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レコード夜話(第5夜)

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 夜間中学は、いうならば中学校の定時制です。何らかの事由で中学校を卒業できなかった人たちが、あらためて義務教育を受けられるように設置されたものです。今でもあります。ただし、私が勤めていた墨田区の曳舟中学校は、学校そのものが1999年の春をもって隣の中学校と併合されて、校名ともどもに消えてなくなってしまいましたが。
 私が大学を卒業したその年1971年の6月、東京都内の4校のうちの一校として、墨田区の曳舟中学校に、日本語学級なるものが特設されました。第二次世界大戦の後も韓国や中国に残っていた人や残されてしまっていた人たち――残留孤児と称されていた人たちが、これから先に日本にどっと引き揚げて来る。そうした人たちやその子どもたちは、日本に来ても日本語がわからないので、当座の日本語を教えてやる場を用意しておこう――といった、そのためのクラスでした。
 それまでは、各学年1学級の普通学級(そう呼称することになった)があったのでした。夜間中学校では、普通学級にあっても中学生の学齢を過ぎた人たちがほとんどだったのでしたが、日本語学級の生徒たちもまた真に中学生であるところの学齢の人たちはまずいなくて、青年ともいうべき人たちが多数を占めていました。なかには私よりもずっと年上の人もいました。
 そうしたなかへ日本語学級の専任教師として着任した私は、毎日毎晩悪戦苦闘するなかで、いくばくかの後に、日本語の習得のための補助教材の一つとして、歌謡曲を素材にしたものを勘案してみよう――と思い立ったのでしたし、さればとて日本語の補助教材を作成することにしたのでした。
 歌謡曲なんぞで何を教えようとしたのか。それでもってちゃんとした日本語がはたして教えられるものか。そんなことをしようとしていたなんて、ずいぶんいいかげんな教師ではないか――などと思われるかもしれない。まあね、私としても多少はそうも認めるけれど、しかし必ずしもすべてが無益とばかりではなかったと、今でも思っているのです。
 一例を挙げてみましょうか。最初に自分をさして言う語として「わたし」を、相手をさして言う語として「あなた」という語を、教室では教えます。で、生徒たちが覚束ない発声ながらも「ワタシ日本来てヨカタ思てるヨ」などと言ってくれれば、こちらとしては〈よしよし、身についてきたな〉なんて思う。たとえそれが二十歳前後の男子生徒であってもですよ。
 しかし当の彼らは、そんなところで満足できませんし、してもくれません。極端に言うなら、教室の外こそが現実の日本なのですからね。
 日本語では、自分をさしていうのに「わたし」があり「おれ」があり「ぼく」などもある。もしも「おれ」と「おいら」と「おら」の違いを説明してください――などと言われたら、どう答えたものでしょうか。相手をさしていう対称(二人称)の代名詞にあっても、たとえば「あなた」があり「きみ」や「おまえ」などがある。また「あなた」と「あんた」も、似てはいるけれども、雰囲気は少し違うように思われる。
 実際の生活のなかにあっては、日本人は、いつでも一つことばではなくて、どんなに少なくても二つや三つは使っていて、それぞれに使い分けているではないか。どこがどう違うのか、どういう場合にはどういうことばを使うのがふさわしいのか――と、実際的にして実践的な疑問を覚えるのだし、そうしたことを知りたいとなるんですね。そうした問いかけをして来る背景には、TVや歌謡曲の存在があったりすることが少なくなかったのでした。
 そこで、そうした呼び方を材にすることのできる曲を探し出して、とりあえず聞いておいてもらおう。説明は後回しにして……と考えたりしたのでした。たとえばのことに、相手をさしていう対称の代名詞としては、やはり「あなた」という言いこそを真っ先に挙げるべきでしょう。そうして、そうとなれば、歌謡曲を聞きながら諒解してもらうのは至便な方法です。取り上げてみたい曲はたくさんありました。中山千夏の「あなたの心に」等々は私の好みの曲だったけれど、副教材には、なんといっても小坂明子の「あなた」こそがふさわしくあるというものでしょう。歌の題名からしてそうですが、その歌われてあるなかでも「あなた」が連呼されてあるのでしたから。
 「もしも私が家を建てたなら …… 子犬のよこにはあなた あなた あなたがいてほしい それが私の夢だったのよ いとしいあなたは今どこに」などと。

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