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【コーチの私がコーチングを受けたら】トラウマを火葬場で骨にした今日

どんな言葉でこのnoteを書き始めようか。そんなことを考える余裕もないほどに、いまの私は興奮しています。

THE COACH Academyというコーチングスクールで学び始めて半年。今月からプロコースが始まりました。


▼入会した時の記事はこちら


THE COACHでの学びは、私の人間的な部分を成長させてくれています。特にいまのプロコースは、コーチの器を育むことがテーマのひとつです。

今日も私のひろがりを実感したので、書き残しておきたいと思います。


じわじわ出てきたトラウマの記憶


年末頃から、私は自分のなかにあるトラウマが出ようとしていることを感じていました。どれはどんなトラウマかというと、クライアントからのセクハラです。


▼セクハラについて書いた記事
※重めです。閲覧ご判断ください。


この時の感情は味わいきったと思っていたけど、どうもそうではなかったんだなあ。そう思いながらもまだ向き合いたくない気がして、そっとしていました。

でも最近、もうこれは向き合いたいのだと気づいてしまいました。


いま受講しているTHE COACHのプロコースでは、2週間に1回の頻度で受講生同士のセッションがあります。

このセッションで向き合うか、いや、向き合わないか。今日がセッションの日だったので、ギリギリまで悩みました。

話すか、話さないか。話すなら、どう話すか。午前中に語学学校の授業を受けつつ考えて、15分前まで時間が迫っても結論が出ない。

もうあとは、セッションを受けるときの私に任せよう。そう思って、セッションに臨みました。


セッションで気づいたこと。未完了はあと2つある


未完了という言葉は、私が最近アンテナの立っている言葉です。

未完了とは例えば何かの予定やタスクだけではなく、感情にもあります。

過去の感情を完了せずに持っていると、どこかでひょこっと出てきては邪魔をしてしまう。そんな存在です。


▼未完了に興味のある方はこちらをご覧ください


セクハラによるトラウマは、私の大きな未完了でした。

でも当時の私は、苦しいほどに辛い感情と向き合っていました。それなのに、また出てくるのはなんでなんだろう。

そう思いながらセッションに臨んだら、未完了はまだ残り2つあったとわかりました。

※補足※
ここから書くことは、あくまで私の未完了の話です。誰かを責めたい訳ではありません。
また、このテーマに苦しみを感じる方は離れることを選択してください。


未完了①上司への思い


当時の上司の対応は、完全なるセカンドレイプでした。

上司が無意識に取っていた行動も、あるいはもしかしたら別のどこかから出た指示なのかと感じる判断も、明らかなセカンドレイプで私を苦しめました。

だけどそのことを、私は少し離れた視点で見ていたようです。


これ以上傷つきたくない。セクハラの事実だけで十分に傷ついているのだから、これ以上は苦しみたくない。

そう思ってバリアをして、感情を味わわないままでいました。

ちょうど時を同じくして私は東京への異動が決まり、コロナがやってきて残り期間の出社が不可に。

誰にもセカンドレイプの発散ができないまま、コロナによる命の心配のほうが上回ったままに、この思いは隅に置かれました。

そのまま出てくるタイミングを失ってしまって、今日まで過ごしてしまったのでした。


未完了②同僚への思い


セッションで上司への未完了な思いを完了させた後、まだ何かがあると感じた私。見えたのは、とある同僚の顔でした。

その同僚たちは、当時親身に話を聞いてくれて、私が心底頼りにしていた同僚です。それなのに、なぜこの同僚の顔が浮かぶのだろう。

何が完了していないのか、まったく検討がつかないままに、でもいま私には同僚の顔が見えますとコーチに話していました。


話してみたら、私はこの同僚たちに味方になってほしかった、後ろから応援してほしいと思っていたのだと気づきました。

味方になってほしいとはどういうことか。同僚は、味方ではなかったのか。実際本人たちがどう思っていたかはわからないけど、邪魔をしていたのは私だったようです。


ひとつは、上司からかけられた言葉。「セクハラをしたクライアントに、120%非があると言えるのか」という言葉が私のなかで響いて、同僚を信じさせないようにしていました。

もうひとつは、同僚からの言葉。「大変だったね」という言葉に他人事な雰囲気を勝手に感じ、分かり合えないと判断したようでした。


完了していたこと:セクハラ自体への思い


「未完了はあと2つあった」と、先ほど見出しに書きました。

これはどういうことかというと、完了していたものもあったということです。


トラウマを噛み砕いている時、私のなかに加害者であるクライアントへの願いが何もないことに気づきました。

もちろん、セクハラそのものがなければ一番良かった。

だけど、あってしまったいま、私がクライアントに「こうあってほしい」と願うものはなかったのです。

最初はなぜなのかわからなかったけど、話し進めるとこの感情は完了していたからだと気づきました。


セクハラがあってすぐ、私は有給を取って実家に帰りました。

家族にはいつも強がってしまって本音を言えない私だけど、この時は自然と感情が溢れて話をしました。

母と弟に、スシローで肩を震わせて泣きながら話したこと。母がかけてくれた優しい声。

言葉は思い出せないけど、この風景と声は、私の目と耳に残っています。


トラウマを火葬場で骨にした今日


セッションを経て、トラウマが全てきれいになくなったわけではありません。でも、あと数日したらなくなってくれそうな気がします。

そんなことを、コーチに話しました。

そこでコーチがかけてくれたのが、「成仏」という言葉。

この言葉がピンときて、もう少し対話をしてみた結果、私はいま火葬場にいるとわかりました。


このトラウマを、私は火葬場で焼いて骨にしました。

あとは家に持ち帰って、クタクタになった状態で田舎寿司を食べたら終わり。弔う者として、私ができるのはここまで。

あとは自然に成仏してもらうのを待つ期間です。

死者は数日間は家にいて、日数が経てば去っていくと聞きます。今日からはこの期間に入っていくのだなと思います。


おじいちゃんが亡くなった時の、おばあちゃんの家を思い出します。そこには確実に、まだおじいちゃんがいました。

こんなふうに、弔えるといいのかしら。


2年近く一緒にいたこの記憶が、無事に成仏してくれますように。必要に感じれば涙を流しながら、静かに見守ろうと思います。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️