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風越亭半生と飯田弁

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風越亭半生と飯田弁(Ⅰ)

   代打で凡ゴロと思いきや……の条
 私は、目下、地元長野県飯田地方の地域紙である南信州新聞において〈飯田弁〉にまつわる文章を連載中である。そうしたあれこれに触れるまえに、少々迂遠にはなるけれど、まずは「風越亭半生」を名乗ることになったいきさつについて話をしてみよう。私のなかでは、そうしたことがらは、みな繋がっているからである。
 飯田高校で同期だった地元の人たちが、毎年同年会を開いて来ている。

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風越亭半生と飯田弁(Ⅱ)

   起用に応えて大ホームラン?……の条
 在京同窓会の総会は、その幹事役・運営の世話役を、年番として卒業年度で順送りにしてやって来ている――とのことであった。そうして、講演会もまた、当番にあたった学年から講師を出して、回を重ねてきていたそうだ。
 自分たちの番だとなれば、どの学年にあっても、自らの仲間うちの出世頭と思しき人物を講演者に抜擢しようとなるのは、当然至極な思いであろうし、また実際にもそ

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風越亭半生と飯田弁(Ⅲ)

   手土産代わりの方言小話が……の条
 首都圏に出て行った飯田高校の卒業生たちの在京同窓会にあって、総会のセレモニーの一つとして、講演会が行なわれて来ている。二〇〇四(平成十六)年に、当番となった在京の我らの学年(高一九回生)は「講演なんか、もうやめて欲しい」とまでに不評のそれを脱却するべく、世話役の中心にあったSS、SA両君らが相談のうえ、在京者のなかからという慣例を破って、私に講演を依頼して

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風越亭半生と飯田弁(Ⅳ)

   風越亭半生が歩き始めた……の条
 二〇〇五(平成十七)年の六月二日――六月の最初の土曜日に「飯田ふるさと講談」が開かれて、私は風越亭半生を名乗って出演した。昼夜二回高座に上がって、飯田弁の漫談を演じたのであった。当日のプログラムにあっては、神田山陽の後を継いで講談協会の会長の任にあった神田紅と、預かり弟子の神田陽司という二人の本職の講談が据えられてあった。私の出演はというならば、もとより当然

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風越亭半生と飯田弁(Ⅴ)

   古色蒼然の飯田弁を看板にして……の条
 事は、知友が同期会に予定していた講演者から土壇場でのキャンセルに出遭って、苦し紛れに寄越した私への電話から端を発したことだった。それがきっかけとなって、意想外の形で引き立て引き上げてくれる人たちが連綿として現れることとなった。そうしたことがつづいているうちに、かつて東京で忙殺されていたころに声をかけられたことまでもが、ついつい思い出されるようにまでなっ

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