものたちだった。大人になってから集めようとしても、もう手に入らなかったり、適年齢に買うからこそ意味があって、教育や、人格形成にも関わってくるものだから。
今でも巨大なテディベアは欲しい。
それを言ったら、今度の誕生日プレゼントに買いに行こうか、と言われた。
私は近頃幼少期に買って貰えなかったものを集めるようにしていて、シルバニアファミリーや、たまごっち、おジャ魔女どれみのペペルトポロンやポップンポロンのガチャガチャなどを集めているところだった。
巨大なテディベアなんて普通に置き場所がない。だけど24歳の時の自分も欲しいと言っていたし、どこかで誰かに買い与えてもらわなきゃいけないと思っている。

詳しくは書かないが、急に今度の誕生日にテディベアを買いに行こう!というのも、3年程前に父が言っていた最悪なことと違い過ぎて、自分の老後の心配からくる言葉なのかなと思った。

とりあえず、この29年8ヶ月にして初めて毒親の父親の変化が見られた記事を書いた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?