見出し画像

レコード夜話(第14夜)

●また後戻りして、いま少し「日本語ノート」に関して記しておこうかと思います。

 手当たりしだいに歌謡曲を聞きながら、少しでも「これは使えそうだな」とか「ここを拾い出してみたらどうだろうか」などと思うような、日本語として取り上げるに足る観点が有るか無いかで以って、ジャケットを手にして歌詞をつぎつぎと点検してみていたのです。

 とはいっても、私が意を払っていたそんな用途のために詞を書くような作詞家は、もとより一人としているはずもありませんから、そうしたことは容易ではありませんでした。私が思うようには事は運びませんでした。

●そうしたなかで、唯一あっさりと片づいたように思われたのは、品詞に関わっての視点で名詞に関わってのそれでした。名詞がいくつも並べられてあって、そうした意味で印象にも残って解りやすい曲として、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」があったのです。

 この歌には、固有名詞や普通名詞がブツ切りのように並べられてあるのですが、それが妙味だといった曲ですよね。例えば、1番だけでも次のようにあります。

 「よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース 口笛 女の涙 あの人は 行って 行ってしまった ……」などとあるのです。2番3番にあっても名詞がいくつも羅列されてあって、されば、すぐに名詞を説明するのにあたっての候補として、取り上げたのでした。また実際にも、この曲以上に好適なものは見い出せすことができませんでした。かくて名詞を云々しようというときの恰好の曲になりました。

●動詞に関しては、歌謡曲なればこそ使われていることばには大きな偏りがあって、意味合いという観点からはそれなりの限度があるのはやむをえません。さりながら、ひとまずは活用のしかたなどが諒解できるものであればそれでよい――としておくくらいしかできませんでした。

 そうしたなかで取り上げた曲に、たとえばアグネス・チャンの「ひなげしの花」がありました。レコードに収録されて出て来たのは昭和48年(1973)のことで、ひなげしの花で〈恋占い〉をしている乙女の心情を歌っていて、当時の彼女の風情にいかにもマッチした曲でした。その歌詞にはつぎのようにありました。「丘の上ひなげしの花で 占うあの人の心 …… 来る来ない帰らない帰る …… 愛のおもいは 胸にあふれそうよ 愛の涙は 今日もこぼれそうよ ……」と。

 引用した部分に含まれる動詞は「占う」「来る」「帰る」「あふれる」「こぼれる」の5語。文法的に細かなことをいうならば、これらのうち「占う」だけが他動詞であって、五段活用の動詞です。その他の4語はいずれも自動詞です。自動詞は目的語を必要としないで用いられる動詞であり、他動詞は目的語(~を・に)を伴って使われる動詞です。この曲のなかの「占う」にあっては、直接的な目的語の「~を」は明示されていないけれど、何を占うのかといえば「(来るか来ないか)を」「(帰るか帰らないか)を」ということは容易に諒解できる――という仕立てになっているのですよねぇ。

●活用型でみるならば、「来る」はカ行変格活用動詞であり、「帰る」は五段活用の動詞です。「あふれる」と「こぼれる」は下二段活用型の動詞です。活用型という観点でみれば「来る」ということばは独特な動詞で、私などは「こ・き・く・くる・くれ・こい」と変格活用することを唱えながら覚えた経験があるのです。学ぶ側に立てば「未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形・命令形」のそれぞれを区別するにあたっては、助動詞や体言などを下接させて判別するものなのですが。

 五段活用にしても下二段活用にしても、それらは〈打消しの助動詞〉の「~ない」を下にくっつけてみればいい。「帰る」は曲のなかにあるように「帰らない」となって、ら行の頭の〈ら〉に下接するから五段活用型の動詞。「あふれる」と「こぼれる」にあっては、ともに「あふれない」「こぼれない」となって、ら行の下から二段目の〈れ〉に「~ない」が下接するから下二段活用型の動詞。

 実際には、そんな細々したことをまで云々する必要はなかったのでしたし、むりやり歌謡曲を持ち出して説明しなくてはならないというほどのこともなかったのではありましたがね。それでも、歌謡曲を材にして日本語の文法を寸見することはできる――といったことで、なんとか形を整えることにしたのでした。もとより自己満足に過ぎなかったのではあったのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?