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【書評阿呆】No.1『一人称単数』(村上春樹)

 まず、言っておこう。私は、村上春樹の短編集が大好きで、静かに、都会の裏にある清潔(のイデアのような、単に部屋が綺麗とかそういうことではなく、そこが暗示するようなもの。)な宇宙的空間へと上昇していく程だ。それは単に、ビルやコンビニの建物の裏手ということでなくて、こう、もっと、高質で無機質な厚紙を都会から剥いだところにある。

本データ
書名 一人称単数
著者 村上春樹
価格 1650YEN(新品)
備考 初版 帯
発行 文藝春秋(2020.7.18)
収録(○は個人的に響いた作品)
・石のまくらに ○
・クリーム
・ チャーリー・パーカー・プレイズ・ザ・ボサノヴァ ○
・ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
・「ヤクルト・スワローズ詩集」○
・謝肉祭(Carnaval) ○
・品川猿の告白 ○
・一人称単数

 本作は、村上春樹6作目の短編集である。短編集は、オバマ元アメリカ大統領が絶賛した、(というネット記事を見たという足がくがくの根拠)『女のいない男たち』以来だ。書き下ろし1作を除いた7作が、文芸雑誌『文學界』を初出としている。

 全体を通しての感想としては、安定の短編集でありながら、村上春樹自身の趣味が反映された、創作でありながら、作者の娯楽的にパーソナルな部分を感じることのできるものだったと思う。勿論、過去の作品において、細部が作家自身の趣味から出ていって構築された部分のあるものは多いが、今回は特に色濃かったように感じる。幾つかについて、詳しい感想を以下に。

「ヤクルト・スワローズ詩集」
 趣味について心から楽しく語ってるのが文章から、昇天する程感じられる。野球について一抹の知識すら持ち合わせない私ですら、お世辞にも強豪とは言えぬ(といったら無礼か否か)ヤクルトスワローズのファンと化して、日々を過ごし、球場に足を運んでいる気がする程、その語りは的確な想像を読み手に思い起こさせるのだ。好きなものへの多弁。なんj民は皆読め。兎に角、今度から、古本屋の棚に「ヤクルトスワローズ詩集」をちらと探してしまうよ。

「謝肉祭 (Carnaval)」
 (具体的に触れるのは避けるけれども)、片方のその容姿に比して豚に薔薇といった感じのカップルがこの世の中には、数学的な理論とか、ツリー状の表面的構造を越えて「いる」のである。これ以上踏み込むことは、所謂ネタバレに繋がる恐れあり、ということで避けるが、前述のような存在に対して、非常に文学的かつ、人間的(これは同意か否か)な考察がなされた名短篇。

「品川猿の告白」
 品川猿、というのは「東京奇譚集」という著者の連作短編集に収められた、短編「品川猿」に登場する猿である。まずは、こちらを読んでから、本作に触れることをお薦めする。別に、これだけを読んでも分からないということはないし、面白み満載であるのだけれども。
 
 それで、本題に戻るが、私はこの小説を読むまで、猿、というものを一度たりとも可愛いと思ったことはなかった、と書くということは、お察しの通り。物語を通してのテーマみたいなものも注目に値するのであるが、これは前述の「品川猿」の背負うところが大きい。本作では、そこよりも、品川猿の動作や様子のチャーミングさに注目してほしい。上野動物園の猿山の彼らも品川猿と同じようだったらどんなものかと想像すると楽しい。(それは、あり得ぬことだが。)

 以上に挙げた他にも好短篇が揃っている。そして、(これもまた個人の見解だが)、何か1冊、事前に村上春樹の連作短編集を読んでから本作の頁をめくることを推奨する。今回に関しては、『東京奇譚集』が良いだろう。(新潮文庫なら2020プレミアムカバーのものが買えるし。)まあ、私は『神の子どもたちはみな踊る』が現状のベストなんだけど。