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レコード夜話(第12夜)


 日本語でやりとりされる背後にある雰囲気を、教室で、私が直接に説明するよりは、歌謡曲でも聞いてもらった方がわかりがいいのではないか――そう考えて試みたことだったのですが、そうした試みはというならば、歌謡曲を〈通訳〉に頼もうとしていたのだとも言い得るかもしれない。

 当時そんなことを思いながらいろいろと歌謡曲を聞いていたのでしたが、なんと、歌謡曲のなかで、そうした〈通訳〉の真似ごとをしているものを発見したのです。おもしろいことに、そんな曲さえもあるのですよ。いやあ、歌謡曲の世界は広いものですなぁ。

 モップスの「月光仮面」という曲のなかにあって、そうしたやりとりが展開されていたのです。もっともそこでのやりとりは、私が言うのもナンですが、格調ははなはだ低くてナンセンスで、つまりはお笑いそのものではありましたけれど。モップスというのは、鈴木ヒロミツらが組んでいたロック・バンドでした。そうして「月光仮面」はというと、私が子どものころに喜んで読んでいた漫画の主人公なのです。川内康範の原作にして桑田次郎らの描いた漫画にあっては、月光仮面は〈月よりの使者〉という設定になっていました。そこで、その月光仮面が月から地球に着いたところを、通訳がインタビューするというのが、この曲の仕立てとしての輪をかけた設定になっていたのです。

  いくら馬鹿馬鹿しい「通訳仕立て」ではあっても、こちとらが試みようとしていることに通うところがあると思われるからには、これもまた「日本語ノート」のなかに収めてみました。しかしながらさりながら、月光仮面が何者で、そこに通訳が要るなどというその設定の何がおもしろいのか――などといったことを、もしも彼ら彼女らに説明しなくてはならないとなっていくとしたら、そこでまた大汗をかかなくてはならなくなってしまうことは必定です。それで、教室で披瀝することはついに無いままに終わったのでしたが。

 ずうーっと後年のこと、もう夜間中学校での日本語学級の教師を辞めて、郷里の伊那谷に戻ってからだいぶん経ってからのことでした。ある日、TVから流れてきた曲を聞いて「ややッ」と思ったのです。なんと「いつでも夢を」のメロディが流れていて、けれどもしかしそれは聞き馴染んで来た橋幸夫と吉永小百合の歌うそれではなくって、なんと中国語で歌うところの「いつでも夢を」でありました。これは何ぞや――と思ってTVに寄って行って、歌っているところの画面を見てみれば、それは飲料メーカーのサントリーの、それをしも烏龍茶のCFでありまして、中国人の若い男女が「いつでも夢を」の中国語版を歌っていたのでした。

  コマーシャルの画面(CF)から流れて来る中国語版の「いつでも夢を」は、私にとっては、たいそう心魅かれるものでしたなぁ。気づいてからというものは、そのCFをTVで見るたび、さよう、かの中国語版の「いつでも夢を」を聞くたびに、つらつら思ったことでした。「こういうのが、あのころにあったならなあ」と。私が夜間中学で日本語学級の教師をしていたそのかみにこそ、こうしたものがあってくれたなら、私としてはきっと好都合とばかりに補助教材にしただろうのに……。

 その中国語版の歌謡曲ですが、翌年、さらにはその後にも、同じサントリーの烏龍茶のCFとしてですが、そうしたものが相次いで出てきたんですよねえ。

  中国語版の「いつでも夢を」のCFが放映されたのは平成4年(1992)のことだったらしいのですが、翌5年(1993)には「結婚しようよ」(吉田拓郎)が、さらに平成6年(1994)にはいづれもキャンディーズの歌っていた「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」「微笑み返し」という曲が、それぞれ同様に中国語訳されて登場してきたことでした。

 そうしたなかで、平成7年(1995)には中国民謡が、同8年(1996)には洋楽の「鱒」を中国語で歌ったものが流れたあとに、平成9年(1997)には「鉄腕アトム」の中国語バージョンが登場してきたことでした。「鉄腕アトム」の歌はというなら歌謡曲ではないけれど、中国や韓国などから来た人たちのあいだにあっても、漫画やアニメーションで鉄腕アトムを知らないなどという人はまずいないだろうと思われたのでしたし、さればそのTV番組の主題歌だっても受け入れられただろうのに……と、思うほどに残念だったのです。ましてやそれが中国語で歌われてある以上は、中国から引き揚げて来た人たちだったら、きっとおもしろがったことだったでしょうから。


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