見出し画像

エピソード#73 虹の橋を渡った叔父から学んだ事

叔父の命日である数年前の今日に書いた記事。
 
↓↓↓
 
生涯独身だった叔父。父のすぐ上のお兄さんで父とは双子のようだった。父がバイクに乗っていたのも大工になったのも お兄さんの影響。
 
叔父は 60歳になるちょっと前から 息苦しさとか咳が止まらないとか 肺疾患を疑う症状が出てきて いろんな病院に行ったけど 良くならず。当時 私が勤務していた都内の病院にも父と弟が連れてきてくれたけど、はっきりせず。。
そして、60歳過ぎで 大工の仕事も休みがちになり、母が心配して 自宅に行ったら 綺麗好きな叔父の家の中は ゴミ屋敷になっていた。
目も生きてる人の目ではなく、生きる希望を亡くした、私たちの知っている叔父ではなかった。
この時から認知症の症状が出始めていた。
 
私の両親、叔母夫婦(父と叔父のお姉さん)、弟が いろいろ動いてくれて、叔父の部屋を片付けたり、市役所に介護認定などの相談に行ったり、もう一度 叔父と一緒に病院に行ったりとしてくれた。
 
そして わかったのは 脊柱管狭窄症。
これで、なかなか身体が動けなくなっていたようだった。
 
私も 実家に帰った時に叔父の家に連れていってもらい、様子を見に行ったり、親族が集まる場などでは 叔父と腕を組み、叔父の歩くペースに合わせてゆっくり歩いた。
昔、幼稚園位の時に 叔父にドラえもんの映画に連れていってもらった時は 叔父に手をひいてもらってたのに この時の叔父は 背中も曲がり背も小さくなっていたのを思い出す。
 
叔父はケアマネージャーさんや デイサービスやショートステイの方々、訪問介護のヘルパーさんなどにお世話になった。
デイサービスなどでは ご利用者様のほとんどが80歳過ぎだから 60歳過ぎの叔父は皆さんからしたら息子位の年で 可愛がられていたという。
 
真冬の寒い深夜、警察から父の家に電話。
叔父がランニングシャツにステテコを履いて街を徘徊していたという。
警察が保護し、家族を聞かれ、叔父は父の名前と電話番号を言ったという。
叔父が徘徊していた理由は、「○○さんに会いにいくため」。その○○さんは 少し前に お空の向こうに帰っていたため この世には すでにいなかった。
あのまま徘徊していても ○○さんにも会えていなかったし、自分の家もわからなくなって帰れなかっただろう。
でも 徘徊していたのには、「○○さんに会いにいく」という理由があった。
私は認知症の方に関わる時に この時の叔父の行動を思い出す。行動には意味がある、、と思って 観察し関わっていくと 見えてくるものがある。
 
この時から5ヶ月後の7月8日に叔父は虹の橋を渡った。
 
私はこの日は 熱海で伊豆おはなの仕事で 通院送迎をしていた。
利用者様が フラフラと歩いていたのが見えたので、慌てて車から降りてドアを閉めた時に ズボンのポケットからスマフォが落ち、スマフォがドアに挟まって液晶画面が見事に割れた。
でも、スマフォがドアに挟まっていなかったら、慌てていた私は自分の手を挟んでいたかもしれなかった。
夕方ギリギリで 携帯ショップにスマフォを持っていき、代替機に電源を入れた途端に 母から電話。
 
叔父が虹の橋を渡ったことを知った。
 
スマフォがドアに挟まっていなかったら 自分が怪我をしていたかもしれない。
叔父が守ってくれたのかな、、と思った。
 
今朝は 雲の隙間から綺麗な水色の空が見えた。叔父さん、水色の空の上にいるのかな

#熱海 #夫婦   #移住 #起業   #伊豆おはな #介護タクシー #熱海市消防本部認定第一号患者等搬送事業者 #階段介助   #訪問介護   #介護保険 #自費対応 #社長 #介護福祉士 #看護師在籍 #介護ナース #ナースドライバー #通院 #入院 #退院 #転院 #観光 #外出 #三世代観光 #連携 #心のバリアフリーを広げたい #夢を叶えるお手伝い #一緒にお出かけしましょう #介護タクシーの魅力を伝えたい #看護介護の魅力を伝えたい #ユニバーサルツーリズム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?