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“俺、GODIEGO、好きだナ”

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  • 『走り去るロマン』に賭けた夢(ロマン)

    2025年1月、レコードデビュー50周年を迎えるタケカワユキヒデ(ゴダイゴ)。そのデビュー作『走り去るロマン』への道のり、そしてゴダイゴ結成までを詳細に綴る連載。週1回更新予定。

最近の記事

『走り去るロマン』に賭けた夢 連載10 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

第3章 大学1年生編 1971~73年 ③<レコード会社と契約寸前…も?> 都内レコード会社のディレクターと口論を繰り返し、レコードデビューの交渉決裂が続いていたタケカワ。だが例外的に、ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)だけはいい感じで話が進んだ。これまで必ずネックとなっていた、英語詞についても「とりあえず詞の件はおいといて、ぜひレコードデビューの契約をしたい」と同社の制作ディレクターが提案してきた。 「契約書を見せてください」と言うタケカワに対し、ディレ

    • 『走り去るロマン』に賭けた夢 連載09 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

      第3章 大学1年生編 1971~73年 ②<第2回『TRECNOC』で東京に進出> ワンマンの自主コンサート『TRECNOC』の、2度目の開催を決定したのは72年5月。日程は7月22日(土)、会場はこれまでの浦和市内から東京に進出し、千駄ヶ谷の日本青年館ホール(77年に解体された初代の青年館で、ホール収容人数は1,000人程)を手配。準備期間2か月、バンドメンバーはまだ集まってない上に、楽曲も構想だけでまだ完成しておらず練習以前の話。リハーサルの場所を借りるお金もなく、大き

      • 『走り去るロマン』に賭けた夢 連載08 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

        第3章 大学1年生編 1971~73年 ①<初めてのホールコンサートを共催> 横浜国大へ入学する前月の1971年3月。古い友人からタケカワに電話が来る。彼は白幡中学時代の同級生で、桐朋学園大学の演劇科に進学することが決定していた。お互いの近況を話しているうちに、その友人から相談を持ち掛けられる。なんでも、武蔵野音楽大学の学生だった彼の姉が、つい先日の卒業演奏会でベートーベンのピアノソナタ第23番「熱情(アパショナータ)」を第一楽章しか弾かせてもらえず、全楽章を披露する機会が

        • 『走り去るロマン』に賭けた夢 連載07 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          第2章 高校生編 1968~71年 ④<初めてのレコードデビュー話> 石川鷹彦との交流によって、思いがけない話が飛び込んでくる。石川の友人のミュージシャン、麻田浩から持ち掛けられた、レコードデビューのスカウトだ。 麻田は明治学院大学在学中の1963年に、マイク真木らとカレッジフォークのグループ “モダン・フォーク・カルテット”(アメリカで同時期に活動していた同名グループとは別)を結成。67年に1年間の単身アメリカ放浪を経て帰国し、71年にCBSソニーからレコードデビュー。

        『走り去るロマン』に賭けた夢 連載10 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

        • 『走り去るロマン』に賭けた夢 連載09 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

        • 『走り去るロマン』に賭けた夢 連載08 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

        • 『走り去るロマン』に賭けた夢 連載07 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

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        • 『走り去るロマン』に賭けた夢(ロマン)
          11本

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          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載06 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          第2章 高校生編 1968~71年 ③<初めてラジオ、テレビで曲がオンエアされる> マネージャー役のクラスメイトがタケカワの楽曲を “売り出し” しようと、「深夜放送で、曲のテープ送ったら流してくれるそうだぜ!」と教えてくれたのが、TBSラジオで深夜24:30からオンエアされていた『パックインミュージック』。ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバー、北山 修が69年4月から水曜深夜のラジオDJ(ディスクジョッキー=現在のラジオパーソナリティ)を担当しており、リスナーからの自作

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載06 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載05 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          第2章 高校生編 1968~71年 ②<夜の店を転々と> 高校1年の2学期から始めた、金町のサラリーマンコンパでのアルバイトは、わずか2か月半で「店を改装するから」と一方的にクビを告げられていた。またも彼らバンドの演奏場所がなくなり、練習バンドに逆戻りする。 69年当時はまだ、首都圏ですら現在のようなライブハウスというものがなく、ジャズ喫茶(ジャズのレコードをBGMで流す純喫茶とは別物)やゴーゴーホール(ディスコティーク)など、箱バンの演奏がある業態の店が、現在で言うとこ

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載05 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載04 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          第2章 高校生編 1968~71年 ①<“浦高” 入学> 1968年4月、タケカワは埼玉県下でも屈指の進学校、埼玉県立浦和高等学校に入学する。“浦高” は男子校で、校訓は “尚文昌武”(しょうぶんしょうぶ)。「文を尚(たっと)び 武を昌(さか)んにす」、すなわち「文武両道」の精神が同校の理念である。毎年春に新入生歓迎マラソン(10km)、11月には隣県の茨城県古河市までの“強歩大会”という名称のマラソン大会(50km)という過酷な恒例行事もありながら、生徒の自主性を尊重した

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載04 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載03 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          第1章 誕生~小中学生編 1952~68年 ③<ビートルズのコピーバンドとして始動するまで> 楽器初心者が集まったバンドだったため、アンサンブル以前に各々が楽器を弾けるようになるところからのスタートである。練習は毎週日曜、メンバーの家の物置が練習場所。ドラム購入前は椅子を叩いてドラムの代わりにしていた。タケカワは少しギターを弾けて、練習曲の各パートの耳コピ(聴音)は得意なものの、他人に教えた経験がないのでなかなか進まない。ほんの数小節のフレーズをタケカワがギター担当のメンバ

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載03 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載02 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          第1章 誕生~小中学生編 1952~68年 ②<初めてビートルズの音楽に触れる> 小学5年の終わり頃、次兄・光男が買ってきたシングル盤のレコード「抱きしめたい/こいつ(ジス・ボーイ)」(1964年2月5日リリースの日本国内デビュー盤)を聴いたのが、ザ・ビートルズとの最初の遭遇となる。その時点では「別に特別とは思わず、ただうるさいだけでピンとこなかった」というのがタケカワの感想だった。どちらかといえばA面よりB面の「こいつ」の方が好きだったという。当時、家族が所有するステレオ

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載02 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載01 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          第1章 誕生~小中学生編 1952~68年 ①<音楽一家に生まれて> 1952(昭和27)年10月22日、タケカワユキヒデ(本名・武川行秀)は埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)で誕生した。 父の武川寛海は当時のラジオ東京(現・東京放送=TBS)の制作部第二課長、なおかつ同年に開学した上野学園短期大学の専任助教授にも就いていた。現在の裁判官にあたる判事を務めた武川佳海の息子であり、後にクラシック音楽評論家、ベートーベンの研究家としても知られている。ラジオ東京に入社前は19

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載01 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載00<序文>

          『走り去るロマン』に追い求めた夢を探求する シンガー・ソングライター、そしてゴダイゴのリードヴォーカリストとして活躍する、タケカワユキヒデがレコードデビューを果たしたのは1975(昭和50)年の1月。全曲英語詞のオリジナル楽曲12曲を収録したアルバム『走り去るロマン』("PASSING PICTURES")のリリースから、来年2025年で50周年を迎えることになる。 タケカワは、自身のデビューアルバムについて、かつてこう語った。 “『走り去るロマン』には、たくさんの宝物が

          『走り去るロマン』に賭けた夢 連載00<序文>

          短編記録映画『Godiego CELEBRATION ‘79』(1979年4月8日 日比谷野外音楽堂)から見えてきたいくつかのこと。Part.1

          ゴダイゴ『西遊記~シン・ミックス~』(UHQCD 2枚&DVD1枚)が先日11月24日、満を持してリリースされた。https://note.com/abcde_kimochi/n/nc38f863b936f 今回初めてソフト化された、1979年4月8日(日)の日比谷野外音楽堂コンサートの模様を収録したDVDを早速視聴したが、あっと驚かされたのがこれが短編映画の体裁だったこと。冒頭のカウントダウンフィルムから始まり、航空機着陸~メンバーが帰京(おそらく、九州ツアーから戻った4月

          短編記録映画『Godiego CELEBRATION ‘79』(1979年4月8日 日比谷野外音楽堂)から見えてきたいくつかのこと。Part.1

          ゴダイゴ “伝説の” 日比谷野外音楽堂コンサートが遂にDVDとして商品化!(私的解説&宣伝文)

          2021年11月24日(水)にリリースされる、ゴダイゴの『西遊記~シン・ミックス~』(UHQCD 2枚&DVD1枚)に、1979年4月8日(日)に行われた “伝説の” 日比谷野外音楽堂コンサート(以下、野音公演)のフィルム映像が収録されることが決定した。ゴダイゴの人気絶頂期のコンサートの中でも、野外会場で暴風雨の中決行された模様は当時の音楽雑誌等にも掲載されたものの、一部分の映像を除き(1979年10月に劇場公開された映画『マジック・カプセル』で、「ビューティフル・ネーム」の

          ゴダイゴ “伝説の” 日比谷野外音楽堂コンサートが遂にDVDとして商品化!(私的解説&宣伝文)