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『走り去るロマン』に賭けた夢 連載10 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

第3章 大学1年生編 1971~73年 ③

<レコード会社と契約寸前…も?>

都内レコード会社のディレクターと口論を繰り返し、レコードデビューの交渉決裂が続いていたタケカワ。だが例外的に、ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)だけはいい感じで話が進んだ。これまで必ずネックとなっていた、英語詞についても「とりあえず詞の件はおいといて、ぜひレコードデビューの契約をしたい」と同社の制作ディレクターが提案してきた。

「契約書を見せてください」と言うタケカワに対し、ディレクターは「本当はいけないんですけどね」と契約書を見せる。一通り読んだものの、専門用語が多すぎて理解が追い付かない。タケカワは熟読するために契約書を借りられないかと聞いたところ、「社外秘で本当は渡しちゃいけないものなんだけど…」と難色を示されたが、コピーを取って渡してくれた。もちろん、内密を前提としてだった。

その晩、タケカワは契約書のコピーを何度も読み返してみた。何か所か納得できない部分がある。要はやたらとアーティストを拘束したがる内容だったのだ。ふと、自分の父の寛海がかつて日本コロムビアに制作ディレクターとして勤務していたことを思い出す。父ならこの手の契約内容について詳しいのではないか― タケカワは書斎にいた父親に質問をしようと、契約書のコピーを渡した。

契約書の表に印刷された、“ビクター音楽産業 専属契約書” の文字を見た、父親の表情が一変した。
「オマエ、こんなものどっから持ってきた!」
「見た通りビクターの契約書で、ディレクターから預かったんだよ。それがどうしたの」
「こんなもの、ホントに持ってきたのか! まったくどうなっているんだ!」
寛海はその剣幕そのままに、電話の受話器を手にすると、その相手にまくし立てた。
「おい、お前の会社はどうなっているんだ。俺の息子がお前のところの専属契約書を持って来たぞ、契約書の管理はどうなっているんだ!」
電話の相手はビクター音楽産業の取締役で、寛海がコロムビア在籍時からの旧知の間柄だった。

タケカワはその電話の様子を呆然と見つめていたが、電話が終わって父親の剣幕の理由がようやくハッキリした。寛海がコロムビアに在籍していた戦前、戦中の時代は、専属契約を結んだ歌手は生涯に渡って収入の保証がされるほどの内容だったという。そのため他のレコード会社での録音を禁じており、契約期間も生涯を通じて有効というものだった。当然のことながら契約書自体も社外秘で、銀行の貸金庫のスペースで署名をしてそのまま金庫に保管するぐらいの重要書類。寛海が激怒したのは、「息子がまさかレコード会社を騙して契約書を持ち帰ったのではないか?」という誤解が招いたものだった。

だが、それから既に30年が過ぎていた。契約書を厳重管理する慣習は残っていたものの、レコード会社と歌手との間の契約にはかつての拘束力や保証もなく、「今どきの契約はレコードが売れなければ一円にもならない」ということを寛海も理解して、ようやく怒りも鎮まった。

タケカワ親子間での紛糾は収まったものの、当然ながら次のトラブルが起こる。寛海からの電話を受けたビクターの取締役から、タケカワに契約書のコピーを内密で渡したつもりの制作ディレクターに対し、直々に厳重注意が与えられる。当然ながら、レコードデビューの話はご破算となった。

「そのディレクターはケチョンケチョンに怒られちゃってね。それで私の話はナシよ。あったりまえじゃん(笑)? それ以来、親父には相談しなくなったの。一つ潰されたからね完全に(笑)。(中略)そういう風に親父が、慌てた為に、私はもしかしたら、ビクターのアーティストになっていたかもしれないんだけども、ダメだった、という事なんでございます。だからまぁ、何やってもダメっていうのがあったので…あっ、全部親父のせいじゃないよ(笑)、親父のせいなのはこれ1個だけだからね(笑)。」

タケカワユキヒデ・ファンクラブ会報『T-time』vol.39 P.6/2005 アメニティ

<“ピアノ弾き語り” スタイルへの変化>

話は前後するが、タケカワが外大に入学した72年4月、ギルバート・オサリヴァンの「アローン・アゲイン」が日本でリリースされる。哲学的な詞をピアノの弾き語りで歌う彼のスタイルに、当時のタケカワはかなりの衝撃を受けたという。

それまでのタケカワの演奏スタイルを振り返ると、中学~高校のビートルズのコピーバンド、または大学に入学以降の『TRECNOC』で結成したバンドではポール・マッカートニーばりにベースを演奏しながらのヴォーカル。そしてコピーバンドを解散した高2の夏以降は12弦ギターでの弾き語り(横浜国大1年時『ピアノと演劇とタケの夕べ』も同様)だった。

タケカワが初めて、ピアノだけの弾き語りをトライしたのが高校1年の春。ビートルズの「レディ・マドンナ」(1968)をコピーしようとするも、イントロのピアノを左手で上手く弾けず、イントロからの歌い出しも大苦戦しながら完全コピーした思い出があるという。その後、17~19歳まで音大受験対策でクラシックピアノを練習してきたこともあり、ギターからピアノの弾き語りへ移行するのがちょうどこの72年。それまでは、作曲するときは頭の中に浮かんだメロディを手書きの五線譜に落とし込んでいたのが、ピアノを弾きながらメロディを紡いでいく工程となり、自然とピアノ弾き語りに即した楽曲になっていった、とタケカワは述懐している。

加えて、タケカワが「アローン・アゲイン」に衝撃を受けたのはその詞。当時の彼は英語詞の韻律にかなりこだわっており、「アローン~」があれだけの哲学的な内容ながら詞の中の単語がしっかりと韻を踏んでいることに感銘を受けたという。また、ライブの演出でもオサリヴァンのファーストアルバム『ギルバート・オサリヴァンの肖像』("HIMSELF"、1971)のA面冒頭「ギルバートのはじめのごあいさつ」("INTRO")を真似て、"Ladies and gentlemen," とメロディに乗せて自己紹介していたほどだった。

余談だが、この頃にソロでライブ喫茶の前座に出演したタケカワが、同じ調子で "Ladies and gentlemen," のイントロから自身の楽曲を歌い始めた。同じ公演の対バンだった “キャプテンひろ&スペースバンド” のリーダー、つのだ☆ひろがタケカワの歌を聴き、「ユー、歌上手いね! 俺と一緒にやらない?」とバンド加入を誘ったエピソードがある。ソロ志向のタケカワは「バンドに興味ないんですみません」とつのだの申し出を断ったが、後年ゴダイゴが『西遊記』でブレイクを果たした後に二人は再会。つのだから「オマエ、ウソ言ったな! バンドやってるじゃん!」とツッコミを受けたという。

<72年11月録音のデモテープ>

ピアノ弾き語りスタイルへの移行が分かる音源が、72年11月に録音されたデモテープ『YUKIHIDE TAKEKAWA』。当時の知り合い(ヤマハ『ライトミュージック』編集スタッフの大久保光枝と思われる)から、デモテープをイギリスのプロデューサーに送りたいと言われて録音したものらしい。連載06で紹介した“デモシリーズ” VOL.1の収録曲、13~18曲目までの6曲が『YUKIHIDE TAKEKAWA』からのセレクションとなる。同デモは前述の友人、山口泰孝の自宅で録音されたもので、2台のテープレコーダーで録音したパートをダビングして完成させた。この6曲でタケカワは山口の自宅の応接間にあるピアノをプレイ。ギターはこの年の『TRECNOC』に参加した大学の友人、水上かつみが弾いていた。

上記の備考は、同CDのライナーノーツ P.P 2~7 を参照・引用

のちのデビューアルバム収録曲としては、「TRULY ME」の原曲となる「IF YOU WANT TO FEEL」と、小山條二が作詞した「FRAGMENTS」の二曲のメロディがこの時点でほぼ完成している。後章で詳述するが、デビューアルバム制作の過程で奈良橋陽子がタケカワの原詞を大幅にリライトする中で、この2曲は比較的に原詞の要素がしっかりと残されているのが興味深い。前者はまさにレコード各社で交渉決裂が続く中での苛立ちや、「自分の感じたものすべてを表現したい」という気持ちを詞にぶつけた曲。当時、葉巻を嗜んでいたことから "a cigar in my mouth" (「TRULY ME」では "cigarette" に変更)、横浜国大で英語劇の授業を受けた時の脚本から引用した "silence reigns" といったフレーズに、当時のタケカワのアイデアを垣間見ることができる。

『YUKIHIDE TAKEKAWA』収録のデモ音源で特筆したいのは「GENIUS」。ごくシンプルなピアノ弾き語りのスローナンバーだが、多重コーラスとファルセットを交え、Cメロをアカペラとハンドクラップで展開しており、楽曲としての完成度も高い。デビューアルバムの選曲から漏れたのが実に惜しいが、ジャズ出身の女性シンガー、安田南が75年に制作したアルバム『SOME FEELING』(発売は77年4月)に提供。安田が日本語詞を書いた「OH MY LIDIA」として収録されている。

安田南『SOME FEELING』(1977)。タケカワがデビューする前の74年1月12日、安田のライブ(銀座ヤマハホール)にゲストヴォーカルとして出演もしている。 ※画像は復刻CD盤(筆者所有)、サブスク未解禁

<デモテープ録音に参加した女子高校生>

翌73年の正月。年末年始はずっと曲作りに明け暮れる日々を送っていたが、自分で納得のいくような一曲が出来上がる。タイトルは「CAN’T GET YOU」、デビューアルバム収録の「LUCKY JOE」の原曲である。タケカワはピアノ、ギター、ベース、ドラムの各パートの譜面を一気に書き上げたものの、自宅のオープンリールでは多重録音できないことに気付く。前年秋に「GENIUS」を録った際、ダビングを重ね過ぎて音質が籠り、暗い曲調に聞こえた苦い経験があったのだ。

タケカワは旧知のギタリスト、石川鷹彦の自宅スタジオなら4チャンネルの多重録音ができることを思い出す。しかも、石川のギターなら凄いデモが出来ると思い立ち、正月三が日の1月3日に訪問する約束を取り付けた。

当日の昼過ぎに石川宅に到着するとすぐさま、二人は譜面を元に録音の打ち合わせを始める。ドラムセットを購入したばかりの石川はギターとドラムを担当。タケカワはピアノとベース。以前までは石川のスタジオで録音の際は受け身だったタケカワが、この時は石川をリードして録音を進行させた。まずは石川のドラムとタケカワのベースを録音。そのリズムトラックに合わせてタケカワのピアノをダビング。そして石川のエレキギターを録音しようとした際に、ひとりの来客が石川宅を訪れた。

ストレートの髪を肩まで伸ばした、丸顔のぽっちゃりした女の子。時折スタジオに遊びに来ている、国立音大附属高校の3年生だと石川の妻から紹介される。しかし録音に集中していたタケカワは「どうも」と素っ気なく挨拶をしただけで、録音作業に戻った。その高校生も石川と少し言葉を交わし、「いいんです、待ってますので」と部屋の隅で、二人のデモテープ録音を見つめていた。

そんな中、エレキギターの録音に悪戦苦闘する。タケカワが書いた譜面の、Bメロでのオブリガートのフレーズが細かく、なおかつギターの指使いとも違うため、さすがの石川をもってしても弾けないと言う。タケカワがそのフレーズを説明しようと、ピアノで再現しようとするが、やはりフレーズが速すぎて弾くことは叶わなかった。

そういえば、さっきの女の子、音大附属高校だったな…と思い出し、声を掛けた。
「ねぇ、ピアノ弾ける?」
その高校生は譜面を初見で、しかも速いフレーズをいとも簡単に、そして上手く弾いてみせた。それを手本に、石川はギターの録音を再開。高校生はもっとピアノを弾きたそうな、不満げな表情をしていた。

失敗を繰り返しながらもギターを録音し、ヴォーカル録りも完了。残すはサビのコーラスだけになり、これまでずっと待たせていた罪滅ぼしと、さっきのピアノのお礼に、高校生にもコーラスに参加しないかと誘ってみた。彼女はその日初めての笑顔を見せた。

石川、タケカワ、そして高校生の3人で歌った三部コーラスをサビに重ねて、ようやくデモ録音は完成。昼過ぎからスタートしたのが、いつの間にか夜の23時になっていた。

西荻窪から浦和までの終電に遅れないように、駅まで急いで帰ろうと支度するタケカワに、「私は自宅が近いから、自転車で送ってあげる」と申し出る高校生。助かった!と思いきや、彼女は自分の自転車の荷台にさっさと座っていた。

駅までとはいえ、二人乗りでペダルを漕ぐ破目になったタケカワ。息を切らしながら、初めて彼女と身の上話を交わした。

「ねえ、おにいさん、なにをしているの?」
 西荻窪の駅に行くまでの道のりで、彼女が僕に訊いた。
「今は…大…学生、だけど、ハアハア…そのうちに…ハアハア、すごいことを…ハア、するんだ」
 僕は、息を切らせながら言った。
「すごいことって、どんなこと?」
僕はまた、息を切らせながら言った。
「音楽…で…ハアハア、世界…ハア、征服、する…んだ」
「へぇーっ。すごいんだね」
彼女はこともなげに返事をした。
「だから…僕のこと…ハアハア、を覚えて…いて…何年後…ハアハア、かなにかに、ハア…きっと有名、に…ハアなる、から」
僕が言った。
「うん」
彼女は返事をした。

『サラダな家族』PP.151-152 タケカワユキヒデ著/1995 実業之日本社

駅で別れ際、二人は連絡先を交換する。メモ用紙にお互い自分の名前と電話番号を書き、半分に切り離したメモを彼女に渡した。帰りの電車の中、ポケットに入ったメモを見たら自分の筆跡で書かれた自分の名前と電話番号だった―というエピソードが残っている。

後日改めて、石川を通じてようやく知った、その音大附属の女子高校生の名前は、石井敦子。後のタケカワ夫人だが、実際に二人が交際を始めるのは正月のデモテープ録音から1年以上も後のこととなる。

「この不思議な少女が、今年(筆者註:2022年)結婚45周年を迎える僕の妻で、この時のデモテープがキッカケで、後に僕はデビューアルバムにたどりつくことになります。石川さんには、一生ものの大きな幸せ、一生の伴侶とアーティストとしてのデビューの二つをもらったことになりました。それも、たった一日で。」

『石川鷹彦 LIFE~昨日・今日・明日~』P.66/2023 石川鷹彦 LIFE 出版委員会


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