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コーチの私がコーチングを受けたら、言語と愛との関係を知った

月1で受けているコーチングセッション、今回は言語と愛のお話です。

……と、今日もまた結果的にはそうなったのですが、始まりの時点ではそんなことになるとはまったく思っていなかったから面白いです。

最近の私は満たされていて、正直これといった悩みがないのです。あればそれを持ち込むのだけれど、ないから何を話そうかと思っていました。

でも、そんな時こそ、話せることがあると気づいたのが今日です。余裕がある時は緊急ではない話ができるし、そんな話も私の人生には大事だよなと。

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重要だけど緊急ではない話


なんかこう、よくあるじゃないですか。物事は重要度と緊急度で優先順位をつけましょうとかいうやつ。

そのなかの緊急なものから私たちは手をつけがちで、だけど本当は緊急ではないけど重要なものの中に何かがあるとか言われます。

今日のコーチングセッションは、まさにそんなことを話す時間でした。


私にとって、重要だけど緊急ではない話。言語と恋愛についてのことです。私は最近ベルリンこちらで恋人ができて、心が満たされるのを感じています。

それで、思うことがあります。関係を作ることに、「完璧な言語」は必要がないのだなと。

たとえば日本に住んでいたら、周りが日本語ネイティブの人間で埋め尽くされることがあるじゃないですか。少なくとも、私の暮らしはそうでした。

だから、言語を使ううえで余地があるとしたら、どうやって心をこめるとか、丁寧に言葉を使うとか、時によっては皮肉を言うとか。

そんな次元のものだったのです、私にとっての「言語を使う」って。


でも、こちらで恋人ができて、どちらか一方にとってはネイティブではない言語でコミュニケーションをとるという体験を得て、認識が変わりました。

言語って、関係性を作ることにおいて、完璧じゃなくてもいいのだと。それよりも、関係を作ることに合意していることがよっぽど大事なのだと。

だから私、日本で恋人がいた時、うまく関係が作れなかったんだなって。

そりゃそうなのです。どんな関係を作っていく? とか、その意志はある? なんてこと、一度もお互いに確認をしなかったから。

でも、いまはそれを確認しながら、私たちは関係を作っていると思います。その手段として、言語を使っています。


どちらか以上がネイティブではないカップル


私はいまベルリンに住んでいて、市民学校内のドイツ語クラスに通っています。週に2回、1回あたり2時間の授業という形式の気軽なクラスです。

それで、ここに通い始めて知ったことがあります。ベルリここンには、どちらかがネイティブではない言葉で話している方たちがいるということです。

考えてみればこれは当たり前なことで、私たちだってそうです。私たちは日本語で話すけれど、私はネイティブ、彼はネイティブではありません。

だけどなんだか、そういう方たちが他にもたくさんいることに気づかなくて、やっと発見したという感じです。

なぜこれに気づいたかといえば、いま通っているドイツ語クラスで、そう自己紹介をする方が多かったからです。


結婚してベルリンに暮らしているけれど、パートナーとはドイツ語ではない言語で話している。パートナーとは互いに外国人で、ドイツ語を学ぶためにこのクラスに通っている。

クラスメイトのなかで、こう説明する方がたくさんいました。

そうかなるほど、ある言語を使っていても、「お互いがネイティブ」であるわけではないんだよな、と。

改めて発見をして、とても興味深く感じたトピックです。


言語と愛との関係


少し前、私はいまの恋人ではないほかの人に恋をしていました。

彼と私の共通言語はドイツ語と韓国語で、私は私にとっての外国語でコミュニケーションをとっていました。

この時の私は、どうすれば私の伝えたいことがちゃんと伝わるのだろうと考えていました。

韓国語は私にとって、ネイティブどころかまだようやっと使えるくらいの語学力だから、ちゃんと考えないと伝えられないのです。


それで、こういうことってすごく愛だよなって思いました。その時は自覚はなかったけれど、ドイツ語コースのクラスメイトの話を聞いて思いました。

韓国語を学び始めた頃の私は、「BTSの言葉を聞きたい」というのが動機でした。それも悪くはないけれど、これは一方通行のものです。

誰かに伝えたいし私も聞きたいという感情と、その関係性をもって初めて、言語は双方向のものになる。そんなことを、改めて発見した私です。

それで、これって愛だなと。ここでいう愛は、恋愛という類のものに限りません。だけど愛があるから伝えたいし、手段として言語を使うんだよなと。


初めて外国人の恋人ができて、たくさんの体験をしています。

正直私は、いままでの「お付き合い」という体験を経て恋愛というものを軽んじていた自覚があるから、反省をしながら体験をやり直しています。

言語って、根底には愛があったんだなと。愛を伝える手段が言語だったんだなと。言語って、私が思っていたよりも奥深くて、やっぱり面白いなと。


ドイツでもし大学に通うことがあるとしたら、私は仕事に直結する心理学を学ぶのだと思っていました。(ドイツは学費がかからないので、社会人で大学生になる方が多いです。)

だけどもしかしたら、言語学のようなものを学ぶのかもしれないとも思った今日です。

実は私は、小学1年生から英語を学んだ体験があります。結局いまでも、英語はしゃべれてはいないのですが。

だけど、思い返せば幼い頃から「言語(外国語)を学ぶ」という体験をしていたのでした。

だから、「言語と関係作り」ということに、こんなにも興味がわくのかもしれません。英語は実は、幼い頃の私のアイデンティティの1つでした。

私の人生において、また1つ興味深いテーマを見つけた気分です。


▼最後にお知らせ

コーチングセッションをドイツからZoomにて提供しています!

「aimiの言葉に共感する」「aimiという人物になんだか興味が湧く」と思ってくださる方、お力になれることがあるかもしれません。

セッションの詳細はこちらをご覧ください☺️


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