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症状

 「症状」という記事を見ました。

 どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。社員を自殺に追いやっておきながら、自分たちは何故にそこまでのうのうとしたことが出来てしまうのでしょうか。

 悔しい、哀しい、そのどの言葉でもありません。やるせなくなるし、自分なんていなくてもと思わされてしまう。本当はそんなことないのだろうし、そうであってほしい。

 いじめ、パワハラ、セクハラをはじめとする諸ハラスメントを肯定するわけではありませんが、人は実際に物事を実行している時には、視野がすごく狭くなり、行いが非道なものと自覚できないときが多々あるものです。ですが、時がったったり、冷や水を浴びせられるようなことがあったりした時にはしっかりと見つめなおす能力も持ち合わせている筈です。

 自分はどちら側の当事者でもありません。ただ、このことを知った以上は看過することはできません。そして、発信する媒体を持っていながら、それを使わないという選択をすることはできません。こういうことは、関係ある人が 内々で話し合い、部外者は口を出さない方がいいという意見もあります。確かに、遺族の方のケアや同僚の方々のことを思うならそれも有効な手の一つだと思います。ただ、自分に投射してみた時に誰かの役に立ちたい、自分みたいな、自分に周りの人みたいな人をこれ以上増やしたくはない。っと思うと思います。そう結論した時、これは何とかして、自分の出せる力で広めていく事象だと思います。そして、多くの人が考え、自分とこれまでの行動を顧みてこれからをよりよく過ごしていくために大事であり、大きな一歩になると思います。

 自殺すること、教科書にも問題のように扱われています。若年層の死因の一位は自殺であると。ですが同時に自己決定権も載っています。そこには、若い人はその後の人生に何か明るいことが起きるということを信じてほしいと書いてあること、教師が生徒に言うことが多いです。今、実際に若年者の身として思うことは、経験がない分見えるものもあるということ。悩み悩んだ結果として自殺した方を「もったいない」の一言で片付けてしまうのは、聊か安直な印象を受けます。一つの命が消えること、それはどんなに社会から見放されていると思う人でも、どこかの誰かに大きな影響を与えます。かくいう自分も、何度か自殺を夢見ました。ただ、自分の場合は、そういった影響を受けうる人のことを考えると「まだだ」という結論に至っただけです。ここには、本質的な差はありません。もし自分が消えた時、その代償的な言葉が「もったいない」だったら、誰が喜ぶでしょうか、だれが幸せになるでしょうか。

 実際に思いとどまってしまったわけですから実際のところも分かりませんし、見たことも、会ったことも”おそらく”ないと思います。ただ、街中で一瞬見たような人なら、自分がその人の人生の一瞬にも数えられな一瞬に存在していたならば、もう他人ごとではないはずです。そして、ただ一人、想像してみるしかありません。事実の分かる希望のない昏い想像です。

 どういう言葉がいいかは分かりません。ただ、考えて、考えて、明日からの行動を少しだけ変えてみることが、何よりも分かった事なきがします。

 こういう時、いつも名前をっ晒されるのは被害者です。加害者はプライバシーの保護の観点によって守られています。人を間接的に殺した人は、ぬくぬくとしています。ことが収まるのを、具体的には時間がたつのを待っています。文面で、会見で、薄っぺらい謝辞をニ三述べたらおしまいです。人の命はその程度ですか。貴方の、貴方の大切な人の命はその程度のものですか。はっきりと確かなことは「すみません」では済みません。誰が許すか。

 先程、広めるべきと言っておきながらですが、やはり行き過ぎはよくないと思います。ご家族へのインタビューや、これまでの経歴などそんなことは、一人一人の細かなことで、ひょっとすると、その人にしかあてはまりません。これは皆でこの社会全体で考えるべきことです。それを、細かく調べ上げることで自分と違うから大丈夫と、他人事と誤解してしまいます。対岸の火事ではありません。いうなれば隣人です。もっとも、自分のことを詮索され、物色されることに快感を覚える人はいないでしょう。ジャーナリストさんは気を付けていただきたいです。どうしても、面白く書きたいと思っているのだろうとネタを空費する方もいますので。

 個人的な意見ですが、エイリアンみたいなものです。自分の責任によって人だ死んだということをさも簡単に笑い話にできるとは。皮肉たっぷりに罵って、蔑んで、踏ん反り返って批判はするのに、賞賛はしない。出来て当然だと思っている。そういう姿が何となく想像できます。人のことも考えず、思いやりも愛もない方です。もしかすると、人の心は分かるのかもしれません。ただ分からないふりをし、逆手にとった行動を繰り返すのでしょう。

 そのような人のためにもう何か書く気にもなりませんし、構う気にもなれません。個人的なことを言うなら、今回加害者になった方にも愛し愛される方がいると承知で言います。「クズじゃないの」すごく空虚な気持ちになりました。

 最後になりますが、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、関係者の方々のお気持ちが少しでも前を向くよう、心からお祈り申し上げます。

                2022/6/23
                                                                   @aiiro

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