思い込みを振り払いつつある。


思い込みを振り払いつつある。

母と娘(私)の関係についてだ。

過去のnoteにもちらほらと書いた気がするけれど、私たち母娘は仲が良いのか悪いのか、よく分からない関係だった。

いや、仲は良い。
周りにもよく言われるけれど、それは多分社交的で献身的な母親からのアプローチが常にあるからで、
それに私は都合の良い時だけ存分に甘えて、楽しくおしゃべりすることもお出かけすることもよくあったからだと思う。

反抗期といえばそれまでかもしれない。
でも、どこか裏切られた気持ちを抱えながら、自分に対しても、母に対しても、許せない気持ちを心の隅に隠して、楽しくやってきた。

私の反抗期は大学生になってからのこと。
自分のやりたいことが目の前にあり、交友関係も広がってきた頃、母の更年期が始まると同時に、母に対してだけ始まった。
2週間前に27歳になった私は、やっとその出口に導かれた気がする。

1番大きかったのは私の結婚。
留学以外で初めて実家を離れる生活。
外交的な母と、内向的な私には
これぐらいの距離感がちょうど良いみたい。

披露宴では、“恒例の”といえば急にチープになるけれど、両親へ感謝のことばを伝える時間も頂いた。

お祝いの場、且つ家族以外の面前にも関わらず、
ごめんなさいを伝えずして感謝を伝えることはできなかったし(母の日や誕生日の手紙でも常々ありがとう<<<ごめんなさいだった)

式用に短くした手紙では自分の中で消化しきれず、ここぞとばかりに長い手紙を後日渡した。母親に対しては、“感謝”というより、誤解を解きたい気持ちが大きかった。

お母さんは、だめなお母さんじゃなかったよ。嫌いなんかじゃ無い、本当は大好きで、いつも家族に惜しみなく愛を注ぐ姿を、娘としても、愛する人の妻としても尊敬してる。

あらたまる雰囲気が苦手な家族だからこそ、人生の大きな決意表明の日に想いを伝えられたこと、それに対して涙で応えてくれたことも、自分の中で良い罪滅ぼしになった。


結婚してしばらくして、母方の祖母が倒れた。
入院生活を経て、自立した生活はできないと見かねて、私のいない家で、父、母、祖母、とペットの犬との共同生活が始まった。

これに関しても色々と想い巡らすことがあるけれど、ひとまず母だけに焦点を当てると、
正直なところ、とっても心配だった。
他者に対する理想が高くて、いっぱいいっぱいになるとすぐ弱いモノにあたる癖のある母だから、今回もその様にならないかと。

でも、それは良い意味で裏切ってくれた。
本人曰く「自分でも驚くぐらい怒らずに過ごせてる」とのこと。それから、「あの頃はごめんね、常に余裕がなかったね」と。

学生時代、泣きながら話し合っても断固として謝ることのなかった母の口からぽろっと出た言葉だった。
何の重みもないさらっとした口調だったけれど、その一瞬で当時の自分が全面的に救われた気がした。
大人のくせに時間がかかりすぎだとは思うけど、謝るに遅いなんてないのかもな、と思ったりもした。仕方ない、許してあげよう。


心配の種はひとつではなかった。
というのも、母は責任感が人一倍強くて、いっぱいいっぱいになるまで一人で抱え込んでしまうからだ。

案の定、祖母のデイ前後のサポートは抜かりないし、自由人に見える父の言動を(一緒に住む選択を勧めたのは父だし、夫婦仲は良いけれど)自分勝手に悲観的に読み取っては、助けの求め方を分からないでいる様だった。

もっと頼っていいよ。周りにも、私にも。
もう長い間ずっと話を聴いてほしいと思ってきたけれど、今は吐き出せるだけ吐き出してほしいと願う。

そんな中、母に「あなた頑張ってるよ!すごいよ!」と声をかけてくれた人がいたらしい。
不意に涙が溢れてしまった。
母は「なんで泣いてるの?笑」と笑っていたけれど、私にとってはそれが全てだった。
色々あれど、母は私にとってかけがえのない存在だ。


そんなこんなで、里帰り出産を本気でしたくないと思い続けてきた自分にも変化があった。

母との生活はストレスが多すぎるから。
“お母さん”の仕事を/赤ちゃんを取られたくないから。
そもそも夫と一緒にいたいし、はじめての子育てを最強のパートナーの夫と始めたいから。

予定もないのに、とにかく里帰りには後ろ向きだった。

でも最近は、おおむね前を向いてきた。と思う。
母=ストレス
母=自分の存在価値をおびやかす存在
母=協力できない相手
そんな風に思っていたけれど、母自身や、母と祖母の関係性を見聞きして、案外そんなことないのかもなと考える様になった。

ごめんね、今まで。ありがとう、これからも。

猜疑的な思い込みは振り払って、一歩、一歩。


最後に。

数年前のTwitterで、
「親を許せる様になったら大人」との旨を呟いた時、「許す?感謝の間違いじゃないですか?」と見ず知らずの人から引用されたことがあった。
ああ、この人は良くも悪くも幸せな人なんだな、と感じながらも、許すことと感謝すること、どちらがより必要条件なんだろう、だなんて考えた。

こんなのは浮かんでは消える問いの一つで、
特に答えが出た訳じゃないけれど、今ふと思ったのは、『許すことは責任を伴う』だ。

対象が自分の場合も含めて、相手を許してしまうと、もう何も言うことは出来ない。
責めることも、嘆くことも、求めることも。

いや、許してるから、
責めもしないし、嘆きもしないし、求めもしないのかな。

でも今の気分は、
許したからには、全力で許そう。だ。
許せなかった部分は大目に見て、良い距離感を保ちながら自分から歩み寄っていきたい。

ああ、自分も許すのに時間がかかったな。

少し大人になれた気がする、
との戯言でした。愛を込めて。

おわり。

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