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『走り去るロマン』に賭けた夢 連載15 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第5章 デビューアルバム レコーディング編 1974年 ②<初めての “ゴダイゴ” 構想>
74年6月、ジョニーがタケカワにミッキーの話をした3日後に、帰国したミッキー本人からジョニーの元に電話が来る。その翌日にはジョニーはタケカワと、レビュー・ジャパンのスタッフの加藤悠を連れて、磯子にあるミッキーの実家を訪れた。ジョニーは過去にミッキーと面識があり、旧交を温めるのはもちろんだが、タケカワのデモ
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載14 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第5章 デビューアルバム レコーディング編 1974年 ①<74年もデモテープ制作でスタート>
1974年に入り、タケカワは奈良橋と共作した新曲(連載13参照)のデモ録音に早速取り掛かる。『HOME RECORDING DEMO ARCHIVE SERIES』VOL.1の19~22曲目に収録されている4曲分は『TAKE & YOKO』と題され、年始の1月に録音されている。このときは長兄・芳弘が住
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載13 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第4章 レビュー・ジャパン編 1973年 ③<1973年のコンサート活動>
レビュー・ジャパンと契約1年目のタケカワは、東京外大2年としての学生生活との両立もあり、“専属作家”としての活動はのんびりとしたものだったという。たまに会社からの依頼でCMソングのコンペ用に書いたものが不採用になったり、当時100曲ほどあった自作曲のデモテープを事務所に持ち込み、ジョニーに聴かせて感想を訊くぐらいだった。
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載12 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第4章 レビュー・ジャパン編 1973年 ②<タケカワ、レビュー・ジャパンと専属作家契約>
話は1973年春に戻る。同年3月、前年の秋からレコードメーカー各社のディレクターとの橋渡しをしてくれた、ヤマハ音楽振興会の雑誌『ライトミュージック』編集者の大久保光枝からタケカワに電話が来る。
前年に都内の主要7社のレコード会社と交渉決裂に終わっている上に、大久保も結婚のために近々ヤマハを退職する予定だ
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載11 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第4章 レビュー・ジャパン編 1973年 ①<MCA日本支社「レビュー・ジャパン」>
タケカワが二度目の受験生生活を送っていた1972年2月。後にタケカワのプロデューサーとなるジョニー野村は、妻の野村(奈良橋)陽子と共に日本へ帰国する。ニューヨーク滞在中に知り合った、MCA(Music Corporation of America)社長のサルヴァトーレ・T・キャンティア(Salvatore T.
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載10 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第3章 大学1年生編 1971~73年 ③<レコード会社と契約寸前…も?>
都内レコード会社のディレクターと口論を繰り返し、レコードデビューの交渉決裂が続いていたタケカワ。だが例外的に、ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)だけはいい感じで話が進んだ。これまで必ずネックとなっていた、英語詞についても「とりあえず詞の件はおいといて、ぜひレコードデビューの契約をしたい」と同社の制作ディレ
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載08 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第3章 大学1年生編 1971~73年 ①<初めてのホールコンサートを共催>
横浜国大へ入学する前月の1971年3月。古い友人からタケカワに電話が来る。彼は白幡中学時代の同級生で、桐朋学園大学の演劇科に進学することが決定していた。お互いの近況を話しているうちに、その友人から相談を持ち掛けられる。なんでも、武蔵野音楽大学の学生だった彼の姉が、つい先日の卒業演奏会でベートーベンのピアノソナタ第23番
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載06 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第2章 高校生編 1968~71年 ③<初めてラジオ、テレビで曲がオンエアされる>
マネージャー役のクラスメイトがタケカワの楽曲を “売り出し” しようと、「深夜放送で、曲のテープ送ったら流してくれるそうだぜ!」と教えてくれたのが、TBSラジオで深夜24:30からオンエアされていた『パックインミュージック』。ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバー、北山 修が69年4月から水曜深夜のラジオDJ(デ
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載04 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第2章 高校生編 1968~71年 ①<“浦高” 入学>
1968年4月、タケカワは埼玉県下でも屈指の進学校、埼玉県立浦和高等学校に入学する。“浦高” は男子校で、校訓は “尚文昌武”(しょうぶんしょうぶ)。「文を尚(たっと)び 武を昌(さか)んにす」、すなわち「文武両道」の精神が同校の理念である。毎年春に新入生歓迎マラソン(10km)、11月には隣県の茨城県古河市までの“強歩大会”という名称の
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載02 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第1章 誕生~小中学生編 1952~68年 ②<初めてビートルズの音楽に触れる>
小学5年の終わり頃、次兄・光男が買ってきたシングル盤のレコード「抱きしめたい/こいつ(ジス・ボーイ)」(1964年2月5日リリースの日本国内デビュー盤)を聴いたのが、ザ・ビートルズとの最初の遭遇となる。その時点では「別に特別とは思わず、ただうるさいだけでピンとこなかった」というのがタケカワの感想だった。どちらかとい
『走り去るロマン』に賭けた夢 連載01 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第1章 誕生~小中学生編 1952~68年 ①<音楽一家に生まれて>
1952(昭和27)年10月22日、タケカワユキヒデ(本名・武川行秀)は埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)で誕生した。
父の武川寛海は当時のラジオ東京(現・東京放送=TBS)の制作部第二課長、なおかつ同年に開学した上野学園短期大学の専任助教授にも就いていた。現在の裁判官にあたる判事を務めた武川佳海の息子であり、後にクラシッ