風越亭半生

長野県飯田地域の方言である「飯田弁」に関した記事や、かつて携わった夜間中学での日本語学…

風越亭半生

長野県飯田地域の方言である「飯田弁」に関した記事や、かつて携わった夜間中学での日本語学級に関わるもの思いなどを中心に掲載していこうと思っています。

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最近の記事

レコード夜話(第17夜)

●前回には「きれい」という語の使われ方に関わって歌謡曲のなかに見てきたのでしたが、こんどは「美しい」ということばで表現されているケースについて、いくつ触れてみたいと思います。  「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の」→「あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦+北山修)・「一人で見ている 海の色 美しすぎると 怖くなる」→「魅せられて」(ジュディ・オング)・「ふたりが結ばれた 美しい夜明けよ」→「涙の季節」(ピンキーとキラーズ)・「恋の終わりは いつもいつも 立ち去る者

    • レコード夜話(第16夜)

      ●ひとつ曲のなかに「きれい」と「美しい」との両方の語が使われてある曲として、「禁じられた恋」(森山良子)と「恋人たちの港」(天地真理)とを挙げて少しばかり云々してみたのでしたが、「危険なふたり」(沢田研二)にもあって、女性のことを「美し過ぎる」とか「きれいな顔」などと表現してあって違和感はありません。  しかるに、三田明の「美しい十代」という曲にも、両方の語が使われてありました。タイトルに「美しい十代」とあり、曲のなかでもそう歌われてあります。「…… いつもこころに二人の胸に

      • レコード夜話(第15夜)

        ●中国や韓国から引き揚げて来た生徒たちから、疑問が寄せられていたのは「きれい」という語の使い回しに関してでした。日本に来て驚いたのは、以前に住んでいた中国や韓国とは違って、どこもかしこが〈きれい〉だと目に映じたことであり、またいたるところで「きれい」ということばを耳にする――といったことのようでした。  中国では、我が家の前だけは掃除をする。掃除をするといっても、ゴミは隣の家の方へ押し出しておく。隣の家では、またそれをその隣の家の方へ押しやっておく。そのうちに風が吹いてきて、

        • 下から上を見上げれば(2)

           八十歳になった年齢で単身フランスへ渡って、日本とフランスの文化の架け橋となることに余生を捧げようとして、かの地で日本語を教えていた魔女氏にとって、私は年齢的に息子サンとおっつかっつだったのでありましょうかなぁ。  東京の銀座通りを並んで、話しながら歩いていたときのことでございました。私が車道側に立って歩いていると、いつの間にか魔女氏が車道側に来るのです。そこで私がまた位置を入れ替えて少し歩いていくと、また車道側に来てしまうのです。耳でも悪いのならば仕方がないけれど、そうで

        レコード夜話(第17夜)

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        • レコード夜話
          17本
        • 飯田弁に見る飯田人の流儀
          19本
        • 風越亭半生と飯田弁
          5本

        記事

          レコード夜話(第14夜)

          ●また後戻りして、いま少し「日本語ノート」に関して記しておこうかと思います。  手当たりしだいに歌謡曲を聞きながら、少しでも「これは使えそうだな」とか「ここを拾い出してみたらどうだろうか」などと思うような、日本語として取り上げるに足る観点が有るか無いかで以って、ジャケットを手にして歌詞をつぎつぎと点検してみていたのです。  とはいっても、私が意を払っていたそんな用途のために詞を書くような作詞家は、もとより一人としているはずもありませんから、そうしたことは容易ではありません

          レコード夜話(第14夜)

          下から上を見上げれば(1)

           ざっと二十数年ほども前になりまするが、当時八十歳を越えていたご老女が、私のお友だちとしておいでたことでございました。十年近くの間に及んで、好ましくお付き合いさせてもらったことでした。しかるにそのご老女はというと、タダのお婆さんのような老女なんかではありませんでした。魔女だったのでございますよ。  太平洋戦争当時に海軍士官学校を出て、将校だった人の娘さんだという方でした。ご両親と姉さんが、さらには夫君が亡くなられてからも、都内の一等地に息子サンと暮らしていたのでしたが、息子

          下から上を見上げれば(1)

          レコード夜話(第13夜)

          ●私にとっては、なんとなく貴重な存在となっているCDがあります。余人にとっては、ほとんど何の価値もなかろうそれですが、私にとってはそれなりの思い入れの生じるCDなのです。  それはというならば、前回記したところの飲料メーカーのサントリーが烏龍茶のCFとして、平成4年(1992)にTVで流したなかで歌われていた中国語版の「いつでも夢を」を皮切りにして、その翌年以降にも引きつづいて放映された烏龍茶のCFのなかで歌われていた中国語バージョンの「結婚しようよ」や「春一番」「暑中お見

          レコード夜話(第13夜)

          取り戻す夜 (夜間中学記Ⅰ)

                               出井 光哉 【第一章】 (一)  壁の向こうから、どっと笑う声が聞こえてきた。 となりは二年生の教室だ。笑い声ばかりではない。だれかしらの高い声もしていて、いかにも楽しそうなようすが伝わってくる。誰かがおかしなことを言ったのだろうか。それとも、何かおもしろいことでもあったのだろうか。 一年生のいるこの教室と、となりの二年生の教室とは、もともとは一つの部屋だったものだ。それを二つに分けて使っている。 一つの部屋をあとから二つ

          取り戻す夜 (夜間中学記Ⅰ)

          レコード夜話(第12夜)

           日本語でやりとりされる背後にある雰囲気を、教室で、私が直接に説明するよりは、歌謡曲でも聞いてもらった方がわかりがいいのではないか――そう考えて試みたことだったのですが、そうした試みはというならば、歌謡曲を〈通訳〉に頼もうとしていたのだとも言い得るかもしれない。  当時そんなことを思いながらいろいろと歌謡曲を聞いていたのでしたが、なんと、歌謡曲のなかで、そうした〈通訳〉の真似ごとをしているものを発見したのです。おもしろいことに、そんな曲さえもあるのですよ。いやあ、歌謡曲の世

          レコード夜話(第12夜)

          せせらぎの如くに聞こえるなかで

           雪景色が懐かしくなって来ている。私が子どものころには、十一月のうちにだってしばしば雪が舞ったものである。そうして、飯田の旧市内にあってさえも、日蔭の場所には春先まで根雪となって残っているような光景は、けっして珍しくなかったというのに……。近年は、冬が消えてゆくかのような気配である。二〇二〇(令和二)年にあっては、冬場にほとんど雪景色を見ることが無くて終わった。そんなだったから、次のような会話を耳にしたことだった。 *   *   * さわ〔sawa〕〔沢・澤〕【名詞】《低高

          せせらぎの如くに聞こえるなかで

          レコード夜話(第11夜)

           私が夜間中学の日本語学級担当として着任したのは、昭和46年(1971)のことで、そこでの生徒たちは、中国や韓国から引き揚げて来た人たちが中心だったのですが、後にはブラジルやマレーシアやロシア(当時はまだソビエト連邦)などから来た人もいました。いずれも日本に来たばかりの人たちで、日本語がわからない。せいぜい挨拶ができる程度という人たちがほとんどでした。そうした人たちに対して、さしあたっての日本語を教えるべく、私は着任したのでした。  けれども、当時は教材も方法論もなにも無か

          レコード夜話(第11夜)

          レコード夜話(第10夜)

           歌謡曲を素材にして作りあげようとしていた「日本語ノート」にあっては、いわば「ことばとは何ぞや」というところから始めてありました。何を言いたいのか、何を言っているのかが、相手にちやんと伝わらなくては、コミニュケイションの手段としての役割を果たないのです。そうした当たりまえの事柄に反するかのような曲の実例が、歌謡曲のなかにはちゃんとあるのだから、なんともおもしろいと思わざるを得ません。前回に取り上げた森山加代子の「じんじろげ」という曲はそうしたものですが、その上を行くような

          レコード夜話(第10夜)

          「いれいち」にみる位置のことば

           大相撲の歴史のなかで、最強の力士と言われているのが、信濃の小県郡の生んだ雷電為右衛門である。二三歳で初土俵を踏み、その場所で、いきなり優勝した。四四歳で引退するまでのあいだに、254勝もして、わずかに10敗しかしていない。その敗戦にあっても、相手に不足の下位力士との取り組みに嫌気がさして、前夜に大酒を飲み、二日酔いのままに土俵に上がったからだなどといわれている。勝率九割六分二厘、年に二場所とあるかないかに優勝28回、九場所連続優勝しておいて、翌場所全休してさっさと引退してし

          「いれいち」にみる位置のことば

          レコード夜話(第9夜)

           こちらが覚えてほしいと思うようなきちんとした日本語は後回しにして、TV番組でなら歌謡曲でなら、そこで使われている日本語を、彼らは比較的容易に覚えてくるのです。そうであるならば、いっそ歌謡曲を授業に取り込んで、それを素材にしたところで日本語の学習をしてみたらどうか。おもしろがってくれて、うまくいくかもしれない。私はそう考えて、己の趣味からは遠かった歌謡曲をあらためて聞き始めたのでした。と、そうは言っても、当時の私には、具体的なことはいくらもわからなかったのです。どの曲にど

          レコード夜話(第9夜)

          まずは周りを見回してごらん

           「他家の庭は良く見える」とか「隣の芝は青い」などといった言いがあるけれど、自分たち自身のいるところにあるモノの価値に関わって、見え過ぎるがゆえに却って解らない――ということは、人にとっての性というものなのだろう。  「飯田には見るべきところも、これといった料理も、何も無い」などと自嘲して言う飯田人も少なからずいる。けれども、それは大きなマチガイだと私は思っている。料理の方はいまは措くとして、南信濃には見るべきもの、否、見せるべきもの、誇るべきところが周りにドッカーンとあるで

          まずは周りを見回してごらん

          レコード夜話(第8夜)

           人称代名詞にあって、自称(一人称)と他称(二人称)の有りようついて、今回も引きつづいて歌謡曲のなかに見てみたいと思います。  「わたし」と「あなた」の関係が少し崩れて来て用いられると、つまりは多くの場合にあって、男と女の仲が馴れ馴れしくなって……ということになるのだろうけれど、相手をさしていうのも崩れてきて「あなた」は「あんた」になるんですなぁ。そうした関係性のなかにあって、自分をさして言う方にあっても、もちろん姿ただしく「わたし」のままではいられないといものでしょう。

          レコード夜話(第8夜)