国歌は歌えません

プロローグとして書いていた今までの記事とは少し変えて、ここからは具体的なあの頃を思い出してみようと思う。

あまり思い出したくもないが、自叙伝ってそんなものか。

いちばん古い記憶で言うとやはり小学校に入学してすぐのこと。
私はずっと幼稚園にも行かず、毎日奉仕活動に連れ回されていた。
母からしたら、子供を預けず自分の手で育てたいという気持ちがあったようだ。

もちろん宗教にどっぷりと漬け込んで。

小学校に入学した時、私には周りの子たちが輝いて見えたと同時にどうしていいかわからなかった。
そりゃそうだ。
これまで宗教の中でのみ、生きてきてこんなに沢山の同世代の子たちと触れ合ったことがなかったのだから。
宗教の中で同世代の子たちはいたが、ひとつの目的の為に集った人たちの中で友達を作るのと、学校というカテゴリの中で同級生と友達になるのとでは大きな差があった。

周りをキョロキョロと見回し、隣の男の子に声をかけてみた。
なんと言って声をかけたかは全く覚えていないが酷く怪訝な顔をされたことは覚えている。

私は悪意に触れたことがなかった。
なぜなら宗教の箱の中ではみんなが可愛がってくれて、好意的な目で見てくれていたから。
宗教の枠の中に入っている人達はみんな仲間だから。
そこから1歩出てしまうと、そこは全くの違う世界だった。
だから私は酷く困惑した。
その子に笑いかけられなかったこと、好意的な目で見られなかったことにだ。

思えば私が一番最初に違和感を感じたのはこの時からかもしれない。
何かが違う、何かが変だ。
そんな違和感。

段々と雰囲気が掴めてきた。
みんな幼稚園や保育園で一緒に時を過ごしているからみんな友達なんだ。
「友達」その関係性は知らない。
私には「同じ宗教の仲間」はいても「友達」はいなかったから。
同じ宗教二世の同級生の子はいたが、「友達」ではない。
だから周りの子達から阻害されているのを感じた。
「あの子誰?」「どこの幼稚園?」
そんなヒソヒソ話す声が聞こえた。
あぁ、そうか。私は1人なんだ。
周りの子達は元々の仲良しさんたちと楽しむ中、私はずっと独りだった。
最初に話しかけた隣の席の子にも二度と話しかけたくなかった。
自分が異質な存在になっていることがわかった時、恥ずかしさと寂しさ、惨めさ。
よく分からない感情がたくさん入り交じってただただ悲しかった。
そこからどう溶け込んだのか、はたまた溶け込めてはいないけどそう見せていたのか。
その辺は曖昧。

ただ毎日小学校には通い、勉強をして少しづつ周りの子達とも話せるようになってはいったが、やはり違和感は拭えなかった。

「普通」では無いことの認識。
それを自分たちだけではなく、周りの人たちの接し方でも感じる。
小学一年生でそれに気がつくことがどれだけの心の傷になったか。

私は今もその傷は癒えていない。
そしてこれからも癒える事はないと思う。
少しづつ蓋をして、傷を見えないように取り繕ってもそれはジワジワと出血してくる。

話し始めたらキリがないが、タイトルにもある国家は歌えません。この一言でまた私の世界は一変する。
次はその辺も書いていこう。
独り言のような私の自叙伝。
誰にも話したことの無い胸の内や、傷を晒すことで何かが変わるのか、はたまたもっと傷が抉られるのか。
それは誰にも分からない。

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