取り戻せないもの

それはいつものようにしょうもない夫が「あ、オレ、明日、無理。休日出勤だわ」とほざいた時から始まった。
「あんたの親だと思うけど?」
「分かってる分ってる。だけど、しょうがないだろ。明日はどうしても事務局に行かざるを得ないのよ」
 
そう、そうなのだ。二言目にはあれやこれやと用事を作り、夫は実父が入所する介護施設に面会には行きたがらない。私もその気持ちが分からないではないので、無理強いはしない。それは彼の父親が認知症になる迄は医者であったことと、彼自身が医師ではなく病院の事務職であることとに関係している(だろうと思っている)。

医者の息子なのに。
この呪いはきっと彼の核を成すものの一つには違いない。
彼は早くに母親を亡くしている。
「オレを育てたのはお手伝いさんだから」と高校の頃、そう話してくれたことがあった。父親からは「おまえは母親の作品だ」と、特にテストの成績が悪い時にはそう言われたそうだ。そして父親は決して医者になれとは言わなかったと。
「諦めてたんだと思う」彼はそう言っていた。
 
父と息子の確執を私は知らない。
だけど高校の頃、私の後輩ちゃんが伯父の話をしてくれたことがあった。
伯父も小学生の頃に母親を亡くし、父親と仲が悪かったそうだ。
どのくらい悪かったかと言うと、父親との仲違いをきっかけに、通っていた都立の進学校を中退してしまうほどに。
常日頃から衝突を繰り返していた父息子は、父親の「誰のおかげで学校に行けると思ってやがるんだ!」の一言から遂に最悪の結果をはじき出す。
息子は高校に退学届けを出した。
担任が「お前は成績良いんだから」と退学を思いとどまるよう随分、説得に骨を折ったそうだが、少年の意思を覆す事は出来なかったし、左官職人の父親の方も義務教育は終わったんだの一点張りで取り付く島もなかったそうだ。
それでも担任はせめてもの思いで奔走し、退学してゆく少年の為に社宅付きの運送会社を見つけ、就職の世話をしてくれたそうだ。
 
後輩ちゃんは「おかあさんが言ってたけど、ふたりとも似た者同士で意地っ張りだったから退学届けを書いた時点でどっちももう引っ込みがつかなかったんだろうって。
伯父さん、今、自分の息子ともやっぱり仲は良くなくて。これもおかあさんが、父親との関わり方を学んでこなかったから、息子とも上手く関われないんだと思うよって言ってた」と話してくれた。

そう、この話を夫にした時に、彼もまた自分と医者である父親との間にはずっと確執があったと打ち明けてくれたのだ。それがあるから、私も彼が今、老いた父親に対していまひとつ歩み寄れずにいることに口を挿む気にはなれずにいた。
「いいよ。分かった。私一人で行ってくるよ」
それは、私にとっては、まだ元気だった頃の義父は人当たりの良い品のあるジェントルマンだったから。

土曜の朝、私は早くに家を出て、通勤快速に1時間ほど乗り、降りてからは介護施設へ行く為のバス停に向かう。30分に1本しかないこのバスは週末になると路線の途中にあるスポーツ施設で何かの大会がある度、山の手線の通勤ラッシュよりもはるかに激混み状態になる。
この日も駅のコンコースにスポーツウェアを着込んだ生徒達の集団がないかどうか、ホームに降り立った時はちょっとドキドキしてしまったが、スポーツウェアに身を包んだ子供たちの姿はなかった。

バス停には老婦人がぽつんと立っているだけだった。
薄紫色のツバの小さな帽子。若草色のカーディガンを羽織り、その下には帽子と同系色の生地に白い小さな花を散らしたワンピース。丈はくるぶしよりこぶしひとつ分、短い。足元は白いソックスにこげ茶色のコンフォートシューズ。ビーズ刺繍のポシェットを斜め掛けにしている。
全体になんとなく上品そうな雰囲気だ。
私はそっと彼女の横に並び、少しして、1人、また1人と列に並んだ。
大体、待つ事、10分。10人近く人が並んだところで、バスはやって来た。

老婦人は左側の優先席に腰を下ろし、私は通路を挟んで右側の席に腰を下ろした。斜め左前に彼女の姿が見える位置だ。
幸い、バスの発車時刻になる迄、乗客の数は増えなかったので、バスは10人足らずの人を乗せただけで定刻通り出発した。
 
このバスの路線にはスポーツ施設の他に市役所、税務署、総合病院、障碍者支援センターなど、いくつかの福祉施設がある。その為、土日は面会者と思しき家族連れや単身者もこのバスを利用する。同じバス停で降りた女性が義父のいる施設まで、同じ方向をずっと歩いてゆくので、もしかして? と互いに目顔で探り合い、どちらからともなく声を掛け、挨拶しあったことも何回かあった。
だから今日も、先ほどの老婦人ももしかしたら面会の人なのかもしれないな、と漠然と思っていた。

バスは駅前のショッピングビルが立ち並ぶ大通りから、中学校、短大、大型マンションなどが並ぶ広い通りへと移り、やがて一戸建ての住宅街を抜け、段々と緑の多くなる郊外へと向かってゆく。
バスが森林公園の中に作られた道路に入り、窓の外の景色が、深い緑の木々に変わった頃、ふと、話し声に気がついた。
はて。乗り込む時には2人連れや3人連れといった人達を見なかったように思うけど? 
そう思いながら車内に視線を移すと例の上品な雰囲気の老婦人が小さな声で喋っている。
「そう、そうなの。それで?」
その声もまた服装と同じくらい上品で優しいアルトの声音だ。
「まあ、ほんと。で、えっちゃんは?」
「え? 来れるの? ほんと? いつ?」
「え、明日? わあ、嬉しい。嬉しいな」
なんとも幸せそうな声音につい耳を傾けてしまう。しかし、そのうち段々と老婦人の声は甲高くなり、身振り手振りも交じり出す。
「いやあね、そんな」
「えっちゃんたら! おかあさんにそんなこと言わないの!」
「まー君もちゃんと連れて来てくれなきゃ」
「ランドセルは気に入った?」
会話の内容そのものに不自然さは感じられない。しかし、彼女の様子に何かこう、違和感を覚える(最初に感じた上品さはどこへやら、もさることながら)。
私は今やスマホをいじるふりを装いつつ、老婦人の方をしっかりと観察する。
やっぱり。
そう、膝の上にもどちらの手にも、どこにもスマホやガラケーが見えないのだ。ビーズ刺繍のポシェットは背もたれの方に回されているのでその中にあるとは思えない。それに彼女の耳にもイヤホンは無い。
一体、彼女はどうやってえっちゃんやまー君と会話をしているのか。
しかし盗み見る私の視線に気づく様子もなく、老婦人は盛んにえっちゃんと会話している(ように見える)。
「もう、明日は絶対、ちゃんと来てくれなきゃだめよ」
「おかあさん、楽しみにしてるんだから」
「お夕飯はなんにしようかしらねー」
心から幸せそうに笑って、老婦人は娘や孫と喋っているのだ。(としか思えないように見える)。
どこにもガラケーやスマホやイヤホンや、小型マイクも見えないけれど。
そしてもちろん、バスの中のどこにもその老婦人とお喋りしている娘や孫の姿はない。
私は自分の降りるバス停の1つ先にはスポーツ施設を併設した大きな公園があり、その近くに精神障碍者用の支援センターがあることをつい、思い出す。

「ほんとほんとほんとー?」
老婦人は興奮気味に前の座席の背もたれを両手で軽く叩いて座席の上でちょっと跳ねるように身体を上下させた。その弾みで膝の上から若草色のカーディガンが通路に滑り落ちる。だけど彼女はそれに気づかない様子で、「それでそれで?」と笑っている。
私は丁度、自分が降りるバス停に来ていたので、立ち上がり、通路のカーディガンを拾うと、そっと老婦人に差し出した。
彼女はふと口をつぐみ、私を見上げると、にっこりとほほ笑んだ。
そこにあるのは少女のような邪気のない透き通った黒い瞳と明るい笑顔だった。
老婦人は私から受け取ったカーディガンを大事そうに丁寧にたたむと膝の上に置いた。
私もちょっとだけ口角を上げ、バスを降りるべく、運転席の運賃箱のところへ向かった。
ICカード読み取り部分にカードをかざしていると、後方から、えっちゃんと喋っている老婦人の声が再びさざ波のように聞こえて来た。
「明日は来てくれる?」
「わあ、嬉しい」

老婦人を乗せて走ってゆくバスの後姿を見送ってから、私は独りで義父のいる介護施設へと向かう。
心の中では彼女のことを考えていた。
家族がいるのは、あるいは“いた”のは本当なんだろう、と。
だけど訳あって、ずっと会っていない、あるいは“会えない”状態なのではないだろうか。
だから、空想の中で、家族と話しているのだろうか。
本当なら得ているはずだったものを想って――。

バス停から少し歩いたところにあるコンビニに寄り、コーヒーをふたつ買う。
義父はコーヒーが大好きだ。
施設のコーヒーは不味いんだよ。
前に義父がそう呟いたことがあるので、それ以降、施設に行くときは必ずコーヒーを持ってゆくようにしている。
以前は駅前のコーヒーショップでテイクアウトしていたのだが、それだと義父はあまり喜ばない。
多分、入居して間もない頃、少し離れた森林公園にふたりでお花見に外出して、その時、テイクアウトで飲んだコンビニのコーヒーが良い思い出として残っているからだろう(と、私は勝手に思っている)。

公園には沢山の桜の木があり、あの頃は丁度みな満開で、芝生の所では幼い男の子を連れた若い夫婦がピクニックをしていた。
義父と私はベンチに腰を下ろし、コーヒーを飲みながら、その風景を眺めていた。
満開の桜と緑の芝生に若々しい家族連れ。
幼い男の子が飛行機の真似をするように両手を広げて「ブーン」と唸りながら走り回ると、若い父親がその後を追いかける。
父親に抱き留められて笑い転げる幼い男の子。
その姿に口角をあげる義父の横顔。
「今日は良い日だ」と義父は言った。そしてゆっくりとコーヒーを飲むと「美味しいなあ」と目を細めた。
多分、あの日から、コンビニのコーヒーが思い出の味になったのだろう。

まだしっかりしていた頃の義父はコーヒーにうるさい人だった。
お気に入りの専門店で豆をブレンドしてもらったり。かつてはブラックで飲んでいたのに、今では砂糖を3つも入れるようになっていた。
歳を取るだけじゃなく、認知症になると味覚も鈍くなるのだそうだ。
「でも甘味を感じる味覚の欲求は強くなるんですよ」そう介護士の女性が教えてくれた。
「一日千秋の思いで娘さんが来られるのを待ってらっしゃるんですよ」
実の娘じゃないんですけどね、という言葉を私は飲み込んだ。
「家族の面会に勝るものはありませんから」介護士の柔和な笑みが胸に刺さった。

義父のいる介護施設は4階建てのとても瀟洒な建物だ。英国式庭園を思わせる庭もあり、スタッフの人数も充実している。食事なども再形成食とは思えない、普通の見た目の魚の煮つけや筑前煮などが並ぶし、予約すれば面会家族も同じものを食することができる。
「食事には特に力を入れているんですよ。外出等が難しくなると施設での楽しみは食べることになりますから」入所前の説明ではケアマネージャーがそう話してくれた。
談話室にはアップライトピアノが置かれてあり、時には音大の学生ボランティアによる演奏会が開かれたりもするという。
「静かですね」と私が訊ねるとケアマネージャーは「こちらは介護棟になりますから」と応えた。介護度が高い入居者が多いので、自然と自分の部屋にいる入居者の方が多くなるという。でも介護スタッフの他に傾聴ボランティアの方も来てくれていますし、お声がけも頻繁にしていますから。それにレクリエーションも色々、用意していますよ、とケアマネージャーはニコニコと笑った。
「いいところじゃないか」夫はすぐにも乗り気になった。
不穏状態が増え、徘徊等も始まり、また何度か湯船に浮かぶ大便を見た時、自宅での介護に限界を感じてしまった為、私もそこで「もう少し考えてみたら」と口にすることが出来なかった。

義父は長い時間、じっと施設のパンフレットを見つめていたが、「そうだな。その方が良いだろう」と静かに受け入れた。

義父の部屋は4Fにある。
エレベーターから降りて、エレベーターホールから繋がっているラウンジに行くと、義父はいつもそこのソファに座っている。両手を杖において、端然と。そしてそこから見える窓の外を眺めている。
窓の外にはあの森林公園の背の高い木々と、そこへ止まりに来る鳥たちの様子が見えている。風に木々が揺れ、飛び立つ鳥たちと、自由に空を旋回し、戻ってくる鳥たちの姿を静かに眺めている義父。
「おとうさん」と呼びかけると、義父はこちらを向いて、来たか、来たか、と満面の笑みを浮かべる。
お義父さん、という響きになってないと良いな、と私は思う。

そんなことを思い出しながら、コンビニのコーヒーを紙袋に移していると、頭の中で、義父の姿に先ほどのバスの中での老婦人の声が重なる。
明日は来てくれる?
わあ、嬉しい。

――夫を、連れて来なければいけない。どうしても。
そう思いながら、私はコンビニを出て義父のいる施設に向かう。
だけど、その一方で、こうも思う自分もいる。

人は結局、愛された分しか愛を返せない。

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