[私たちのエコロジー展]第1章 森美術館-帆立貝は粉砕され,人造人魚は海洋をゆく
10月18日「森美術館開館20周年記念展私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために 環境危機に現代アートはどう向き合うのか?」開催(2024年3月31日まで)。
ゲスト・キュレーターによる講演会も含め、18日と19日に行ってみたのだけれど、鑑賞したのは第2章まで。そこまででもかなり見応えがあった。
本稿では、第1章を紹介していく。
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ハンス・ハーケ《無題(1968-1972/2019年)》
一作目は、写真作品から。
拡大して見ていく。
組み写真でもない写真群が壁に展示されている、その「状況」をさらっとなぞっただけで通り過ぎてしまった。これから何度も訪れることになるので、「構造」を読み解いていくのが楽しみな作品だ。
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ニナ・カネル《マッスル・メモリー(5トン)》
会場には、薄いものが割れる、かちゃかかちゃ、しゃらしゃら、という高い音が響いていた。音の源は、このインスタレーションから。
靴に関する注意文を読んで(スニーカーなので問題ない)足を踏み入れると、足元で脆いものが割れていく感触と、音が響く。罪の意識を感じながら、だんだん大胆に、あちこち歩き回る。
足元。
早めに「種明かし」してしまうと、
ほぼ初日なので、貝殻はまだ貝殻の形をしているわけだけど、
来年3月末の展示終了までには、いい感じに粉砕され、粉に近づいていくのだろう。
北海道から、5トンの貝殻が六本木まで運ばれる様子を想像した。それらが搬入され、敷き詰められ、そして予想もせずに踏み潰すことになる鑑賞者たち。物量と時間をかけたインスタレーション。
なぜか、違う貝殻が紛れ込んでいるのもほほえましい。
間を置いて訪れるならば、時間の経過を鑑賞することにもなる。
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セシリア・ヴィクーニャ《プレカリオス(不安定なもの)》
これはいったい、何を意味するインスタレーションなのだろうと、美術館の空間の中でさえ、人々の動きに合わせてゆらゆら揺れる作品を観ていた。
不安定なものたちのバランスそのものが、作品なのだと知った。
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エミリヤ・シュカルヌリーテ《時の矢》
思わず没入してしまったのが、まるで映画館のような巨大なスクリーンに映し出されていた16分ほどのフィルムだ。
順を追って紹介していく。(「見てのお楽しみ」にされたい方は、飛ばしていただければ。現場で驚くのも、よいと思う)
人ともジュゴンとも見える生物(のような存在)が、海らしき場所を泳いでいく。カメラは海面を大きく俯瞰する。
やがてそれは海面から潜水をはじめ、
海に沈んだ遺跡らしきものが映し出される。
大画面に突然映し出される、海中の蛇。蛇は本作のキー的な存在だ。
カメラは海中へ。
見えてくるのは。サーバー的ななにか? SF映画のような美しさだ。
カメラは海を出て、山岳地帯へ。
ケーブルが雪の大地に延々と伸びている。
建物の中に入れば、管制室らしき無人の空間に、やはり蛇が。
やがて、カメラのアングルはまた上空からの俯瞰に戻り、
海洋のカットに戻る。
これは……。と考えつつも、映像が美しいので、何度か繰り返し鑑賞して、最後に説明を読んでみた。
泳いでいるのはサイボーグとも解される人魚、蛇はやはり知恵と悪の象徴……というように、やはり映像を鑑賞してから、予想との答え合わせをしているらしい鑑賞者を何人か見かけた。
オリジナルの「軍手」とともに
ショップで、オリジナルの「軍手」を買った。作りがしっかりしているので、手袋としてこれから使おうと思う。
メンバーシップの会員なので、これから覚えるくらい、作品たちを鑑賞することになる。10時の開館直後にも、22時の閉館間際にも訪れて、作品たちの中にじっくり入っていくつもりだ。
まずは1回につき1章ずつ、撮った写真をこのようにして記録していこうと思う。
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