「誰にもできないような経験は、その人を特別な存在にするのだと思った」------現代美術家・村上隆。
とても個人的なことになるのだけど、30代になってから急にアートに興味を持った。
それも、難解と言われる現代美術、もしくは現代アートを見たくなった。
ただ、その現代アートや現代美術と言われる分野は、意味や理論のようなものがとても大事だと分かったのは、作品を見て、分からなくて、だからその作品を制作している現代美術作家の言葉を気にするようになったのだけど、多くの場合は、メディアなどで、それほど詳細に語ってくれているわけではなかった。
村上隆という現代美術家
その一方で村上隆、という作家は、何かを隠したりするようには見えなくて、だから、雑誌などで村上隆の発言を目にして、気にするようになって、それで、現代美術という世界を少しずつ分かったような気にさせてくれた。
だから、1990年代から、鑑賞者としては、ただ興味があって作品を見てきて、「美術手帖」という雑誌なども時々買うようになって、自分なりに理解が進んだと感じると、作品を見ることが、より興味深くなった、と思った。
だから、私にとっては、美術の世界のことを、その未来のことまで含めて指し示してくれる存在が、村上隆だった。
そのうちに書籍も出した。
活躍と非難
21世紀になった頃、渋谷のパルコで「スーパーフラット」というテーマで村上隆は展覧会をおこなった。
それは、日本の過去の作品たちと、現代のアニメも含めて、全部をつなげて、それを歴史化し、「世界」に認めさせる理論だと、ただの観客にも伝わってきた気がしたし、この発見というか、発明を正当化するために、村上自身の作品を作り続けているようにも思えた。
そして、それから本格的に日本というよりは、本当に世界の現代美術の真ん中で戦い続けるように活躍を続けていた。メディアを通してみる村上隆は、そうした世界の現代美術の中でトッププレーヤーとして戦い、しかも2020年代に至る現在までの長い時間、ずっとアートの中心にいる作家は、日本では初めてだったはずだ。
その一方で、村上隆は、日本では、特に美術業界や、オタクと言われる人たちからは、とても評判が悪い、もっとわかりやすく言えば、悪口を言われている、といったことは、村上自身の、雑誌やTwitterなどでの言葉によって知るようになった。
自分自身が、そうしたことに無知なのは、情報に対してあまり強くなかったせいもあるのだけど、村上自身の作品、そして、その発言や、どこまで理解しているか分からないけれど、村上の理論に対して、観客として勝手に信頼をしていたせいもあった。
深夜のFMラジオで、ボソボソと、もしくは、その時のグチも含めて、率直に話す村上の話も含めて、なんだか感心もしていたので、どうして、それほど非難をされるのか、分かるようで分からなかった。
それでも、2001年に東京都現代美術館で村上隆の個展が開催されたときは、雑誌などの招待券のプレゼントに2カ所応募したら、どちらも当たって送られてきた。
そんな経験は初めてだったから、人気がないかもと思ったし、その個展でのトークショーも、先着順ということで焦って行ったら、それほど早く行ったわけではなかったのだけど、4番目くらいの整理券をもらえたし、その列でさえ、村上隆の悪口を言う人がいた。
怖さを感じるほどの完成度も含めて、すごい作品なのに、とは思っていた。
確かに、一番最初に村上隆の作品を見たときは、「搾取」という言葉が浮かんだのは、これまで自分も見てきたアニメのパクリ、のように思えたからだった。だけど、それは、日本のアニメを一般化し、象徴化し、作品としたものだと少し理解するようになったら、見方が変わった。それが、一種の洗脳のようなものかもしれないけれど、それでも、ずっと村上隆への敬意のようなものは続いていた。
そのうちに、村上隆は、日本ではあまり発言もしなくなったし、森美術館での「五百羅漢展」(2015-2016)を最後に日本では個展をしない、ということを言っていたようなので、何を考えているか、といったことを知る機会も急速に減っていくのかも、とは思っていた。
ただ、五百羅漢は、ドーハで展示していたのは知っていて、その時は行けなくて、だから、日本で、しかも森美術館で見られるのはありがたかった。
村上隆 もののけ 京都
ただ、自分の村上隆への興味が本物ではないと思えるのは、この「五百羅漢」以来、2024年に京都で個展が開かれると知ったときも、都内に住んでいる自分にとっては、今も経済的に厳しいし、まだコロナ禍が完全に終わっていない怖さもあって、行けないと思ってしまったときだった。
それでも、個展のおかげで、テレビなどで、その作品を見ることができたし、村上隆の制作風景や、私生活では子供を授かっていたことを知って、芸術の求道者のイメージがあって、それは、その通りの部分はあるにしても、そうした変化になんだか勝手にホッともしていた。
京都の個展では、その開催費用も含めて、作家自身が関わることや、風神雷神など、伝統的な絵画を、確実に現代へ更新させたと思えた作品があることも、テレビ画面を通じて知ったっただけだったが、それでも、少し満足感はあった。
雑誌も見た。
村上隆の話し方やたたずまいが、メディアを通してに過ぎないけれど、なんだか少し変わったように思えた。
物事に動じないような感じが増え、以前感じた強い怒りは減ってきたように思えた。
村上隆と斎藤幸平
いろいろなメディアにも取り扱われて、一通り見たような気がしたときに、斎藤幸平と、村上隆が対談をしている動画を見つけた。
最初は、村上隆は嫌い、と話していた斎藤幸平が、クレームのようなことを言うのかもしれない、とちょっと構えていたのだけど、まずは、村上隆と「村上隆 もののけ 京都」の会場を一緒に回り、作品の解説をしていて、今回、さまざま場所で話していたことよりも、詳しく本質的なことを語っていたと思う。
動画の内容は、すごく充実していて、素晴らしく、現代美術とは何か?について、斎藤氏のわかったふりをしない率直な姿勢もあり、村上隆が、とてもわかりやすく、それでいて、とても重要なことまで語ってくれていたように思う。
この動画のシリーズ(?)は、あと3本続いた。
この動画につけられたタイトルが決して大げさではなく、自分がまだ勉強不足かもしれないが、初めて聞くようなレベルの話だった。
誰もができない経験の蓄積
村上隆は、現代美術の分野で、少なくとも2000年頃から20年以上、本当に世界の真ん中で戦ってきたことが、その言葉の内容だけではなく、そのたたずまいからも、確かに伝わってくるように見えた。
それは、ただ動画を見ただけなのだけど、日本の隅っこに住んでいるだけでは決してわからない世界にいるのだろう、と感じた。村上の話を聞いていると、21世紀の資本主義の真ん中にずっといた人間にしか分からないことが多く、日本の資本主義で、そこでかなり裕福であったとしても、その資本主義自体が、本物ではないのではないか。そんなことまで思わせるような話だった。
そして、言葉はちょっと安直な表現になってしまうが、作品の価格が億の単位を超えていたとしても、そういうことが問題ではなく、どうすれば死後も評価される、美術史の中にきちんと残るような作品を制作できるかどうか。それだけを、昔も今も見つめ、目指していると、ためらいなく語るような村上隆は、やっぱり、すでに違う世界に生きているように思えた。
長くF1の世界にいたドライバーが、一般道を走るドライバー(視聴者)に向けて、その凄さがわかるように伝えてくれているようだった。
こういう機会はあまりないと思う。
アートにそれほど興味がなくても、経済に関心がなくても、そして、私もたまたま見ただけの視聴者だけど、見ないと損する動画は実際には珍しいけれど、この4本がそれに当たるはずだ。
この企画を実現させた人たちも、すごいと思う。
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