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【写真】直島 ベネッセハウス ミュージアム②地階


 ベネッセハウス ミュージアム、地階。

 地階とはいえ、山の頂上に位置するため、陽光が射し込み、眺望も格別だ。



ブルース・ナウマン「100生きて死ね」1984年

 最も展示スペースが割かれているのが本作。地階~2階までの吹き抜けに展示されている。

 1階から、ガラス窓越しに見下ろすとこんな感じ。

 このようにスロープを下っていくと、

 椅子の前にふしぎな巨大な箱が鎮座し、ネオン管で造られた文字が、ランダムに点灯していく。

 「OO and DIE」「OO and LIVE」という、シンプルでどこか響くメッセージが浮かんでは消える。定期的に一列が灯り、全部が灯り、また同じ流れが繰り返される。

 本作はサザビーズのオークションで購入され、1993年にこの場に設置された。展覧会のオープニングにあわせて点灯させる予定が、電気系統のトラブルに見舞われて四苦八苦した、というエピソードが、「直島の仕掛け人」である秋元 雄史氏の『直島誕生――過疎化する島で目撃した「現代アートの挑戦」全記録』にある(110頁)。


 ベネッセハウスを訪れたとき、最も時間を過ごすのがこの作品の前だ。

 一時的に混み合うことはあるものの、来訪者は旅程に沿って行動しているので、人の波はすぐに引く。空間が無人となり、遠くから響く人の声が聞こえるくらいの静けさに包まれる。

 その中で「OO and DIE」「OO and LIVE」のメッセージを延々と見続けると……瞑想をしているような、自分の中を探索しているモードになる。


柳幸典「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム1990」1990年


 砂で描かれた万国旗。よく見れば、細いチューブでつながっている。

 近づいてじっと見ると、虫食いのような無数の線と穴がある。

 アリたちが作品を自由に動き回り、巣穴を掘り続けているのだ。つながった万国旗は、ひたすら巣食われていくことになる。

 アリの様子は、カメラで記録されている。

 本作を初めて鑑賞したのはずいぶん前、森美術館の展示だ。

 自分にとって、現代アートを意識した頃に出逢った作品で、とても思い出深いし、コンセプトから想うことは無限だ。良い作品を入口にできたことを幸せに思う。


ジョナサン・ボロフスキー「3人のおしゃべりする人」1986年

 「人」が、なにか喋っている。

 鑑賞者がいても、いなくても。
 その言語は意味不明だ。

 この「人」は、前から知っている。昨日も「見てきた」。

 東京オペラシティタワーの中庭には、ジョナサン・ボロフスキーの「Singing Man」がいる。巨人だ。

 巨人は、空に向けて、楽しそうに唄う。通りがかりの人が足を止める。

 この2作品によって、東京と直島が線で結ばれたような感覚を覚える。


宮島達男「Counter Circle No.18」1993年

 光をおさえた空間。

 このようにサークルがあり、

 ひたすら、数字が刻まれていく。

 宮島作品は、直島の「家プロジェクト」にも。

 アーティスト宮島達男については、下のblogが興味深い。宮島作品は、この数字のカウント、というイメージが強いのだけど、それにいたる道程を辿ることができる。

 そして宮島作品を鑑賞して浮かび上がってくる数々のキーワードについて、「なるほど、だからなのか」と深めることができる。


杉本博司「タイム・エクスポーズド」1980-97年

 安藤忠雄建築の特徴的なコンクリート壁に、写真作品が展示されている。屋外だ。

 「なぜ屋外に?」の理由ついては、このblogがわかりやすい。


 杉本博司作品はとても好きだ。本も何冊か読んでいる。

 でもそれはわたしにとっては難解すぎる。作家の教養が幅広くかつ深すぎて、そのアウトプットについて、どこまでもどこまでも「追いつけない…」という絶望感に駆られたりもしている。

 直島「家プロジェクト」にも、作品「護王神社」がある。


 そしてベネッセハウスには、写真作品と「護王神社」の模型が展示された「杉本博司ギャラリー 時の回廊」が設けられている。「硝子の茶室『聞鳥庵』」を前に、カフェで抹茶とお菓子も楽しめる。


 六本木・森美術館の展示でも、杉本作品に出逢えた。


 いつか考察しようしようと思いながら、まだまだ足りない。江之浦測候所にも、行ってみなければならない。

 ただ、それにはステップがあって。

 今はまだ、作品と展示の美しい風景を紹介するにとどめる。

随分長くなってきたので、続きは追って。




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