先生、正気なの?

前の記事で書いた国旗敬礼の話もそうなんだけど、覚えてないことって書くことで鮮明にその時の情景だったり、気持ちだったりが湧き出てくるんだなぁと確信。
日記ですら三日坊主で続かない私だが、こうやって半生を思い出してみたらほんとうにろくでもない。
なんでこの家に生まれてきたのか、普通の家に生まれたかったと何度も何度も思った。
正直今でもそう思う。
なにか上手くいかなかったりした時は、毎回普通の親に育てられていたらもっとまともな人生だったのかも。と思ってしまう自分がいる。

実はこの1年間でそう思う出来事がおこって、その想いがいっそう強くなった。
【私みたいな欠陥人間が子供を産んで育ててはいけなかったんだ】という気持ちが止まらなかった。
この事についてはまた書ける時がきたら書きたい。

前述の先生の話。
その先生は眼鏡をかけていて1年生の担任の先生という雰囲気の柔らかい人だった。
何をしても声を荒らげたりもしないし贔屓や、差別もしない。
元々忘れっぽい性格の私はよく宿題を忘れたがそれでも怒られたことはあまり無かったような気がする。

国歌、校歌を歌えないこと、国旗敬礼が出来ない事を先生に話に行くときも先生は穏やかに机に座っていた。
1年生の子に学校行事が宗教のせいで出来ないことを担任の先生に言える子が何人いるだろう。

その日は朝から憂鬱で気分が悪かった。
動機は止まらないし、これからまた好奇の目に晒されることだって想像して消えてしまいたかった。
母は頑張ってね!といつもよりニコニコと送り出してきた。
証言と呼ばれる布教活動を、1年生の子が先生にする!
もうその事だけで、母の気持ちは高揚していたのだろう。

先生…と小さな声でテストの丸つけをしている担任の先生に声をかけた。
優しい笑顔でどうしましたか?という先生に【証言】をした。
なんと言ったかは覚えていないしずっと下を向いて、自分の上履きを見ながら顔が真っ赤になっていくのを感じた。

先生の顔を見たら少し驚いた顔はしていたThe、想像したような顔ではなく少し笑みすら浮かべているように見えた。
驚きながらわかったよ、と一言言ってくれたが何がわかるんだよと心の中で悪態をついた。

そして何年かたったあと、私はその先生と驚く場所で再会をする。
その宗教には【会衆】と呼ばれる地域ごとの区切りがあってその会衆の中にも【群れ】という更に地域ごとに別れた30人ほどの集団があった。
うちの父は【長老】と呼ばれるその会衆の中に3人しかいない代表のような役割を担っていた。
それは信者にとってみたら、すごい栄誉であり集会でみんなの前で話をする父を母は、誇らしげに見ていた。
歳も若くで長老になったので、長老達の中でもいわゆる出世頭のような存在だった。
天性の話術と明るい人柄で、子供の私から見てもみんなに頼りにされ、とても愛されていたように思う。

会衆は市内だけでも沢山あって、会衆事に毎週の3日間の集会と呼ばれる勉強会のようなものが開かれていた。
そして【大会】と呼ばれる大きな集まりがあって、何千人という人を集めておこなうイベントのようなものがあった。
前の日にはせっせとみんなで何百、何千というパイプ椅子を並べにいったっけ。

うろ覚えだが年に3回ほどあったその大会は普段合わない別の会衆の人たちと交わる信者たちにはとても楽しみにされていたイベントだった。
3日間ほど集まり、朝から夕方まで一日中据わって話を聞く。

うちの父はその大会で話をする機会を与えてもらっていた。
3000人ほど集まっていたように思うがその中でステージにあがり、講演をする父を子供ながらに少し誇らしく思ったほどだった。
こうなると父の名前は皆が知ることになり、私も父の娘と言うことで色んな人に声をかけられた。

講演をした人に感謝の言葉を述べに行くのが、セオリーのようになっていたので、有名人のような感覚。
大会の間の昼休憩の時は父を見つけては誰かが講演のお礼、感想を伝えに来る。
その度に嬉しそうにする母と、堂々とした態度で、なぜか人の上に立つ人間かのような父を見てまた少し違和感だった。

知らない人達が感謝を述べに来る中で、見覚えのある顔の人が近づいてきた。
そうなんとその担任だった先生だったのだ。
私は思わず2度見した。
なんで?なんでここにいるの?
疑心暗鬼が植え付けられていた私はなんでここに先生がいるのかを、悪い方向にばかり考えていた。
変な宗教にハマっている父と母を持つ私を見に来たのではないかと本気で怖かった。

父が先生と話している。
動悸が止まらない。
父が私を呼んだ。
恐る恐る下を向いて近づく。
先生の隣には奥さんもいた。

父が私に「〇ちゃんの証言がきっかけて、この宗教のことを知り、気になってみたので勉強を始められたそうだよ」と満面の笑みで私に語りかける。
本気か?正気なのか?

7歳にもならない子が何故あんなにきちんと信仰について話せたのかと驚いたらしい。
そんな時たまたま奉仕活動で、信者が各家を回る際に先生が対応したのが始まりだったとか。

そしてこの話は美談のように、その次の大会で4000人近くの人達に、父によって広められた。
信者たちは感動し、これぞ真理ともてはやした。

大人たちに褒められる度に嬉しい気持ちと、あの時見つめていた上履きの先が思い出される私にはそれは経験したことの無い矛盾という感情でしかなかった。

そこで私はあることを決意する。
その決意に関してはまた次の記事で書きたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?