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レコード夜話(第10夜)

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 歌謡曲を素材にして作りあげようとしていた「日本語ノート」にあっては、いわば「ことばとは何ぞや」というところから始めてありました。何を言いたいのか、何を言っているのかが、相手にちやんと伝わらなくては、コミニュケイションの手段としての役割を果たないのです。そうした当たりまえの事柄に反するかのような曲の実例が、歌謡曲のなかにはちゃんとあるのだから、なんともおもしろいと思わざるを得ません。前回に取り上げた森山加代子の「じんじろげ」という曲はそうしたものですが、その上を行くようなシロモノさえもあるんですなぁ。
 ワケのわからない曲などというのは、営利目的のなかにあっては、むやみにあるものじゃぁありません。外国語の歌なら別ですがね。ところが歌謡曲のレコードのなかには、日本製の、外国語もどきのわけのわからない曲などというものもあるのでして、なおさらにおもしろくてある。ザ・ピーナッツの歌っていた「モスラの歌」がそうしたものです。メイドイン・ジャパンの怪獣映画といえば、何をおいても「ゴジラ」ですが、それにつづく人気の映画怪獣として、モスラがいますよね。映画のなかでは、そのモスラは、南洋のインファント島なる島に棲んでいることになっていました。そして、妖精役として登場したザ・ピーナッツが、つぎのような「モスラの歌」を歌っていたのです。
 「モスラヤ モスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥムウ ルスト ウイラードア ハンバ ハンバムヤン ランダバン ウンラダン トゥンジュカンラー カサクヤーンム ……」などと。それゆえに、これはインファント語だということになりましょう。むろんそんな島は実在しないのですから、架空外国語というわけ。なんでもインドネシアのさる島のある種族の話している言語をもとにして作った歌なのだとか聞いたこともありましたが、だとすればそこの人たちには「モスラ」をも含めてワカルものなのでしょうか。もっとも、そんなことはどうでもよくて、ワケのワカラナイ歌として、私としてはこの曲もやっぱりおもしろく思って、今でもときどき聞いているのです。
 そもそもは「あなた」や「おまえ」や「きみ」などをどのように使い分けたらいいのか――といったようなところから思いが行き着いた挙句の試みだったのです。しかるに、そうしたことを少しずつつづけているうちに、せっかくだから日本語の全体を総覧できるようなものはできないだろうか――などと思いが広がって行って、前述のような「ことばとは何ぞや」――というところから始めたりもしたことだったのでした。
 そうなって来ては、あちこちに寄り道もしたりしました。次回に触れようかと思っていますが、文語の表現の含まれた曲までも拾い上げました。また、これもそのうちに取り上げてみようかと思っているのですが、生徒たちから持ち込まれた「きれい」と「うつくしい」との区別の域にとどまらず、ついつい古典などの領域にまで探求が及んで行ったりもしました。そうなっては、自分自身のための勉強の素材にもなって来ていたということだったんですなぁ。
 とにもかくにも、それでもなお私にとっての歌謡曲は、誰が歌っているのかとか、どんなジャンルに仕分けられる曲かなどといった、多くの人たちがそうであるような〈好み〉とは遠いところにあったのでした。あるいは歌われているような世界の内実がワカルかどうかは、さしたる問題ではなかったのでした。日本語の形態として、それなりの要素を持った曲であってくれれば、ひとまずはそれで充分としたことだったのです。文節や単語といった日本語の文の構造を明示してくれるような曲、品詞に関わってはそれらの特徴がよく現れているような表現を含んだ曲、そうしてなによりもことばの使い分けの感得できそうな曲――そういったような歌謡曲を、とっかえひっかえ聞きながら探しつづけていたのでした。もちろん、できるだけおもしろくて味わいがあって、それなりに流行った曲であってくれたならば、それ以上言うことはないというものでしたが。
 そのような作業を、数年もつづけたでしょうか。なかなかの歌謡曲準拠版の「日本語ノート」ができつつあることが、自分のなかに実感できたことだったのです。こんなことは、自画自賛しなくちゃ、誰もほめてはくれない類のものですがね。そうやって体系的になってきた頃合いを見計らって、少しずつ教室で使うようにしてみたのです。あらかじめそれらの曲をマイクロカセットテープに録音しておいて、それを教室で聞かせながら……。

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