あい

某宗教団体二世。 今話題の事件を受けて二世ならではの観点、考え方を発信します。 宗教の…

あい

某宗教団体二世。 今話題の事件を受けて二世ならではの観点、考え方を発信します。 宗教の自由は尊重していますし、宗教の否定をする訳ではありません。 ただ同じ苦しみを持っている方と少しでも交流出来たら嬉しいです。

最近の記事

買い物依存症

うちの弟は薬物中毒だが、私は買い物依存症だ。 原因はよく分からないがやはり結局最後に行き着くのは過去のことになるのかな・・ 何でこんなにものでしか大切なものが測れないんだろう。 愛してるの言葉よりも、何を買ってくれるのかで愛を測ってしまう自分はおかしいのだろうなと認識はしてる。 だって言葉なんて目には見えないもの。 どんな気持ちなのかなんて誰にもわからないもの。 目に見えるものはお金で、何かを解決するのもお金なんでしょ? お金があれば悩みの8割解決すると私は思ってる。

    • 弟のこと。

      前回の記事からもう2ヶ月がたっていた。 ビックリ。 この間にも私はたくさんの苦悩をした。 死にたいという気持ちにも何回もなった。 人って簡単に死ねないんだなぁ。 死ねたら楽なのになぁと毎日思いながら日々の仕事や、家事や育児をこなしている。 傍目から見たら幸せそう、生き生きしてる、キラキラしてると言われる私だけど、私の心の中を誰か覗いてみなよって毎日思ってる。 そうキラキラ見せてるんだけどね。 先日弟に3年ぶりぐらいに会った。 その前から弟の様子がなんだかおかしいと感じてい

      • 脱線して書き殴る

        インスタを見ていたら、幸せになるための○○選みたいなものをよく見かける。 幸せになりたいって思っているのはみんなそう。 でもその幸せの形には色んな形があると思う。 その多種多様な幸せを、幸せになるためのなんて簡単な言葉で括っていいんだろうか。 見かけたのはこんな感じ。 あくまでも私の持論を書きなぐるだけなので ご容赦ください。 今日は吐き出したい気分なのだ。 ①心からの笑顔 ②他人と自分を比べない ③自分を大切にする ④自分の好きなこと、嫌いなことを明確にする ⑤地道な努

        • 母の幼少期

          すごく時間が経つのが早くてびっくりしている。 日々の生活や、仕事、色んなことに夢中になるのも悪くないなと思う最近。 今日は母の幼少期について少し話したい。 元々最初に宗教を始めたのは母だった。 なれない育児と、父との関係の悪さでほとほと生活に疲れ果てていた時、ドアを叩いたのが宗教の勧誘だったそうだ。 その時訪問してきた人に会ったこともあるが、母はこの人に救われたと何度も言っていた。 まぁ私たちはその人のせいで苦しみ続けることになるのだけど。 母は自分の母に5歳の時に捨てら

        買い物依存症

          私の決意

          小学三年生のとき。 私はバプテスマと言われるいわゆる洗礼を受けた。 プールの中に沈められ、上げられるというただそれだけの行為。 これをするには、かなりのハードルがある。 なんという本だったか、記憶は定かではないがその本を長老と言われる人たちと質疑応答で学んでいく。 その為の予習が不可欠で、聖書に書かれている聖句と言われるものに対して自分なりの答えをまとめ、長老に聞かれたことに関して答えていくのだ。 これがまぁ多い。 量が半端ない。 私がなぜバプテスマを受けようと思ったか

          私の決意

          弟の事

          前回の記事で、私の決意について書こうと思うと書いたがそれはまたにして…… 自分の中の気持ちの整理をつけるためにこの記事を書こうと思う。 私には弟がいる。 初めての記事で書いたが、薬物中毒で苦しんでいる。聞いた話だが、宗教家庭で育った二世にはなにかに依存する人が多いらしい。 これもずっと何かに縛られ、生きてきたという洗脳のもたらす産物なのか。 私の場合はハッキリ言ってお金だ。 恥ずかしい思いや、惨めな思いをしたからか【いい車に乗りたい】【大きな家に住みたい】 【羨ましがら

          弟の事

          先生、正気なの?

          前の記事で書いた国旗敬礼の話もそうなんだけど、覚えてないことって書くことで鮮明にその時の情景だったり、気持ちだったりが湧き出てくるんだなぁと確信。 日記ですら三日坊主で続かない私だが、こうやって半生を思い出してみたらほんとうにろくでもない。 なんでこの家に生まれてきたのか、普通の家に生まれたかったと何度も何度も思った。 正直今でもそう思う。 なにか上手くいかなかったりした時は、毎回普通の親に育てられていたらもっとまともな人生だったのかも。と思ってしまう自分がいる。 実はこの

          先生、正気なの?

          宗教の枠の外

          国家が歌えませんの記事にたくさんの方が訪問してくださり、とても嬉しい半面あのワードだけでわかる人にはわかるんだなぁと少しびっくりしている。 小学校に入ってすぐ、運動会の時第1の関門があった。 そう、国歌斉唱と校歌斉唱。 そして国旗敬礼だ。 この宗教では偶像崇拝を認めておらず、国歌、校歌を歌うこと。 国旗敬礼をすることを禁じていた。 1年生といえば6歳、7歳になる歳。 子供を育てた方にはわかると思うがまだ幼さの残る幼児に近い。 そんな子供に先生に「国歌、校歌が歌えません。な

          宗教の枠の外

          国歌は歌えません

          プロローグとして書いていた今までの記事とは少し変えて、ここからは具体的なあの頃を思い出してみようと思う。 あまり思い出したくもないが、自叙伝ってそんなものか。 いちばん古い記憶で言うとやはり小学校に入学してすぐのこと。 私はずっと幼稚園にも行かず、毎日奉仕活動に連れ回されていた。 母からしたら、子供を預けず自分の手で育てたいという気持ちがあったようだ。 もちろん宗教にどっぷりと漬け込んで。 小学校に入学した時、私には周りの子たちが輝いて見えたと同時にどうしていいかわか

          国歌は歌えません

          善について。

          私のやっていた宗教は色んな宗教がある中でもかなりの洗脳力を持っている宗教だと思っている。他の宗教に詳しい訳では無いが、なぜそう思うのかというと【善】だからだ。 教えていること、やること、全てが【善】で出来ている。 奉仕活動、集会それらは全て自分のためではない。非信者(教団の中では世の人と呼ばれる)たちを救うためにやっている事だからだ。 自分たちが楽になりたい、幸せになりたいからするのではない。 これをするから幸せになれる、でもない。 より多くの人たちを救いたい。 という【善】

          善について。

          とある二世の苦悩

          前回、あるコメンテーターの事件を受けてとても苦しい思いをして初めてこんな事を書いてみようと思った訳だが… 世の中は無情にも回っていく。 もうあまり事件のことも報道されなくなってきた。 胸が苦しくなるからあまり見たくはないが、これをきっかけになにかしなくちゃ、なにができるだろうと考え始めた私にとっては風化されない事件だ。 物心ついた時から我が家は両親ともに熱心な信者だった。 カルト教団と言えばそうかもしれないが、その宗教の人達は優しく愛に溢れていた。 某教団のように暴力的な

          とある二世の苦悩

          事件を受けて。

          昼間にふとテレビを見ていたら、ワイドショーで山上容疑者の安倍元総理の事件をやっていた。 連日この事件は報道されていて、同じ(宗教は違えど)両親が宗教どっぷりの二世で育っている私には胸の苦しくなる事件だった。 ただ毎日聞き流していたが、あるコメンテーターの一言にとても胸をえぐられ、気持ちを綴ってみようという気になった。 私は宗教家庭で育ってきたことは20年来の親友と、旦那にしか話していない。 私の中でそれは【恥】だからだ。 毎日のように奉仕活動に連れ回されたこと、行きたく

          事件を受けて。