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レコード夜話(第11夜)


 私が夜間中学の日本語学級担当として着任したのは、昭和46年(1971)のことで、そこでの生徒たちは、中国や韓国から引き揚げて来た人たちが中心だったのですが、後にはブラジルやマレーシアやロシア(当時はまだソビエト連邦)などから来た人もいました。いずれも日本に来たばかりの人たちで、日本語がわからない。せいぜい挨拶ができる程度という人たちがほとんどでした。そうした人たちに対して、さしあたっての日本語を教えるべく、私は着任したのでした。

 けれども、当時は教材も方法論もなにも無かったのです。ましてやカリキュラムなどといった洒落たものなどは、あり得べくもなかったのです。「カネは必要なだけ出します。あとは総ておまかせします。先生がたの良きようにやってください」と、文部省(当時)からも都の教育委員会からも言われていたのでした。いくら必要なだけ予算をつけてくれると言われても、何に使えというのか、教材らしきものの一つもないなかではどうすればいいというのか……。そうしたカネを、日本語学級の名義でもって自分の趣味的な機材に流用して楽しんでいたような教員もいたけれど、現場の私たち――私ともう一人の女性の教員とは、カネなんぞを使っている暇なんぞは無かったのでした。そうしたなかで私は、苦肉の策として、歌謡曲を教材に利用して、それらを聞かせながら、その歌詞を通して日本語を勉強してもらおう――と考たのでした。

  日本に引き揚げて来て、今まさに日本語を学びゆこうとしている人たちが対象ですから、そこでの日本語は当然のことながら現代の日本語であり、それもこなれた口語そのものであるのです。が、私としては文語をも対照させたうえで、口語を観察しようとも思ったものでした。されば、我が「日本語ノート」には、文語の歌謡曲だってもちゃんと収録してあるのですぞ。

 たとえば「初恋」(舟木一夫)という曲がそう。本格的な古語で歌われているわけではないけれど、この曲は、たしかに文語調の歌謡曲にはちがいがないのです。

 いま舟木一夫の歌っていたレコードのジャケットとを転載してみれば、4番まであるうちの1番から3番までが歌われていて、つぎのように表記されています。「まだあげ初めし 前髪の 林檎のもとに 見えしとき 前にさしたる 花櫛の 花ある君と 思いけり」「やさしく白き 手をのべて 林檎をわれに あたえしは 薄紅の 秋の実に 人こい初めし はじめなり」「わがこころなき ためいきの その髪の毛に かかるとき たのしき恋の 盃を 君が情に 酌みしかな」と。

 この「初恋」という曲は、もともと明治時代の文豪・島崎藤村の詩です。当時「新体詩」の名でもてはやされた一連の詩のなかでの、傑作中の傑作とされてきているものです。それに曲をつけて、歌謡曲仕立てにしたものなんですよね。高校生のころには、藤村の詩を愛唱していましたなあ。なかでもこの「初恋」は、私の最も気に入った詩の一つでありまして、そのすべてを諳んじていたくらい。

 こまかなことを言い立てるならば、原典の表記は歴史的仮名遣いでなされてあるのでして、だから「思ひけり」であり「あたへしは」であり「人こひ初めし」であるべきところなのです。

  そんなだから、この詩が歌謡曲に仕立てられて出てきた時には、なにやら少々汚された気分にもなったものでした。しかし、それでも、なんといっても元の詩がいいのだし、曲もけっして悪くはないし、舟木一夫にも軽薄な歌いぶりは無いし――というので、そうであってみれば私のお気に入りの一曲となって、今でもしばしば聞いている。

 さらに重ねて、これもまた純然たる古語ではないけれど、しかし古典的な雰囲気が漂って、それゆえにやはり文語文の範疇に入れるべき歌謡曲として「恋文」(由紀さおり)をも取り上げてみたことでした。この曲は、そのタイトル名のそのように、恋人に宛ててつづった手紙を歌にしてあるのですが、なんとそれが「候文」なんですね。

 「何を見ても貴男様を 想い出して候」だとか「朝に夕に  貴男さまをお慕い申し候」だなどとあるのです。ただし、ここでもまた正しくあるべき候文だったらならば、引用部分にあっても歴史的仮名遣いで「想ひ出して」とか「お慕ひ申し」となるべきだろう――と思うのだけれど。

  それにしても、歌謡曲のなかに「候文」が出てくるなんてのは珍しいし、またいかにもおもしろいですねえ。

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