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レコード夜話(第8夜)

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 人称代名詞にあって、自称(一人称)と他称(二人称)の有りようついて、今回も引きつづいて歌謡曲のなかに見てみたいと思います。
 「わたし」と「あなた」の関係が少し崩れて来て用いられると、つまりは多くの場合にあって、男と女の仲が馴れ馴れしくなって……ということになるのだろうけれど、相手をさしていうのも崩れてきて「あなた」は「あんた」になるんですなぁ。そうした関係性のなかにあって、自分をさして言う方にあっても、もちろん姿ただしく「わたし」のままではいられないといものでしょう。この点でいかにもおもしろいと私が思ったのは、たとえば「あんたのバラード」(世良公則&ツいスト)であり、また「夜へ急ぐ人」(ちあきなおみ)などといった曲です。
 前者にあっては「あんたにあげた 愛の日々を 今さら返せとは 言わないわ …… あんたの歌う あの歌を 今夜はあたいが 歌ってあげる」とあって、相手が「あんた」だからして、自分の方は「あたい」となって表現されています。
 後者にあっては「夜へ急ぐ人が居りゃ その肩 止める人も居る …… 燃える恋程 脆い恋 あたしの心の深い闇の中から おいで おいで おいでをする人 あんた誰」と歌われてあって、ここには「あたし」になって出てきています。この曲を昭和52年(1977)の紅白歌合戦で歌ったときの彼女のそれは、おしまいに奇声を発して演出してみせてくれて、無気味でインパクトがあり、たいそうおもしろくあったことでした。レコードには、そうした無気味な奇声が録音されていません。私としては、レコードを聞くたびに、それを残念に思うのです。
 ともあれ「あたい」も「あたし」もどちらも、基本形の「あんた」からさらに崩されていて、そのぶんいちだんと馴れ馴れしくなった間柄や、鬱陶しさを訴えて歌われていたのでしたねぇ。
 私が夜間中学で日本語学級担当の専任教員として相対していたのは、中国や韓国から引き揚げてきたばかりの日本語がわからないといった状態の人たちでした。そうした人たちに「さしあたっての日本語」を教えるべく、苦闘していたのす。自分で言うのも慎みに欠けるようですが、私なりに持てる力を惜しまずに投入しました。かなり入れ込んでしていたのでしたが、それにも増して相手方はあまりに手強く、しかも陸続としてやって来たものでした。そうして、彼ら彼女らの日本語を覚えたいという希求とその内容は、安直を許さなかった。なによりも用語や表現において、具体的で実践的であることが要請されていたからです。たとえ彼ら自身の発音やら発声やらが、その時点では日本語として覚束なくともです。表現上のニュアンスの差異といった点に、とかく関心を寄せていたものです。
しかしながら、こちらが一生懸命に教えようと試みて解説してはみるのですが、彼らの日本語の学習はなかなか進捗してゆかなかったのです。私はながらく悪戦苦闘していたのだし、どこまでも悪戦苦闘せざるを得なかったのが実情でした。
 人称代名詞に関わってなおも言を重ねるのですが、標準的な言いとして、自称(一人称)は「わたし」と言い、他称(二人称)としては「あなた」という語を使っておけばいいのですよ――といったその程度のことでは済まされるものではありませんでした。
 そう杓子定規に教えられてはみても、実際に日本人たらんとして、日本人と交わって生活していくなかにあっては、彼らの方ではそんなところでは済ませられない。そのように使っていれば、なるほどマチガイは起こらないかもしれないけれど、それでは生きたやりとりには程遠いではないか。つまりは、ほとんど気休めくらいにしかならないというものだろう。時には馬鹿にされてしまいさえもする……とまあ、そうしたことだったのです。
 それゆえに、さしあたっての日本語を教えてくれる教室でもあることだから、私にそうした問題を持ち込んで来たものでした。お互いさま、放置はしておかれない問題です。しかしながら、だからといって、彼ら・彼女らに対して「きみは“ぼく”を使いなさいよ。おまえさんは品が無いから“おれ”を使うといいよ。あなたはお転婆だから、相手に対しては“あんた”って言うのがぴったりだよ」などといって、私がそれぞれに見つくろってやる――というようなわけにもゆくはずがないことはもちろんのことでしたし……。

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