思い出すことなど

見つけたのは父だった。
台風の夜、私道には水道管でも破裂したかのような大量の雨水が勢いよく流れ込んでおり、舗装されていない道沿いの脇に生い茂る背の高い雑草の根元にはどこからともなく流されてきたコンビニ袋とか段ボールの切れ端とかが溜まっていて、こんな日まで残業して台風のために遅れる電車とバスを乗り継いで家まで帰って来なきゃならないなんて、もう会社員なんざ、辞めてやらあ! と父はプチギレ気味でもあったので、その生い茂る雑草の根元でゴミのような黒い塊が蠢いたのを見た時にはぞっとするより先に、なんか腹立つなあ! 傘で刺したろか!ってな気持になり、持っていた傘を振り上げたら、なんと、その黒い塊は子猫だったそうだ。
 
もう、どこからどう流されてきたのか、飼い猫なのかノラなのか捨て猫なのか、一体、こいつは今までどうやって暮らしていたのか。
野生の本能っていうのがないんかい。こんな台風の中で雑草の根元で瀕死(?)っぽく蠢く黒い物体に成り果てているってどういうこっちゃ。そんなんじゃ、この先、どう考えてもこのちびっこは独りで世間の荒波を乗り越えてはゆけまいよ。カラスにでも襲われて瞬殺だな。
父はそう思ったので致し方なく、その黒塊を我が家へ連れ帰ることにしたそうだ。
 
ガタガタ震えて小っちゃくて弱っていたので、その子は保護される時には大人しかった。
 
しかし保護されて、家の中に入るとどうやらここは安全地帯と認識したのか、途端に攻撃的になり、まず走り回れるようになると走り回るというか逃げ回り、とにかく人間くそくらえが信条のようで、母や私にフーッと唸り尻尾の毛まで逆立てて敵意むき出し。父は居間のソファで新聞を広げて知らんぷり。
それまで犬も猫も飼ったことの無い我が家はこの黒い子猫に引っ掻き回されることとなった。
 
普通ならまず動物病院へ連れてゆかねばならないところも、そもそも近寄れば脱兎のごとく逃げ回るし、捕まえようとすれば引っ搔こうとするのだから、こちらも迂闊に手が出せない。
もう玄関の戸を開けておけばそのまま逃げてゆくんじゃないの? とか言い出して、台風の中、やっぱり放り出しますか、ってな話になり、やれやれとばかりに玄関の引き戸をちょっと開けてみたけれど、そこから外へ出てゆく気配は無い。いや、玄関まで走っては行くけど、なぜかそこで蹲る。こちとら明日も会社や学校があるんで、もういっか、と沓脱のところに蹲る黒いちびっこを放置することにした。
我が家の人間ははっきり言って、何かにつけて大雑把なのだ。
それでも居間で私たちは話し合う。
明日の朝、玄関先で死んでたらどうする?
その時はもう庭に埋めてやるしかないわね。
漱石も飼ってた猫が死んだら庭先に埋めてたそうだよ。
・・・・・・・・・・・・。
とりあえず夕食の残りごはんに牛乳をかけて、流しの脇に置いておくわね、と母が言った。
 
それがちび猫が我が家に来た初日だった。
今ならもう考えられないことだろうけど、当時はそんなものだった。
そして朝になると、母が置いておいた猫まんま(?)はきれいになくなっていた。
この日から、一応、私たちはちび猫を家族に迎え入れることにした。とはいえ、ちび猫は私たち家族がいると決して近寄って来なかったし、私たちを見ればサッとどこかへといなくなった。ただ、母が台所の流し台の脇の床に置く猫まんまはいつの間にか食べているらしく、ちゃんと空になった浅いスープ皿が残された。
 
気まぐれなちび猫は我が家にいたければ我が家におり、いたくなければいなくなった。
そう、何日か空にならない皿が続き、やっぱりノラだったんだろう、と話していたら、ある日、ひょっこり帰って来たりするのだ。帰って来るって、玄関先にいるわけではなく、庭にいるわけだが。
 
母はちび猫が家に居座る時の為にちゃんとしたキャットフードを買うようになり、父と私は冷蔵庫の中を覗いて余ったおかずとかあればそれらを、無ければ猫まんまをちび猫に与えた。っていうか、ちび猫用とした浅いスープ皿にそれらを入れ、とりあえず流し台の脇のちょっとした空きスペースの床に置いた。ちび猫は人間が居ると兎に角、近寄って来なかったからだ。近寄って来ないものを無理に追いかけまわさないのが我が家の流儀。(それが害虫の類でない限りは)
 
今思えば猫を飼う気というか準備していたのは母くらいで、父も私も、ちゃんと飼う、という意識は持ってなかったかもしれない。
見かけによらずあのちび猫は世間の荒波も泳ぎ切る、実は勇猛果敢な獅子タイプなのかもしれないな、将来、大物になるだろう、と勝手なことを言い合った。
田舎の一軒家なんて、そんなものだ。

結局、ちび猫を手なずけたのは母だったのかもしれない。

いつだったか、ある日、ザーッと夕立が降った後、買い物から帰って来た母がふと縁側を見やると、そこにちょこんとちび猫が座っていた。
さっきまでの夕立のお陰で、庭の野ばらや他の植物はどれも濃い緑の葉から水滴を垂らし、それらがゆるやかに流れてゆく雲の合間から差す西日に照らされて、きらめいている。
緑なす景色の中に野ばらの薄ピンク色の小さな花々と黒いちび猫の後姿。
それはちょっとした絵画のようにも見えて、母は少し見とれていた。
その時、ふわりと風に吹かれてガラス細工の風鈴が鳴る。
ちび猫はびくっとして縁側から室内めがけて走り出す。
母はあっと小さな声をあげる。
ちび猫はそのまま母の胸元に飛び込んできた。
そしてなんと抱かれるまま服の上から母の胸元を夢中で舐めていたそうだ。
 
ちび猫はその日以来、本当に我が家の飼い猫に収まり、母だけに甘えた。
例えば母が買い物から戻ったり、台所にいれば、何処からともなく走って来て母に身体をすり寄せたりしたし、母が居間のソファでくつろいでいれば、膝の上に乗り、顎の下を撫でられれば喉をゴロゴロ鳴らしたりした。
私や父に対しては、気が向いたら撫でさせてやってもいいよ、という態度を取り続けた。父や私からは少し離れたところにふてぶてしい顔でのっそりと寝そべり、しっぽを左右にパタリパタリと振りながら。

そしてある日、やっぱりまた、ふいにいなくなり、今度はもう戻っては来なかった。

私たちはちび猫のいない暮らしに戻った。
そして、ふとした折に思い出すことはあっても日々の生活を忙しく過ごす中で忘れてゆき、私はその後、東京の大学に進学し、卒業後の就職もそのまま東京で、二十代の後半には学生時代から付き合っていた人と結婚、子供をもうけ、母と同じように家庭を築いた。
 
ふふ。もう何十年も前のことなのにね。
最近、どうしてかしら、まるでついこの間のことのように、ちび猫の来た日、いなくなった日のことを思い出すの。
母は口元に笑みを浮かべ、眼を細め、寝床から縁側の向こう、庭の方を見やりながらそう言った。
米寿の祝いを済ませた後、暫くして父は亡くなり、最近は母も床に着いていることが多くなった。
 
あんな日がいいわね。
縁側から見える庭には生い茂った夏草と、咲き始めた野ばらがあった。
 
ちび猫のいなくなった日。
それはまた心地よい風に風鈴の音が聴こえていた日でもあった。
 

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