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#スピリチュアル
二元性を超えた世界を知覚し始めて分かってくるもの
コースの内容がさまざまに解釈されていることについて私自身、その学びは今も尚、深化し続けていると言うことができます。
ただ、この私にとって、その学びがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)というスピリチュアリティの枠組みに限定することができなくなっているというのが正直なところです。
それというのも、コースに対する認識が少しばかり変わってきていて、『ア・コース・イン・ミラクルズ』というもの自体
コースは従来のスピリチュアルとは一線を画するものである
コースは心理学であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は純粋な非二元あるいは一元論のスピリチュアリティであるわけですが、そのようなスピリチュアリティは特に東洋に多く見受けることができます。
それらのスピリチュアリティと比べてコースは何がどうちがうのか?というならば、そのもっとも特徴的といえるのが、コースは心理学的な側面から述べられているということが挙げられます。
コースが教えていること
スピリチュアルでいう高次元世界とは
幻想は幻想でしかないスピリチュアルでいう高次元世界とは、いったいどういうものなのでしょう?
非二元から見るならば、それがどんなに高次元、高波動なものであろうと、幻想は幻想でしかありません。
それらすべてが神のひとり子が見ている夢にしかすぎないということです。
つまり、それらは「無」だということです。
それが、純粋な非二元の教え(真理)です。
真理から見るならば、この世界の夢を見ているこ
私たちは自分の内側のどこかで天国の記憶を覚えている
スピリチュアルの探究の旅の果てに私たちは誰もがみんな、自覚していない無意識の深いところでは天国の記憶を覚えているのだといえます。
その記憶とは、私たちは一つでつながっていた(ワンネスだった)というものであり、幸せと喜びに満ち溢れていたというものであり、完全無欠であったという記憶です。
その記憶を覚えているからこそ、私たちは誰もがみんな「幸せ」を探し求めているのだと言うことができます。
言い換
人生の本質に向き合うことはまさに死と向き合うようなもの
安住の地を求めて人生とは何なのか?
その結末は必ず「死」で終わることが分かっているのに、なぜ生きるのか?
そんな人生に意味などあるのだろうか?
何のために生きるのか?
そのような人生の本質的な疑問に対して、もし真剣に向き合うものならば、誰もがとうていまともではいられなくなるといえましょう。
むしろ、馬鹿げたこととして、ほとんどの者が向き合おうとすらしないといえます。
それよりも、この世
二元性の思考体系に洗脳されていることに無自覚な私たち
「脱・洗脳」のスピリチュアリティ「コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶ」という言い方をしますが、何を学ぶのか?というなら、実際は、これまで学んできたものから自由になっていく方法を学ぶのだと言うことができます。
つまり、コースを学ぶことは、何かを付け足していくような学びではないということです。
むしろ、付け足していくような学びとは真逆の道であり、学んできたものを undoing(取り消し)、u
コースは心理学者のチャネリングによって口述されたものであるということ
このコースは、もともと心理学的なコースなのですコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?
ということについて一言で言えば、
コースは、一元論(非二元)のスピリチュアリティであると言うことができます。
そして、コースの特徴のもう一つの側面として知っておくべきことは、コースは心理学(フロイト及びその学派の人々による洞察を土台とした高度な心理学)であるということです。
(参
コースは万人に向けた霊性の道ではない
『奇跡講座』は大衆向きのものではないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが進んでいくにつれて、このコースは万人に受け入れられるようなスピリチュアリティではないということが分かってきます。
この世界の価値観で生きている私たちにとって、つまり、二元性(自我)の思考体系で生きている私たちにとって、コースが教えているその内容はまさに狂気でしかないからです。
というのも、もしその教えを受け入