見出し画像

「現国」の授業で、ほめられた記憶の影響。

 高校の時、授業中は、ほとんど寝ていた。

「現代国語」(今だと「現代文」かもしれない)と言われる授業は、他の生徒も、もっと受験で重要な科目の「内職」をする時間になっていたから、教師の声や言葉は、どこに届いていたのだろうか。その時は、そんなことはまったく思わなかったけれど、今は、教師の気持ちを想像することがある。

下を向く教師

 2人の国語教師を覚えている。

 一人は、下を向いて教科書を読み、何かコメントを付け加える。その作業を淡々と繰り返していた。

 その声が、その言葉が、誰かに届くことを最初からあきらめていたように見えたし、私も、ほとんど寝ていて、起きた時は、いつも下を向いて何かを話していたが、声も小さめだった。それに、周囲の同級生の多くは、別の勉強をしていた。

 現代国語は、「現国」と呼ばれていて、それは、授業を聞いても、テストの点が上がるわけもないし、力を伸ばすなら本を読めばいいとか、あとは、元々、できる人間はできるし、出来ない人間は出来ない。そんな「センス」で、点が取れたり、取れなかったりする科目と言われていた記憶がある。

 それでも、その教師が何かで怒った記憶もない。

ほめられた記憶

 もう一人の教師は、学年が変わるころ、確か、転任してきたばかりだった。
 教科書を読むのは一緒だったけれど、その教師は、生徒の名前を呼び、発言を積極的に求めてきた。

 だから、何となくざわざわしていたし、生徒にとっては他の科目の勉強もしにくくなったようだし、私も眠りにくくなった。「下を向いていた教師」の方が、介入してこないから好評だったけれど、後で考えると、自分も含めてかなり身勝手な思考だとは思う。

 ある時、森鴎外「阿部一族」が教材として扱われていた。

 私は、珍しく起きて、教科書を読んでいると、登場人物のこれからに関して、不吉な気配があちこちに散りばめられていると気がつく。

 こちらが手を挙げるというよりは、教師から指名して、答えを求める形式だった。
 私がさされ、その不吉さのことを話し、どこで、その気配を感じたのかを話す。

 そうしたら、どうやら、まだ誰も言っていなかったようなので、よく気がついた、みたいなことを言われ、ほめられた。勉強で評価された記憶もほとんどなく、まして、授業中に、言葉としてプラスなことを言われた記憶もなかったから、意外だったけれど、やっぱり嬉しかったのだと思う。

 あとで考えたら、他の生徒は、わかっていても、「現国」に対して、そんなに時間もエネルギーも使いたくなかっただけなのかもしれないとも思ったが、どこかで、初めて、自信のようなものが小さく芽生えていたのかもしれない。

小説家

 その教師が、授業中に「小説家になりたいと思う人は?」と質問をしたことがあった。数人の手があがる。私は、そんな仕事の選択肢があることを、考えられなかった。

少ないね。小説家になりたいと思う人は、この年代だと、もう少しいるんだけどな」。

 国語教師が、そんな話をしたのが意外だったし、クラスメイトの誰があげたのかも覚えていれば、その後、どうなったのもここで書けたかもしれないけれど、何しろ、書くことが仕事になる可能性に初めて気がついた。

 それは、高校生としては、ある意味でとても愚かだし、幼いことだと後になれば思うけれど、人と違った仕事に関して、まったく想像が及ばなかったのは、自分に何かができる、というような自信が全くなかったせいだと思う。

模擬試験

 その後、高校を卒業し、最初の大学受験は失敗し、幸いにも浪人という選択ができたけど、いくつかの予備校の選抜試験にも落ちてから、ある予備校に通った。そこには、「課題を出さないと除籍」と関西弁で責め続ける「担任」がいたが、初めてほめられたのも「現国」だった。

 予備校は、いつも試験があったから、どの模擬試験が重要だったとか覚えていなかったけれど、ある時、不思議そうな顔で、ほめられた。

 名前を呼ばれ、現国の成績だけが、上位に入っていることを告げられた。

 他の科目の成績は悪かったし、国語も古文は全くダメだし、漢字はあまり読めないし書けないままだったから、読解だけで点数を稼いでいたらしく、だから、「もっと漢字を頑張らないと」といった言葉つきだったけれど、その講師も、私が上位に入るとは、予想もしていなかったらしい。


 その後も、「現代国語」だけは、別に勉強もしなかったし、そんなに本を読む習慣もなかったけれど、ある程度の点数がとれた。

 あとから考えたら、ふざけた学生の発想でテストに臨んでいた。小説家が書いた文章が載っていて、そこで「作者の考えや思い」を問われたとしても、その書き手本人が、どう思っているかは考えなかった。文章のプロで、その中でも才能がある人間が書いている文章を、高校生や予備校生くらいが、短くまとめられると思えなかったからだ。

 だから、書き手ではなく、出題者が、この文章をどう思っているのか?に絞って、考えて、答えを書くと、それほど大きく外れることはなかった。

書くこと

 就職する時に、法学部だったのだけど、マスコミに就職しようと思ったり、その後、書きたいことを書こうと思ってフリーライターになった。

 それは、結果として、モノになっていないので、微妙な意味合いになるのかもしれないけれど、高校生の時に、現国の授業でほめられたり、小説家という書く仕事がある、という選択肢に気づかせてくれたことが、そういう仕事をした原因になっているのではないか、と後になって思う。

 などと、今も書いていて、書くことは続けているから、思った以上に影響が続いているのかもしれない。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



#現代文がすき    #現国がすき    #忘れられない先生   #国語

#高校生   #予備校   #模擬試験   #現代国語   #毎日投稿




この記事が参加している募集

忘れられない先生

現代文がすき

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。