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人生の本質に向き合うことはまさに死と向き合うようなもの

安住の地を求めて

人生とは何なのか?

その結末は必ず「死」で終わることが分かっているのに、なぜ生きるのか?

そんな人生に意味などあるのだろうか?

何のために生きるのか?

そのような人生の本質的な疑問に対して、もし真剣に向き合うものならば、誰もがとうていまともではいられなくなるといえましょう。

むしろ、馬鹿げたこととして、ほとんどの者が向き合おうとすらしないといえます。

それよりも、この世界の夢の中で展開しているストーリーのほうが彼らにとっては重要なことなのです。

それによって私たちはこの世界の夢の中で、最後には十字架(死)へと向かう「無益な旅」(T-4.In.3:1)をすることになるわけです。

それというのも、私たちの無意識のところでは、人生の本質と向き合うことはまさに死と向き合うことであることを知っているからです。

それと向き合おうとするものならば、理由なき恐怖を覚えることになることを知っているのです。

つまり、私たちはその理由のない恐怖から逃れるように人生を生きているということです。

その恐怖を認識していようがしていまいが、この世界に生きる私たち誰もが心が安まることがないのはそういうことなのです。

そのようにして私たちは、

生きるとは?

人生とは?

という本質的根本命題に疑問を抱くことすらしません。

それでも、ときに、そういうことに疑問を抱く者たちがいます。

そういう者たちは、その疑問に答えを探すべくスピリチュアルの旅に出ることになります。

この世界を超えた本当の平安、本当の幸せ、真実を求めて、真理の探究がはじまるのです。

かくいう私もその一人です。

私も、安住の地を求めて、真理を探究して旅をしてきた一人です。

その探究の旅の果てに、この『ア・コース・イン・ミラクルズ』(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)にたどり着いたということです。


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