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「教育を変える」ためには、まずは「ランドセルをやめてみる」のは、どうでしょうか?

 もう随分と昔になるけれど、テレビを見ていて、教育に関して、印象的な言葉を聞いたのを覚えている。

なつかしいは、おかしい

「ニッポンのジレンマ」という番組で、教育の専門家(すみませんが、誰だか忘れました)が、こんな事を話した。

 学校へ行くと、みなさん、誰もがなつかしい、と言いますよね。だけど、それは、考えたらおかしいんです。もう随分と時間が経っているのに、変わっていないという事ですから。

 近所の高校が文化祭を行い、バザーや美術部の展示を見に行きたくて、高校の教室を見ることがある。自分とは、近所というだけで、何も関係のない学校なのに、なつかしかった。

 教室の広さの感じ。窓。黒板。机とイス。床や、教室のうしろのロッカーのような棚。改めて見ると、こんなに狭いところに、人間として最も体力があると言われている年代の男女を、詰め込んではいけないんではないか、というような気持ちになった。

 考えたら、自分が高校へ行っていたのは、本当に随分と前なのに、学校という場所が、もしかしたら教育というシステムが、ほぼ変わっていない象徴のように思い、気になっていた。

 自分には子供もいないので、関わりはかなり薄いし、情報にも弱いと思うのだけど、間接的に聞く話や、家の前が通学路になっているので、学生が通るけれど、今は当たり前に女子高生の制服がミニスカートになっている以外は、それほど変化を感じられない。

 同じような時刻に一斉に登下校をしているし、場合によっては「遅刻しない週間」みたいなものがあるようで、朝から「早く、間に合わないぞ」といった、おそらくは教師の声が響いたり、帰りの「買い食い」を防ぐためか、小さいスーパーの前に、下校中の生徒を見守る学校関係者がいたりする。

 それは、かなりなつかしい風景でもある。ということは、基本的には、学校というものが、おそらくほとんど変わっていない、ということかもしれない。

ランドセル

 その際に採用されたのが、背中に添えて両手をあけることができ、持ち運びの利便性が良かった、軍隊用の背のうです。この背のうがオランダ語で"ランセル"と呼ばれていたことから、"ランドセル"という言葉が生まれました。

 ランドセルの名前も機能も、元々は、軍隊を起源に持つもので、さらには、教科書などの学習用具を、学校に置いておけないので、毎日の荷物が重くなるといった理由のようだった。

 もちろん、ランドセルは、小学生の頃、背負っていた。

 私自身は、小柄なせいもあって、特に小学校低学年の頃は、重かった記憶がある。そして、自分の体にとっては、大きいものだったけれど、それは、小学校6年間使うため、といった説明がつけられていたが、そのころも、その理由に納得できていたわけではなかった。もっと安くいいから、成長に合わせて、買い換える方が合理的ではないか。後から言葉にすれば、こんなようなことは、うっすらと思っていた。

 しかも、革製だから、金額も高額で、他のカバンではダメなのだろうか、といったことは感じていたし、自分が大人になる頃は、みんなが同じようなランドセルを背負うような文化はなくなっているのではないか、と思っていた。

 それは、「選択の自由」が形になっているような未来を、信じていたのかもしれない。

 だけど、2020年代現在、近くの小学校の授業が終わる頃、集団下校で、子供たちが歩いてくる。その背中には、ランドセルがある。昔のように「男の子は黒。女の子は赤」といった画一性はなくなり、様々な色になっているものの、ランドセルが、どの子の背中にもある。低学年の子供たちには、明らかに大きすぎるようにも見える。

 なつかしい。細かい変化はある。だけど、基本的には、ランドセルは、学校が変わっていない象徴でもあると思う。

「これからの教育」の目指すところ

 これからの社会の変化を精緻に予測することは難しい。そうした中で、教育には何が求められているのだろうか。「中間まとめ」では、一人ひとりの児童生徒が、自分のよさや可能性を認識する、あらゆる他者を価値のある存在として尊重する、そして、多様な人々と協働しながらさまざまな社会的変化を乗り越えて豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会のつくり手となることができるよう、その資質や能力を育成すること、としている。

 公の「教育方針」というのは、いつの時代でも「高い理想」を掲げがちになるけれど、現在の「学習指導要領」は、こうした方針のようだ。これからの大人が、こうした能力を多くの人が身につけていれば、それは素晴らしい社会だろうと思う反面、こんな人間になることは、ほとんど「不可能」ではないか、という気持ちにもなる。

 どちらにしても、いつの時代でも個性を大事にしたり、これからは多様性の尊重は、さらに強調されるのは、おそらくは間違いがない。

 そうであれば、まずは目に見えるところから、少しずつ具体的に変えていかなくてはいけないのではないだろうか、と思ってしまう。

 だから、つい提案したくなる。

 小学校に入学したら、色や材質の違いはあるものの、小さい体に合っているとは思えない、重いランドセルを背中に背負う、という画一的な習慣から、やめてみるのは、どうでしょうか?

ランドセルを、やめること

 もし、例えば、都内のある区で、ランドセルはやめる、という方針が出されたと想像すれば、それだけで、想像以上の反発があるような気がする。

 びっくりするほど、色々な理由が出ると思う。

 どこで読んだかもはっきり覚えていないが、ランドセル擁護の意見の中に、「安全」という言葉もあった。子供が後ろに倒れた時に、ランドセルがあるために後頭部が守られた、という主張だった。

 それは、確かに、そんな部分もあるかと思うが、ただ、元々、小さな子供に大きなランドセルを背負わせているから、後ろに倒れやすくなっているだろうし、背中に大きな荷物を背負ってなければ、真後ろに倒れても、体が反応しやすくなると思ったのだけど、この私の理屈に、どこまで説得力があるかどうかはわからない。

 ランドセルは、どこか理屈を超えた存在になっている気がするからだ。


 実際に、1960年代には「ランドセル通学廃止」を実現した学校もあったのだけど、それが1970年代には沈静化した歴史もある。

(「1960 年代におけるランドセル通学廃止の経過」丸 山 啓 史 ↓)


 こうした学校の試み以外でも、個人的に、「うちの子だけでも、もっと合理的な軽い通学バッグにしたい」と考え、それを実現してこようとしてきた人もいると思う。

 だけど、おそらくは、とても大変だったはずだ。人と違うこと。それも少しでも変わったことをすると、どれだけの同調圧力があるのかは想像ができて、違うバッグを持つことだけなのに、途中で挫折し、ランドセルに戻る人もいたかもしれない。

 そして、21世紀の今でも、ランドセルは、小学生の背中にあり続けている。

 どうして、これだけしぶといのか。想像ができるのは、どんな理由をあげるにしても、その根底に、「とにかく変わりたくない。変えたくない」という気持ちがあるとすれば、それは理屈ではないので、これからも、とても手強いのは間違いない。

 ランドセルをやめることは、21世紀の今になってもとても大変なままだ。

呪いの解けた光景

 私自身は、当事者ではないので、それほど強く言えないのだけど、もしも、お子様がいらっしゃって、その上で、小学校に入るときに、みんなと同じようにランドセルを無条件に背負わせることに抵抗がある人がいるのであれば、おそらくは一人で始めるしかないのかもしれない。

 でも、できたら、同じような思いでいる人が集まれば、少し違ってくるのではないだろうか。

 通学バッグを自由に。

 そんなスローガンを掲げて、同じ考えを持つ人たちが集まって、少しでも実現すれば、それこそが、多様性を尊重することの実践であり、何よりの教育的な効果になると思う。このことは、こんな風に書くのは簡単でも、実行するのは、とても大変なことだから、提案すること自体に、微妙に罪悪感もあるものの、それでも、想像してしまう。

 人は、基本的には、自分が好きな格好をしてもいいし、好きなものを持ってもいい。

 そんなごく当たり前のことが、形になり、小学生が、もちろんランドセルの子もいるかもしれないけれど、思い思いのバッグを持ち、状況によっては、学校に教科書を置いておく選択ができる。それが、もし当たり前になれば、それは「呪いの解けた光景」に見えるような気がする。

 さらには、「学習要領」の目的へは、そのほうが確実に近づけるようにも思う。

 教育のシステムや、固定された教室など、大きな形を変えるのは、個人ではとても難しいと思うので、もし、教育を変えていくのであれば、まずは「通学バッグを自由に」して、ランドセルの強制(誰が指示するのではなく、おそらく空気として)をやめることができれば、そこから小さな変化が始まり、その時に初めて、学校が「なつかしい場所」でなくなっていく可能性が、出てくるように思う。

 それは、大人にとっては、微妙に寂しいことかもしれないが、それが健全な進歩であり、未来へ適合するための変化なのかもしれない。




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