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レコード夜話

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半生の レコード夜話

半生の レコード夜話



はじめに

 「レコード夜話」と題して、歌謡曲やらなにやらの歌曲にまつわる話を、少しずつ書きつけて行こうと思っています。

 文中で触れたレコードにあっては、そのジャケットの一部を掲出してみますので、併せてご覧いただき、往時を偲んでいただければと思います。

 補記 劈頭のレコードジャケットは、かつてNHKラジオで放送されていた番組のテーマ曲を、改めて録音した際のものです。

レコード夜話(第17夜)

レコード夜話(第17夜)

●前回には「きれい」という語の使われ方に関わって歌謡曲のなかに見てきたのでしたが、こんどは「美しい」ということばで表現されているケースについて、いくつ触れてみたいと思います。
 「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の」→「あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦+北山修)・「一人で見ている 海の色 美しすぎると 怖くなる」→「魅せられて」(ジュディ・オング)・「ふたりが結ばれた 美しい夜明けよ

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レコード夜話(第16夜)

レコード夜話(第16夜)

●ひとつ曲のなかに「きれい」と「美しい」との両方の語が使われてある曲として、「禁じられた恋」(森山良子)と「恋人たちの港」(天地真理)とを挙げて少しばかり云々してみたのでしたが、「危険なふたり」(沢田研二)にもあって、女性のことを「美し過ぎる」とか「きれいな顔」などと表現してあって違和感はありません。
 しかるに、三田明の「美しい十代」という曲にも、両方の語が使われてありました。タイトルに「美しい

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レコード夜話(第15夜)

レコード夜話(第15夜)

●中国や韓国から引き揚げて来た生徒たちから、疑問が寄せられていたのは「きれい」という語の使い回しに関してでした。日本に来て驚いたのは、以前に住んでいた中国や韓国とは違って、どこもかしこが〈きれい〉だと目に映じたことであり、またいたるところで「きれい」ということばを耳にする――といったことのようでした。
 中国では、我が家の前だけは掃除をする。掃除をするといっても、ゴミは隣の家の方へ押し出しておく。

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レコード夜話(第14夜)

レコード夜話(第14夜)

●また後戻りして、いま少し「日本語ノート」に関して記しておこうかと思います。

 手当たりしだいに歌謡曲を聞きながら、少しでも「これは使えそうだな」とか「ここを拾い出してみたらどうだろうか」などと思うような、日本語として取り上げるに足る観点が有るか無いかで以って、ジャケットを手にして歌詞をつぎつぎと点検してみていたのです。

 とはいっても、私が意を払っていたそんな用途のために詞を書くような作詞家

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レコード夜話(第13夜)

レコード夜話(第13夜)

●私にとっては、なんとなく貴重な存在となっているCDがあります。余人にとっては、ほとんど何の価値もなかろうそれですが、私にとってはそれなりの思い入れの生じるCDなのです。

 それはというならば、前回記したところの飲料メーカーのサントリーが烏龍茶のCFとして、平成4年(1992)にTVで流したなかで歌われていた中国語版の「いつでも夢を」を皮切りにして、その翌年以降にも引きつづいて放映された烏龍茶の

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レコード夜話(第12夜)

レコード夜話(第12夜)

 日本語でやりとりされる背後にある雰囲気を、教室で、私が直接に説明するよりは、歌謡曲でも聞いてもらった方がわかりがいいのではないか――そう考えて試みたことだったのですが、そうした試みはというならば、歌謡曲を〈通訳〉に頼もうとしていたのだとも言い得るかもしれない。

 当時そんなことを思いながらいろいろと歌謡曲を聞いていたのでしたが、なんと、歌謡曲のなかで、そうした〈通訳〉の真似ごとをしているものを

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レコード夜話(第11夜)

レコード夜話(第11夜)

 私が夜間中学の日本語学級担当として着任したのは、昭和46年(1971)のことで、そこでの生徒たちは、中国や韓国から引き揚げて来た人たちが中心だったのですが、後にはブラジルやマレーシアやロシア(当時はまだソビエト連邦)などから来た人もいました。いずれも日本に来たばかりの人たちで、日本語がわからない。せいぜい挨拶ができる程度という人たちがほとんどでした。そうした人たちに対して、さしあたっての日本語を

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レコード夜話(第10夜)

レコード夜話(第10夜)



 歌謡曲を素材にして作りあげようとしていた「日本語ノート」にあっては、いわば「ことばとは何ぞや」というところから始めてありました。何を言いたいのか、何を言っているのかが、相手にちやんと伝わらなくては、コミニュケイションの手段としての役割を果たないのです。そうした当たりまえの事柄に反するかのような曲の実例が、歌謡曲のなかにはちゃんとあるのだから、なんともおもしろいと思わざるを得ません。前回に取り

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レコード夜話(第9夜)

レコード夜話(第9夜)



 こちらが覚えてほしいと思うようなきちんとした日本語は後回しにして、TV番組でなら歌謡曲でなら、そこで使われている日本語を、彼らは比較的容易に覚えてくるのです。そうであるならば、いっそ歌謡曲を授業に取り込んで、それを素材にしたところで日本語の学習をしてみたらどうか。おもしろがってくれて、うまくいくかもしれない。私はそう考えて、己の趣味からは遠かった歌謡曲をあらためて聞き始めたのでした。と、そう

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レコード夜話(第8夜)

レコード夜話(第8夜)



 人称代名詞にあって、自称(一人称)と他称(二人称)の有りようついて、今回も引きつづいて歌謡曲のなかに見てみたいと思います。
 「わたし」と「あなた」の関係が少し崩れて来て用いられると、つまりは多くの場合にあって、男と女の仲が馴れ馴れしくなって……ということになるのだろうけれど、相手をさしていうのも崩れてきて「あなた」は「あんた」になるんですなぁ。そうした関係性のなかにあって、自分をさして言う

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レコード夜話(第7夜)

レコード夜話(第7夜)



 前回には対称(二人称)の代名詞について少しばかり云々してみたけれど、今回も引きつづいてそうした人称代名詞に関して触れてみたいと思います。
 「あなた」という言いが正格なものとしてあり、それを少し崩した言いとして「あんた」がありますが、崩されてあるぶん親しさや馴れ馴れしさもあり、あるいは爛れた雰囲気さえも醸すことがあります。一方で、相手を小馬鹿にしてみたり、突き放すような拒絶の意思を表白するこ

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レコード夜話(第6夜)

レコード夜話(第6夜)



 前回に、対称(二人称)の代名詞としてまず挙げるべきは〈あなた〉という言いである――と記したことでした。そうして、そのような表現がなされてある歌謡曲の例として、小坂明子の「あなた」を挙げてみました。もとより〈あなた〉という呼びかけがなされている曲はとなったら、たとえば「知りたくないの」(菅原洋一)だの「おふくろさん」(森進一)だの「お嫁にいくなら」(安倍律子)だのだのと、無数にあるといってよか

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レコード夜話(第5夜)

レコード夜話(第5夜)



 夜間中学は、いうならば中学校の定時制です。何らかの事由で中学校を卒業できなかった人たちが、あらためて義務教育を受けられるように設置されたものです。今でもあります。ただし、私が勤めていた墨田区の曳舟中学校は、学校そのものが1999年の春をもって隣の中学校と併合されて、校名ともどもに消えてなくなってしまいましたが。
 私が大学を卒業したその年1971年の6月、東京都内の4校のうちの一校として、墨

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