難しくないほうの「小林秀雄」……『小林秀雄講演 第2巻 信ずることと考えること』
小林秀雄、という固有名詞が、説明抜きで伝わるのは、どのくらいの年代までなんだろう、と思う。
もしかしたら、年代だけではなくて、東京大学近辺の古書店で、夏過ぎに、もっとも売られるが「小林秀雄全集」。といった話を、どこかで聞いた記憶もあるから、知っている人たちと、知らない人たちの温度差が、今だにすごくある存在なのかもしれない。
ある人たちにとっては、批評の神様みたいな存在で、この人の文章を真似していた人が無数にいる文筆家であった、といったことだけは、情報としては知っている。
同時に、その文章は、読んでみると、やっぱり難解としか言いようがなくて、もしかしたら、読者を選別するために、わざとこんなふうな表現をしているのだろうか、と思うこともあるけれど、それは小林秀雄の文章については、「難解の小林秀雄」として、多くの人に共有できることでもあったと思う。
小林秀雄 講演会
もしかしたらCDを再生することだけではなく、CDを見たこともないような人もいそうなので、伝えることに微妙な不安はあるのだけど、図書館で、このCDを見つけたときは、ちょっと意外で、そして、あの文章を思い出して、少し構える気持ちがあった。
そして、第2巻にしたのは、1巻が「文学の雑観」というテーマだったので、やっぱり、小林秀雄の本のことを思い、もう少し違う話の方が分かりやすいのではないか、と勝手に思い、第2巻「信ずることと考えること」を借りた。
ブックレットには、こうした注意書きがある。
「※この講演は昭和四十九年八月、鹿児島県霧島の夏季学生合宿で行われたものです」。
今から、約50年前で、講演の最初に「起立、礼」のような堅苦しさはあるものの、小林秀雄の話し声は、思った以上に熱がこもって、強弱もはっきりしていて、伝わりやすい印象だった。このときの小林は、70歳を超えていたはずだ。
ちょっと意外だった。
わかりやすいほうの「小林秀雄」
CDは二枚組。
一枚目 56分
二枚目 62分
こうして項目に分かれているものの、実際はずっと話は続いていて、そして、質疑応答の時間もたっぷりと入っている。
講演の話題の導入は、ユリ・ゲラーからだった。これは1970年代に超能力ブームを巻き起こした人物で、テレビに出演し、スプーンを曲げたり、止まった時計を動かしたり、未解決の行方不明の事件にも貢献したりしていて、この講演の頃は、そのブームの最中のはずだった。
そのことについて、小林秀雄は、少し意外な角度から話に入る。
こうした不思議に関する態度が、そんなことがあるわけないという嘲笑的な態度か、面白がるか、どちらかにしかない。真面目に考える人がいないのが、気に入らない。
そんな話から、1910年代に、超能力的なものを、ベルクソンが、どう考えていたか、ということ言及し、そこから、科学的な見方についての話題になっていく。
実は、生活の経験のほとんどは合理的経験ではない。だけど、科学ができたことで、合理的経験に絞った。狭くなっている。だから、法則に従うことだけを考えるようになった。
精神のことは、最も計量的でない。
こうして文章にしても、それは、こちらの理解力や表現力の限界もあって正確に伝わっていない可能性もあるけれど、これまで読んだ小林秀雄とは違って、聞いていて、その感情の起伏も含めて、とても面白く、そして、分かりやすく感じた。
話し言葉の小林秀雄は、分かりやすいのではないか。
そんなことまで思っていた。
「考える」ということ
小林の講演は予定よりも長かったようで、だけど、“時間なんてどうでもいい。質問ないですか。対話しようよ。僕ばっかり喋るんじゃなくて”。といった言葉から、質問が出て、それに小林が答えていく。その時間が40分以上もあった。
小林は、聴衆に対して「諸君」という古めかしいような言葉を使っているが、そして、その当時で「とても偉い先生」のはずだし、そのように扱われてはいるものの、聴衆も、合宿という状況のせいか、かなり率直な質問をし、本当に対話になっていると思える瞬間もあった。
例えば、考えると信じるとは違うのでしょうか?という質問があった。
小林秀雄は、本居宣長をひいて、こんなふうに答えている。
考えるのは、身をもって相手と交わる、とあって、それは付き合うという意味。観察するということじゃない。対象と私が緊密に関係する。その人と交わる。
そうすると、信じると考えるは近くなってきませんか。
本居宣長は文献学だった。それは人間を考えることで、観察するわけではない。人と交わる。その人の身になる。だから、想像力が必要になる。科学の発見もそうで、長い間、付き合っていたんだと思う。
本当に知るには、浅薄な観察なんかじゃダメ。本当に知るには、観点なんかいらないのでは。
そんな小林の話を聞いていて、この私のまとめ方自体に、問題があるのかもしれないが、それでも、とても納得がいき、何より本質的なことは古びないし、今でも、このことは変わらないのではないか、とも思えた。
本を読むよりも、こうして残された音源で、小林の話を聞くことで、本当にすごい人だというのは分かった気がする。
もし、興味が持てれば、この巻だけでなく、他のテーマについて語ってもいますし、私の要約が間違っている可能性もあるので、直接聞いてもらえたら、と思っています。
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