あい

中卒から成り上がりたい人生。 宗教にどっぷりの両親に育てられ、自分の力で這い上がりたい…

あい

中卒から成り上がりたい人生。 宗教にどっぷりの両親に育てられ、自分の力で這い上がりたい。 そんな思い出日々過ごしています。 某宗教団体二世。 二世ならではの観点、考え方を発信します。 ※宗教の自由は尊重していますし、宗教の否定をする訳ではありません。

最近の記事

弟のこと

また弟がやらかした。 精神薬を飲んで酒を飲み、車を盗んだらしい。 幸い怪我はなく、誰かに危害を加えることもなかった。 あれから弟は精神病院に入院したが10日ほどで退院。 退院させられたのではなく自分から病院を出た。 毎日馬車馬のように働いている私からは羨ましいほどのんびりとした生活だが 入院生活に耐えられなかったらしい。 人に何かを決められるのが極端に嫌なのは 宗教を強制されていたことに関するものなのかな。 病院を出て、父の家に転がり込み 毎日酒を飲んで死にたいと行っ

    • 抱えなくていい負債

      抱えなくていい負債のナンバーワン。 親。 普通の親ならそれは負債とは言わない。 母親と話す時間は私にとっては苦痛でしかない。 話がまったく通じないだけではなく 自分の育った環境や、自分がいかに子供を愛して育てたか、過去の話を引っ張り出して つらつらと語る。 今話したいのはそういう事じゃない。 弟のことを話したいんだよ。 弟の辛い気持ちを伝えたいんだよ。 なんであなたの話になるの? あなたは親ではないの? 親なら子供の気持ちを優先するべきではないの? 子供が辛い思いを

      • 宗教脱退後の両親1

        両親が弟の携帯電話のお金をどちらが払うのかでグループLINEで揉めている。 たった16,000の事で元夫婦はこんなにも歪みあえるものなのか。 父と母は離婚している。 私が21歳の時だ。 エホバの証人の世界にどっぷりと浸かり 本人たちはたっぷりの愛の中で子供を育ててきた。 第1子である私が排斥になり(禁錮を犯して脱退させられるというエホバの証人の中でも最も重い罪) それまでの夢みたいな生活は終わってしまった。 エホバの証人の中ではエリートだった父。 家族さえも組織に留めて

        • 病院へ

          弟が一昨日出所してから一睡もしていなかったらしい。 心配した父が病院に連れていき、17日に精神病院での入院が決まった。 一進一退のこの病気と、宗教二世だからこその苦悩。 そして未来。 私は未来を見て、というより前しか向けなかった。 後ろを振り返ると飲み込まれるから。 今でも意地でも振り返らないのは、思い出したくないから。 過去を振り返ってもいい事があった試しがないから。 弟はその逆でずっと過去に飲み込まれている。 ただし飲み込またくて飲み込まれてるのではないのだろうと最

        弟のこと

          手紙

          弟が拘置所からでてきたとき たくさんの手紙の束をだして言った 「時間がいっぱいあったから遺書を書いた」 私の知る限り遺書とは一通のはずだ。 弟が差し出した封筒は10をこえていた。 お父さん、お母さんへ お姉ちゃんへ 家族の名前が書かれているものや、離婚した奥さんと子供にあてたもの。 元カノにあてたものもあった。 両親へがいちばん多く何通も書かれていた。 「姉ちゃだけ読んでいいよ」 そう言われたから全部読んだ。 二世で育ったことへの葛藤、その苦悩と憤り、悲しみ。 全てがその手

          弟が拘置所からでてきた。 前も書いたことがあるがうちの弟は薬物中毒だ。 それが宗教の後遺症なのか、本人の弱さからくるのか。 それは弟にしかわからない。 ただひとつ言えることは私のことを一番近くで観て、生きてきたのは弟だということ。 小さい頃から宗教にどっぷりと使っていた家庭という密室の中で弟だけが私を見ていた。 同じ体験をしていた。 鬼のような形相になってムチをふるう両親の恐ろしさや、張り付いた笑顔の人たちで溢れるあの狂気じみた集まりを一緒に経験した。 遊びたい盛りの歳の時

          再開。

          インスタでもTwitterでも色んなことを書きたいなぁと思いながら 心の中を人に見せられない私は弱虫だ。 外から見られる自分を気にしてずっともがいている。 辛くて苦しい日は、誰かに気がついて欲しい。 気がついてくれない人に腹を立てる。 言わないと分からないのに、なんで気がついてくれないのかと腹を立てる。 周りの人達が優秀で惨めになる。 毎日頑張っていかないとそんな人達には追いつけないのに、もう歩きたくない。 頑張りたくないと心の中の小さな私が言う。 毎日好きなだけ眠って

          買い物依存症

          うちの弟は薬物中毒だが、私は買い物依存症だ。 原因はよく分からないがやはり結局最後に行き着くのは過去のことになるのかな・・ 何でこんなにものでしか大切なものが測れないんだろう。 愛してるの言葉よりも、何を買ってくれるのかで愛を測ってしまう自分はおかしいのだろうなと認識はしてる。 だって言葉なんて目には見えないもの。 どんな気持ちなのかなんて誰にもわからないもの。 目に見えるものはお金で、何かを解決するのもお金なんでしょ? お金があれば悩みの8割解決すると私は思ってる。

          買い物依存症

          弟のこと。

          前回の記事からもう2ヶ月がたっていた。 ビックリ。 この間にも私はたくさんの苦悩をした。 死にたいという気持ちにも何回もなった。 人って簡単に死ねないんだなぁ。 死ねたら楽なのになぁと毎日思いながら日々の仕事や、家事や育児をこなしている。 傍目から見たら幸せそう、生き生きしてる、キラキラしてると言われる私だけど、私の心の中を誰か覗いてみなよって毎日思ってる。 そうキラキラ見せてるんだけどね。 先日弟に3年ぶりぐらいに会った。 その前から弟の様子がなんだかおかしいと感じてい

          弟のこと。

          脱線して書き殴る

          インスタを見ていたら、幸せになるための○○選みたいなものをよく見かける。 幸せになりたいって思っているのはみんなそう。 でもその幸せの形には色んな形があると思う。 その多種多様な幸せを、幸せになるためのなんて簡単な言葉で括っていいんだろうか。 見かけたのはこんな感じ。 あくまでも私の持論を書きなぐるだけなので ご容赦ください。 今日は吐き出したい気分なのだ。 ①心からの笑顔 ②他人と自分を比べない ③自分を大切にする ④自分の好きなこと、嫌いなことを明確にする ⑤地道な努

          脱線して書き殴る

          母の幼少期

          すごく時間が経つのが早くてびっくりしている。 日々の生活や、仕事、色んなことに夢中になるのも悪くないなと思う最近。 今日は母の幼少期について少し話したい。 元々最初に宗教を始めたのは母だった。 なれない育児と、父との関係の悪さでほとほと生活に疲れ果てていた時、ドアを叩いたのが宗教の勧誘だったそうだ。 その時訪問してきた人に会ったこともあるが、母はこの人に救われたと何度も言っていた。 まぁ私たちはその人のせいで苦しみ続けることになるのだけど。 母は自分の母に5歳の時に捨てら

          母の幼少期

          私の決意

          小学三年生のとき。 私はバプテスマと言われるいわゆる洗礼を受けた。 プールの中に沈められ、上げられるというただそれだけの行為。 これをするには、かなりのハードルがある。 なんという本だったか、記憶は定かではないがその本を長老と言われる人たちと質疑応答で学んでいく。 その為の予習が不可欠で、聖書に書かれている聖句と言われるものに対して自分なりの答えをまとめ、長老に聞かれたことに関して答えていくのだ。 これがまぁ多い。 量が半端ない。 私がなぜバプテスマを受けようと思ったか

          私の決意

          弟の事

          前回の記事で、私の決意について書こうと思うと書いたがそれはまたにして…… 自分の中の気持ちの整理をつけるためにこの記事を書こうと思う。 私には弟がいる。 初めての記事で書いたが、薬物中毒で苦しんでいる。聞いた話だが、宗教家庭で育った二世にはなにかに依存する人が多いらしい。 これもずっと何かに縛られ、生きてきたという洗脳のもたらす産物なのか。 私の場合はハッキリ言ってお金だ。 恥ずかしい思いや、惨めな思いをしたからか【いい車に乗りたい】【大きな家に住みたい】 【羨ましがら

          弟の事

          先生、正気なの?

          前の記事で書いた国旗敬礼の話もそうなんだけど、覚えてないことって書くことで鮮明にその時の情景だったり、気持ちだったりが湧き出てくるんだなぁと確信。 日記ですら三日坊主で続かない私だが、こうやって半生を思い出してみたらほんとうにろくでもない。 なんでこの家に生まれてきたのか、普通の家に生まれたかったと何度も何度も思った。 正直今でもそう思う。 なにか上手くいかなかったりした時は、毎回普通の親に育てられていたらもっとまともな人生だったのかも。と思ってしまう自分がいる。 実はこの

          先生、正気なの?

          宗教の枠の外

          国家が歌えませんの記事にたくさんの方が訪問してくださり、とても嬉しい半面あのワードだけでわかる人にはわかるんだなぁと少しびっくりしている。 小学校に入ってすぐ、運動会の時第1の関門があった。 そう、国歌斉唱と校歌斉唱。 そして国旗敬礼だ。 この宗教では偶像崇拝を認めておらず、国歌、校歌を歌うこと。 国旗敬礼をすることを禁じていた。 1年生といえば6歳、7歳になる歳。 子供を育てた方にはわかると思うがまだ幼さの残る幼児に近い。 そんな子供に先生に「国歌、校歌が歌えません。な

          宗教の枠の外

          国歌は歌えません

          プロローグとして書いていた今までの記事とは少し変えて、ここからは具体的なあの頃を思い出してみようと思う。 あまり思い出したくもないが、自叙伝ってそんなものか。 いちばん古い記憶で言うとやはり小学校に入学してすぐのこと。 私はずっと幼稚園にも行かず、毎日奉仕活動に連れ回されていた。 母からしたら、子供を預けず自分の手で育てたいという気持ちがあったようだ。 もちろん宗教にどっぷりと漬け込んで。 小学校に入学した時、私には周りの子たちが輝いて見えたと同時にどうしていいかわか

          国歌は歌えません