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読書感想 『啓蒙思想2.0 ー 政治・経済・生活を正気に戻すために』 「絶望の前に知っておくべきこと」

 本を読むきっかけは、いろいろなところにあるけれど、今回の場合は、テレビだった。

 こうした「サブカルチャー」の歴史を映像で振り返っている番組を見ていると、1990年代以降であっても、自分がどれだけ映画を見ていないか。さらには、この番組はアメリカを中心に紹介されているから、こんなに歴史の出来事を知らないのか。もしくは、そのことに衝撃を受けていたはずなのに、どれだけ忘れているかを確認して、そのことにちょっとしたショックを受ける。

 こういう番組は、必ず「評論家」的な人たちが、出来事などに対して分析的な言葉を発するのだけど、おそらくアメリカでは著名なのかもしれないが、自分が無知なせいなのか、その人たちが誰なのか全く知らず、だけど、映像とはいえ話しているときの気配を見て、この人は信頼できるのではないか、といった勝手な判断をしている。

 そして、何人かのジャーナリストや、評論家的な人たちの中で、その話す内容と、それをしゃべる時の表情などで、信用できそうだと思ったとき、そのときに画面の下に出ていたその人のプロフィールを覚える。その中にあったのが、この本のタイトルだった。


『啓蒙思想2.0 ー 政治・経済・生活を正気に戻すために』  ジョセフ・ヒース

 著者は1967年生まれ。肩書は哲学者で、大学の教授をしている。だから、もちろん人によるのだけど、社会を俯瞰で見るには適した場所にいるはずだ。その上で、その社会の動きの意味を分析することができる能力もあるのだとは思う。

アメリカがどうもまずいことになっていると大衆が意識しだしたのは、二〇〇五年であったろう。コメディアンのスティーヴン・コルベアが真実っぽさ(truthiness)という新語を広めた年だった。この言葉は、政治家が合理性、証拠、さらには事実に基づいた議論に代わって、むやみに感情や「勘」に訴えるようになってきている現状を評したものだ。コルベアが示した定義によれば、ある主張が「真実っぽい」のは、たとえ厳密には真実でないとしても、真実だと感じられるときである。彼が当時のインタビューで語ったように、感情はいまや客観的真理に勝利したのだ。

(『啓蒙思想2.0』より)

 日本にとって、1945年の敗戦以降、アメリカは、それまで戦争をしていた相手なのだから、それほど単純なあこがれだけではないとしても、今度は、追いつく目標となっていたのは間違いないのだと思う。

 だから、アメリカで起こった出来事や風潮は、それを真似したい、という欲望があるせいか、しばらく経ってから日本でも広がっていくことが、本当に長く続いたはずだ。
 バブル崩壊以降は、その傾向がやっと薄れたとは思っていたのだけど、このジョセフ・ヒースの「真実っぽさ」を伝える言葉は、2010年代以降の日本のことだと書いても、納得できるくらい似ている。

 今の日本社会でも、政治家だけではなく、あらゆる人が、理性の前に「感情」に訴えることを競っているように感じる。だから、この著作の内容も、すべてではないにしても、アメリカだけではなく他の文化圏でも通用するのではないかと思えた。

理性の危うさ

 この書籍の大部分のページをさいて証明しようとしているのは、「理性の力の危うさ」のように感じる。

最初に問題を見たときには、たいてい限られた認知資源だけを使って答えを導き出そうとする。具体的に言うと、手早く直感的なパターンマッチングのアプローチを用いて解決しようとするのだ。 

(『啓蒙思想2.0』より)


 つまり、何かを判断するとき、どんな人でも、どうしても直感的な力を使ってしまうのだけど、それは、合理的な思考をするときに比べて、かなり「ラク」で、人間は認知的資源をケチってしまう、ということらしい。

認知科学者の多くは、合理的思考はこのワーキングメモリ・システムに決定的に依存しているとのことで意見の一致を見ている。

(『啓蒙思想2.0』より)

 このワーキングメモリは、短期記憶とも言われているはずだけど、人間の、その記憶の能力は、一般的に思われているほど高くなく、短期記憶に優れている人でも、どうやら限界があり、だから、基本的には直感的な判断を優先させてしまうということのようだ。

 そして、それは啓蒙が成功したとしても限界があることの根拠の一つでもある。

「理性」に訴えかけても、その「理性」の能力は、一般的に考えられているよりも、はるかに「危うい」ものだから、と著者はさまざまな例を挙げて、繰り返している。

私たちに合理的省察や行動の合理的制御の能力が不足しているのは、意外なことではない。「新しい心」は古い心をつぎはぎしているものだ。そのため理性に「自力でやれる」ことなど望めない。理性は断じて計算力や効率性は持ち合わせていない。理性の主たる弱点を挙げるのは簡単だ。時間がかかること、多大な努力を要すること。限定的な注意、[少ない]ワーキングメモリというボトルネック、あてにならない長期記憶が悩みの種である。あいにく私たちは、その操作を助けるために長い時間をかけて構築されてきた環境の足場やクルージをまるごと無視してしまうせいで、理性を実際よりずっと強力なものと考えるということ罠に陥りやすい。 

(『啓蒙思想2.0』より)

些細なことだが、私たちは紙と鉛筆がなければ無理なのを忘れて計算ができる、と思う。

(『啓蒙思想2.0』より)

 同様に、人間の良心の働きという内発的と思われる行為も、環境に大きく左右されることも指摘している。

 二〇世紀の社会科学でおそらく最も人を困惑させた発見とは、私たちが「道徳」と見なしたがるものの大部分は、実は人間の頭のなかにあるのではなく、やはり環境の足場に頼っているということだ。これには多くの人が驚く。特に「良心」などの「内なる声」を道徳性の源泉と考えがちな人がそうだ。

(『啓蒙思想2.0』より)

 この本を読み進めると、こうした歴史的な視点も含めて「理性の危うさ」を再確認するのは、想像以上に重要なことではないか、と、思えてくる。

 もしも、「理性」の能力に対して、これからも必要以上に信頼を置くような状況が続けば、それこそ、大衆が「理性」にめざめる「啓蒙」を目標としてしまい、その目標自体が、困難な上に、達成できたとしても、結局は「理性」の能力はそれほどではなく、より良い社会にならないのだから、その前提をわかっていないと、虚しい努力を続けることになってしまうからだ。

革命と刷新

 人間の社会をどのように変えていくのか?

 その変化を、一気に実現すれば、それは革命と呼ばれる。今の人類の社会につながる大きな変化の一つは、フランス革命だろう。

一九七二年、フランス革命が最も急進的な局面を迎えたころ、カトリック教会は中央政府によって違法とされ、「理性と哲学」の称揚に奉仕する世俗的なカルトに替えられた。パリの中心にあるノートルダム大聖堂は、キリスト教の調度をはぎとられて、理性の殿堂に改装されてしまった。

(『啓蒙思想2.0』より)

 フランス革命がなければ、今の民主主義はないかもしれない

   だけど、この著者も指摘する通り、それは、急進的な変化でもあって、そうした「社会を更地のようにして、理想の社会を作ろうとすること」に関して、著者はこうした指摘もしている。

 航空機をゼロから設計できないのであれば、社会を無からデザインできるなどと誰が思うだろう?人々は機械部品よりもずっと複雑で予測できないものだ。ところが、それこそ社会契約論の主張したことだった。理想家や夢想家たちが、決まった制度のない自然状態に自分がいると想像して、その自由を抑制する手段として何を受け入れることに合理的に同意するかを自問するよう促された。どんな種類の経済を選ぶか?どの形態の政府を?どんな種類の司法制度を?家族も再構成しようじゃないか。しかし彼ら啓蒙思想の社会批評家たちは、人々がそんなふうに生きることに果たして納得できるかという疑問を真剣に考えもしないで、合理的なユートピアを思い描くことに明け暮れたのだった。

(『啓蒙思想2.0』より)

 それは、人間の「理性」というものの力を過大に評価していたのかもしれないし、人は直感的な判断の方をどうしても優先させてしまうということを軽視してしまっていた可能性もある。

  そうした本質的な検討が、おそらくは十分になされないまま、それから長い年月が経ち、現代では、人の欲望をコントロールするテクニックばかりが進化しているようだ。

 広告はどんどん消費者の合理性をまったく無視しようと努めている。これの何より明白な証拠は、広告に占める言語の量が着実に容赦なく減っていることだ。言語は合理的思考の手段だから、理性を無視したければ、言語を省いて画像にこだわることだ。

(『啓蒙思想2.0』より)

 その効果が十分過ぎるほど発揮されているのは、21世紀を生きる人間であれば、誰もが分かっていることだと思うが、その方法は政治の世界にも持ち込まれている、という。

 必要なのは注意を引くこと、何かを感じさせること、何か記憶されるものを与えること。いちばん効果的なやり方は、直感への直接のアピール。正しく聞こえるか、または正しく感じられることを心情に響かせるように語って、それをひたすらくり返すか、もっといいのは、マスコミに放出して代わりにくり返させることだ。 

(『啓蒙思想2.0』より)

 これが、2005年頃からアメリカで顕著になってきた「真実っぽさ」の問題でもあって、2020年代では日本でも、もしかしたら世界でも、さらに先の「ポスト・トゥルース」に進んでしまっているのだろう。

 この状況に対して、同じように感情に訴えていたのでは、おそらくは混乱がひどくなるはずだ。

 もはや明らかなのは、私たちの文化はなりゆきに任せていたら、どんどん合理性から離れていってしまうことだ。合理性を保つには意識的な自覚、介入、指導が必要になる。

(『啓蒙思想2.0』より)

 そして、どれだけ不完全でも、判断が遅くても、理性の判断は尊重すべきだと著者が繰り返すのは、合理的な判断ができるのは、人間の能力の中では「理性」だけだからだろう。そして、その判断によって目指されるのは、「革新」(レボリューション)といった急激な変化ではなく、「刷新」(リノベーション)と言われるような地道な変化、ということになりそうだ。

 だから結局、理性が最上位とされなければならない。すべての問題を片づけるのではなく、片づけ方を決めるという意味で。理性は、私たちがいつ直感に耳を傾けるか、いつ直感的反応を制止したり抑制したりするかの究極の決定者であるべきだ。無意識の働きがいかに目覚ましく印象深いものでも、私たちの乏しい論理思考がいかに不活発で偏向していても、人間の文化および社会の進歩の可能性は、まさしく理性の働きにかかっている。だから人類の幸福が多くの意味で論理的思考の能力によっていることは銘記すべきである。

(『啓蒙思想2.0』より)

スロー・ポリティクス

 理想の政治があったと言われる古代アテネの偉大な哲学者であるソクラテス、プラトン、アリストテレスが、実は民主主義に対して、強く反対していた、と著者は指摘する。

 彼らが民衆による統治に反対した主な理由は、それが不安定だと考えたからだ。何よりも恐れたのはデマゴーグ、民衆の感情や偏見に訴えることで権力を得る無節操な輩の存在である。特にプラトンにとって民主制の致命的欠陥は、この扇動政治に対する脆さだった。

(『啓蒙思想2.0』より)

 そのため、現代の民主主義の国は、「政治判断を直接の民主的コントロールから分離しておくための多岐にわたる制度」が設置されている、という。

 ほぼすべての民主主義国では、中央銀行が政府から完全に独立し運営する方式へ移行している。これが重要なのは、中央銀行はインフレ抑制のために高金利を維持するなど、国民に不人気な政策を行うことがたびたび必要になるからだ。

 民主主義を抑えて決定を専門家にゆだねるというのも、民衆扇動の問題に対する解決法の一つだ。 

(『啓蒙思想2.0』より)

 そうしたさまざまな工夫によって、民主主義はなんとか生きながらえてきたようだ。

 民主主義は数百年にわたって進化してきた、精緻なバランスの上に成り立つ制度である。このバランスを保つためには、制度にかかわる誰もが多大な自己抑制を求められる。民主主義が何でもありの選挙戦のシステムのなかで存続できるかどうかは、まったく定かでない。

(『啓蒙思想2.0』より)

 約500ページにわたる本書では、現状がどれだけ絶望的なのか、「理性」を十分に働かせるような環境からどれだけ遠くなっているのか、未来は真っ暗なのか。といった冷静な分析と指摘が続いているように思うが、それでも、そうした前提が、どれだけ気力を萎えさせるものであっても、正確に把握しないことには、将来はないことは明らかだろうし、その上で、著者は「スロー・ポリティクス」を提案している。

理性の最も重要な特徴の一つは、時間がかかるということだ。

(『啓蒙思想2.0』より)

 だから、政治でも、その要素は外せない。

 民主制で意思決定の質を高める一つの方法は、意思決定の過程をゆっくりにすることだ。

(『啓蒙思想2.0』より)

 それが、困難なことであるとしても、それしか「正気を取り戻す」方法がなければ、それを目指すしかないことを、著者は訴えているようだ。その意志を示すために、「スロー・ポリティクス宣言」とし、本書の最後の部分に、まとまった文章にしているが、その一部を紹介する。

 われらホモ・サピエンスの名にかけて、人類絶滅の危機へと追いやられる前に、自らをスピードから解放しなければならない。

 ファストライフという全世界的な愚行に立ち向かうためには、落ちついた合理的熟慮を断固として守るしかない。  

 私たちの理性の防護は三本の柱にかかっている。一本目、それを可能にする条件をよく理解しなければならない。二本目、この条件を改善する方法を熟慮しなければならない。そして最後に、その改善をもたらすための集団行動に取り組まなければならない。こうすることでしか、ファストライフの劣化効果を払いのけることはできない。 

 スロー・ポリティクスの成功は、個人の努力なくしてはありえない。この思想を国際的な運動にするために、多くの献身的な支持者が必要である。

(『啓蒙思想2.0』より)

 これだけの悲観的な現状であることを正確に理解しようとし、そのかなりの部分が成功しているように思えるから、そこで絶望してもいいはずなのに、著者は、こうして「スロー・ポリティクス宣言」として、自らの意志も明らかにしている。

 その思考の過程の成果として、やや厚い著書だとは思うし、出版からすでに約10年が経っているけれど、今でも「知っておくべき」ことが書かれているし、これからを生きていくとすれば、「知っておいた方がいい」ことでもあると思う。

 この記事を読んで、興味を持ってもらえたら、どんな方であっても、全文を読むことをおすすめしたいと思います。


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