フリシア

小説とドラマと映画が好きです。小説は「いつかわたしに会いにきて」「燃える家」「停電の夜…

フリシア

小説とドラマと映画が好きです。小説は「いつかわたしに会いにきて」「燃える家」「停電の夜に」「火車」「神無月」「模倣犯」「夏の災厄」ドラマは「ゴシップガール」「グリー」「アリー・マイラブ」。好きな映画は「七年目の浮気」「ローマの休日」「グラン・ブルー」「ジュリエットからの手紙」

最近の記事

夏の災厄

一部のSNSでコロナ予言の小説と囁かれていたそうだ。私が買ったのは1998年発行文春文庫版。(ブックオフの店頭で見つけたの。ありがとー、ブックオフ;どうしても私は小説は書店に足を運んで手に取って表紙のイラストや写真、タイトルから発せられるニオイや頁をめくった時の手触り、最初の数行、解説等を読んでから買いたい派。いや、もう「派」というより、儀式、宗教だ。どうしても手に入らない為、ポチした時はなにか殉教したような敗北感を覚えたから笑) 実はこれを買った時、巷の書店ではカミュの『ペ

    • 本当に欲しいもの

      太宰はね、女を口説く時には一緒に死んでくれと言ったそうだよ。 彼の唇が、私のうなじにそっと触れる。 あなたはそう言っておいて、いざとなったら一人で逃げ出す男よ。 背後から、彼の掌が私の乳房をそっと包む。身体をずらして仰向けになると、口角を上げた彼の顔が見える。 酷いな。 そうよ。 その酷い男が好きなんだろう? 彼の指が、私の鎖骨を撫でてゆき、彼の舌が、身体の奥深くに潜り込み、私を中心から、かき乱してゆく。 窓のない部屋の中で、ベッドから見上げる天井は深いブルーに見える。 彼の

      • おはよう、ダーリン

        おはよう、ダーリン。 彼女は毎朝、心の中で彼にそう呼びかけていた。今、毎朝と言ったが実際には見かけることができた朝には、だ。何故なら朝のラッシュ時、山手線はほぼ1分間隔で走るからだし、車内も殺人的に混むからだ。 勿論、2人が同じ駅から乗車するなら彼女は彼を待って一緒に車内に乗り込むようにしただろうが、彼女が代々木から乗る時には彼は既にそれより前の駅から乗って来ているようだし、彼女は田町まで行くが彼は品川で降りてしまう。 何より彼は、彼女のことを知らない。 それでも彼女は車内に

        • ディド通りの女主人

          正直どぎまぎしてしまった。 そりゃ下宿屋の女主人は異国に独りできた貧乏学生の僕を親切からお茶に招いてくれたのだ。 日曜日の昼下り。 一番清潔でマシに見えるシャツを着て、もう少しで震えそうになる指を堪えながら僕は美しいリモージュ焼きのティーカップを手にとる。 白髪の混じる金髪を結い上げた女主人は瞳を細め、優しい笑みを口元に浮かべている。 そこに不自然なところは少しもない。 「デルフィーヌ、そんなにじろじろ見ては失礼でしょう」 女主人の声に僕は思わずティーカップを落としそうになる

          20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績 シャネルの名言に思う事

          歳をとると女は醜くなり、男はハンサムになる。 「昔はそう言ったんだよ」と御年60を超える役員が言った。 「今だったら、ぶっ飛ばされそうだけどねえ」 どう対処して良いか分からない時は、“そうなんですかあ”と笑顔で返しておくのが女子社員の務めだと心得ているし、なんなら、「それってなんとなく分かります。なんか、大人の余裕って感じのある男性って素敵ですものね」とお愛想のひとつも言っておく。 しかし後になって、ふと、確かにそういう面もあるかもしれないな、と思う部分もあったり

          20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績 シャネルの名言に思う事

          なんにもいらないよと書いた人のことで書くことについて思うこと

          いくつかの小説投稿サイトを利用して思った事。 基本的に投稿するって事は作品を読んでもらう事を目的にしてるんだろうと思っていて、更にできれば「いいね」ボタンとか押してもらえるともっと嬉しいってハナシだよね、と思っていたのだが、世の中には必ずしもそうじゃない人がいる。 そう、感想とか、コメントとか、いりませんから~、な人がいるのだ。 これは私には結構、衝撃的だった。 その人がどれくらいその態度を徹底しているかと言うと、投稿した作品にコメントが付こうものならその作品だけでなく自分の

          なんにもいらないよと書いた人のことで書くことについて思うこと

          取り戻せないもの

          それはいつものようにしょうもない夫が「あ、オレ、明日、無理。休日出勤だわ」とほざいた時から始まった。 「あんたの親だと思うけど?」 「分かってる分ってる。だけど、しょうがないだろ。明日はどうしても事務局に行かざるを得ないのよ」 そう、そうなのだ。二言目にはあれやこれやと用事を作り、夫は実父が入所する介護施設に面会には行きたがらない。私もその気持ちが分からないではないので、無理強いはしない。それは彼の父親が認知症になる迄は医者であったことと、彼自身が医師ではなく病院の事務職

          取り戻せないもの

          好きに言わせて(映画の話)

          やっぱりミステリーは肌に合わない TVで「容疑者Xの献身」を見た。 堤真一さんの演技は素晴らしかった。松雪泰子さんも健気で可憐な感じが出ていて、そりゃこういう女性なら好きになっちゃうよね、とその存在に説得力があったわ。(ってわたしったら何様? すみません) ただ…。 石神哲哉の人生の履歴を想像すると、そんなことするものなのかなあ、とはどうしても思ってしまったの。 TVで見てた限りでは数学者への道を諦めて父親だったか? を介護(父子家庭?)に専念、その後(でいいのかな?

          好きに言わせて(映画の話)

          思い出すことなど

          見つけたのは父だった。 台風の夜、私道には水道管でも破裂したかのような大量の雨水が勢いよく流れ込んでおり、舗装されていない道沿いの脇に生い茂る背の高い雑草の根元にはどこからともなく流されてきたコンビニ袋とか段ボールの切れ端とかが溜まっていて、こんな日まで残業して台風のために遅れる電車とバスを乗り継いで家まで帰って来なきゃならないなんて、もう会社員なんざ、辞めてやらあ! と父はプチギレ気味でもあったので、その生い茂る雑草の根元でゴミのような黒い塊が蠢いたのを見た時にはぞっとする

          思い出すことなど

          たかが名刺、されど名刺

          名刺交換っていうと、かつて新卒で入社した某金融の新人研修の時に、両手で差し出せ、しかも名刺入れを座布団にしろ、とか言われて、ほんといちいちめんどくせーことを考えやがるな、オトナって奴らはよって思ったことを真っ先に思い出すんだよね。 しかもその名刺入れを座布団代わりにしつつ両手で名刺を差し出すという行為が本番では実に難しい動作であるということに気づくのは現場に出た時に初めてでってところもイラっとさせられたよね。 大体、研修時の隣の席と向き合っての名刺交換ごっこと、実際に

          たかが名刺、されど名刺

          秋のあしおと

          いくつもの思いがあって、記憶の断片がある。 それは例えば晴れやかな空のように、子供だった頃のわたし達は確かに夏の時間を生きていた。でもその一方で、暗くひそやかに澱のように心のどこかに凝っているものも確かにあった。 大学も後期に入った頃、中学の頃の友人達が同窓会をやろうと言い出した。 一軒家のこぢんまりとしたレストランを貸し切りにして行われたビュッフェスタイルの同窓会には4、50人ほどが集まった。ひとしきり、皆で懐かしがったり、近況報告をした後で、それぞれのグループ

          秋のあしおと

          AI小説って…。

          たぶん、AIが小説を書くようになるよね。 かつて、ある作家さんが、実人生、実社会での経験がなければ本当の人間ドラマは描けない、ということを書いていて、それは人間同士の生の感情のやり取りの経験がなければってことだろうと思うのだけれど、そしてそれは絶対そうだろう、と私も物凄くそう思っていたのだけれど、実は今、その思いがちょっと揺らいでいるんですよね…。 これまたその作家さんとは別な人が他で書いていたことなのですけど、「ザ ビューティフル ワン」と呼ばれることになったマウス

          AI小説って…。

          なんにもいらないよ、とその人は書いた

          「なんにもいらないよ」その人はそう書いた。 呆れるほどある小説投稿サイト。 だからそこであなたを見つけたことはわたしにとっては奇跡だった。 その人は何度もハンドルネームを変える。 何度もいなくなる。 けれど。 しばらくすると戻って来た。 だから、わたしは待った。 また戻って来てくれるだろうと期待した。 だけど。 今度はもう戻って来ないのかもしれない。 他のサイトでもその人を探した。他のサイトでも書いている事を知っていたから。だけど、そこにももういなかった。 そのサイト

          なんにもいらないよ、とその人は書いた

          「悪医」という小説 

          凄い小説を読んだ。 2人の主人公。かたや52歳の末期がん患者小仲辰郎。かたや35歳の外科医森川良生。 死ぬとはどういうことなのかをめぐる2人の人間の魂の軌跡と邂逅。 この小説を読んで、つくづく思ったのは、読書とは、その小説に出会うまでに自分が日々の中で、何に興味を持ち、何を経験し、何を心に残して生きてきたか。その全部をバックボーンにして、描かれる世界と向き合う事なんだな、ということ。 そしてそういう気持ちにさせられるものこそ、小説なんだという事。 読み手の人生を引きずり出させ

          「悪医」という小説 

          本とは出会うもの

          かつて『うるさい日本の私』という本があって、でもその時は、私は中島先生のようにはあんまり気にならなかった。 むしろターミナル駅とかでは「ここは左側(右側)通行です!」と連呼してもらえないだろうか、とか、「あなたがホームから見上げた時に下り用階段に人がいないからと言って上らないでください! あなたが上り終わらないうちにその階段を下って来る人達がいます。ここは乗換駅です。数分差で人は来ますから。そして下りてきた人に体当たりせんばかりに登るのは言語道断です!」とか、「ホームはラグビ

          本とは出会うもの

          小説「ザリガニの鳴くところ」

          「ザリガニの鳴くところ」(ネタバレしてるかも) 良い小説でした。 ただ、多少のファンタジーはあるとは思うんです。 例えば学校を1日でリタイアした少女が善意の少年によって読み書きを覚え、長じては学者顔負けの知識を習得し、世間に認められ、本を出し、名誉博士号まで授けられるとか、名声を得た後も湿地で愛する人とだけ暮らしてゆけるとか、その湿地だけでなく、約1.3平方キロメートルもの土地が、そもそも自分(祖父)の物だったとか。 実際、現実にはこの日本でだって、今も格差社会は続い

          小説「ザリガニの鳴くところ」