母の幼少期

すごく時間が経つのが早くてびっくりしている。
日々の生活や、仕事、色んなことに夢中になるのも悪くないなと思う最近。

今日は母の幼少期について少し話したい。
元々最初に宗教を始めたのは母だった。
なれない育児と、父との関係の悪さでほとほと生活に疲れ果てていた時、ドアを叩いたのが宗教の勧誘だったそうだ。
その時訪問してきた人に会ったこともあるが、母はこの人に救われたと何度も言っていた。
まぁ私たちはその人のせいで苦しみ続けることになるのだけど。

母は自分の母に5歳の時に捨てられた。
捨てられたと言っても、祖母のところに預けられたそうだ。

母の母は所謂恋多き女で、スナックを経営していたのもあり最初の結婚が破綻してからすぐに母を自分の母親に預け、2回目の結婚をした。
母は祖母のところで8歳まで育てられた。
そして二回目の結婚が破綻し、その時にできた弟を連れて母を迎えに来たそうだ。
祖母のところを出て、いきなり年の離れた弟と新しい恋人と暮らすことを余儀なくされた。
私が想像してもわかる。
最悪な家庭環境だ。

夜はスナックで働く母親の代わりに弟の面倒を見て過ごし、朝は寝ている母親を横目に自分でお弁当を作り学校に言っていたといつもいっていた。
この時代で考えると立派なネグレクト。
それに弟の世話までついてくるのだからタチが悪い。
恋人はいたが、スナックの客を連れて帰ることも多かったらしく最悪だったと言っていた。

そんな母は高校生になった頃、年がそう変わらない3回目の父親ができた。
その父親とはおりが合わず、高校卒業後家を出た。
スナックでアルバイトをしながら、大学の授業料を稼ぎ、保育士になるのが夢だったが途中で諦めたと言っていた。
大学に通っていた時は、貧困生活をしていたからなんども水道を停められたり、ご飯が食べられなかったりと相当苦労したと言っていた。

そんな母だったから結婚生活への憧れが強く、幸せな家庭を築きたいと心に決めて結婚したものの、毎日の子育てや経済的な問題、父との不仲など問題は山積み。
そんな時に救いの手を差し伸べたのは宗教だった。
陶酔する母を見て最初は父も怒っていたようだが、結局母に熱心に布教され、また母が驚くほど穏やかになり、家庭が上手く回り出したことをキッカケに父も入信したそうだ。

人は弱い。
私もその気持ちはわからないでもない。
何を信じていいか、自分のことも信じられなくなった時。
救いを求めた時に縋るのは結局目に見えない大きな存在なのかもしれない。
私はそれが悪い事だとは思わない。
救いを求めて宗教に縋ることも、逃げることもそれは結局自分が決めることだから。
ただその道を選ぶのが自分だったら…の話だ。

二世にはその選択肢がない。
物心ついた時から毎週集まりに行くのは当たり前。
奉仕活動に行くのも当たり前な環境で育った時、その生活が異常だと気がついた時にどう逃げたらいいのか。
家庭が逃げ場にならない。
家庭の中で繰り返される洗脳。
これに抗うのは簡単な事じゃない。
土曜日のお昼、次の日の集まりのための予習をしていた光景を今でも覚えている。
カーテンがそよそよ揺れて気持ちのいい日差しが差し込んでいて。
眠たくなって昼寝をしたいと思ったが隣に座っている母は熱心に聖書を読んでいる。
ちらりとそれを見ながらも、眠気に勝てずウトウトした私を母は叱責した。
そんな光景が今でも目に焼き付いている。
あの小さな空間で、逃げることもできずずっと繰り返される洗脳。
それは心を蝕んで行くのに十分すぎる程の環境だった。

でもそれは母にとっては最高の生活だったのだろう。
父との関係も修復し、子供たちと共に神の真理にしたがって生きていく。
これこそが母の求めた幸せだった。

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