「いれいち」にみる位置のことば


 大相撲の歴史のなかで、最強の力士と言われているのが、信濃の小県郡の生んだ雷電為右衛門である。二三歳で初土俵を踏み、その場所で、いきなり優勝した。四四歳で引退するまでのあいだに、254勝もして、わずかに10敗しかしていない。その敗戦にあっても、相手に不足の下位力士との取り組みに嫌気がさして、前夜に大酒を飲み、二日酔いのままに土俵に上がったからだなどといわれている。勝率九割六分二厘、年に二場所とあるかないかに優勝28回、九場所連続優勝しておいて、翌場所全休してさっさと引退してしまったのだという。
 それほどまでに強豪力士を生んでおきながら、以後の信濃からはこれという相撲取りは……と思っていたら、近時に隣の木曽谷から、久々に大相撲の看板になるような力士が出て来た。御嶽海である。「次の大関」の声が高らかに叫ばれながら、足踏みがつづいているけれど、今後の活躍が期待されるもの大である。
 その大相撲では、勝ちを白星、負けを黒星と呼んでいる。そうしてさらに、全力士の勝ち負けの星ぐあいを一覧表にしたものを、星取表といってもいる。星取表では、勝てば○で、負ければ●であらわすのが通例だが、そんな大相撲の星取表を眺めていると、ときに、勝ち負けのおもしろい星の並びを見ることがある。すなわち、
  ○●○●○●○……
と、勝ったり負けたりが一日おきにつづいていて、当の力士にはせつなかろうが、そこには貫徹したおもしろさと美しさを見い出すことができるのである。このような並びの位置関係を、大相撲の世界では「ヌケヌケ」と称している。
 しかるに、初日から途中まではそうしたことがあっても、たいていはどこまでも続くことがなくて千秋楽に及ぶ。しかし、第二次世界大戦後の十五日制の大相撲にあっては、千秋楽までの十五日間を通してそうなったケースが、五回五人現れたのだという。うちの一人は幕下でのことだったようだけれど、あとの四人はみな十両力士、そのなかには後の横綱の隆ノ里もいて、そのように記録されてある。
  ○●○●○●○●○●○●○●○
 それらはいずれもみな右のような結果になって、千秋楽でめでたく勝ち越しになったのだという。初日黒星で始まって千秋楽に負け越しが決まったヌケヌケは、いまだかつて無いとのことである。してみると全勝で優勝する方がはるかに楽チンなように見える。
 その「ヌケヌケ」なる表現は、相撲の世界にあってのことばである。しかるに、大相撲と縁遠い南信濃には、南信濃ならではのことばがある。飯田弁には、そのような並びのありようを言うことばがちゃんとあって、されば「いれいち」と言って来ている。
*   *   *
いれいち〔ireichi〕〔入れ位置〕【名詞】《低高低低》
 「ほい、見てごらんな、これを」
 「あれまあ、赤カブに白カブかな。こんなもんでも、いれいちにきれいに並べると、おもしいもんだなあ」
 「ありきたりのものでも、ちょっと勘考しただけで、見映えがするっちゅうことだなん」
 「ほんとな。ひとォつやふたァつじゃだめだけぇど、いくつもいれいちにすりゃあ、おもしくなるもんなんだなん」
*   *   *
 「ひとつ置きで交互にある」ような並びを、「いれいち」というのである。
 「市松模様」というのもあるけれど、それは二次元平面的で、上下左右に広がりをもった模様である。「いれいち」のさすところは、単に一次元の直線的な配置模様である。
 このような並び方を、共通語で言おうとすれば、どのようにいうことになるのだろうか。前述の「ヌケヌケ」などは、特殊な業界用語というべきであって、一般的ではない。やまとことばでいうならば、たとえば「かわりばんこ」とか「ひとつおきに」とか「いれかわり」などと言いたいところだろう。漢語でなら「交互に」といったところだろう。だが、いずれも○●○▽○×○●……などの並びであっても、○からして見れば「ひとつおきに」とか「いれかわり」などと言い得るだろうから、意味が拡散したりして、しっくりこないしオモシロクナイ――と私としては思わざるを得ないのである。
 「いれいち」などはというのは、紛れもなく飯田弁ならではことばの一つなのだろうな――と、そう思う。そうした意味での共通語を思い描こうとしてみると、ぴったりしたことばや表現がなかなか思い浮かばないのである。それこそが方言の妙味なのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?