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「気疲れ」の正体を考える。
気疲れ、という言葉。
今も、日常的に使われている。
気疲れとは一般的に、心づかいや緊張などによる精神的疲れのことを言います。
そして、この記事↑では、その解消法まで書かれている。
相手によって
ただ、当たり前なのだけど、自分が好きな相手と一緒にいて、多少の緊張があったり、心づかいをしたとしても、もし、その相手が、その心づかいによって、喜んでくれたら、それは、ただうれしい時間になって、気疲れにはならない。
その反面、自分が嫌いな、もしくは、義務としてそばにいなくてはいけないような相手で、それで、相手のことを考えて、気づかいをした場合には、想像しただけで、疲れて、それは、気疲れになる、と思う。
もしも、心づかいや緊張の程度は一緒だとしても、これだけの違いがある。
そばにいたくない
好きでもない人がそばにいると、気疲れする。
こう書くと、なんとなく納得してしまうのだけど、もう少し考えると、どうして、精神的に疲れてしまうのだろうか。
そんなことを少し考え始めると、基本的に、嫌いだったり、苦手な人のそばにあまりいたくない、ということに改めて気がつく。
それは、個人的に思っていることだけど、おそらくは一般的にも共感してもらえると思う。
踏ん張る力
それでも、状況によって、特に仕事や、学校などでは、「その人」の近くにいなくてはいけない。
本当は、そばにいたくない。遠くへ行きたい。だけど、そこにいなくてはいけない。
そうすると、気持ちも踏ん張ることになる。遠くへ行きたい力が自然に働いているのに、それに逆らうように、そこにいる。だから、ずっと負荷がかかり続けている。
いろいろと気を使って、何かをするのも精神的に疲れるのかもしれないが、それよりも、まず、いたくない場所にい続ける。そこでかかっている負担が一番強くて、それこそが「気疲れの正体」ではないだろうか。
もしかしたら、例えるほど、わかりにくくなる可能性はあるが、嫌いな人がそばにいるというのは、そこから強風が吹いているのと似ている。そこにいるためには、踏ん張る力が必要になる。
それが「気疲れの正体」で、それ以外、さまざまなことを考える「心づかい」の疲れは、副次的なものだと思う。
ということは、もしかしたら、苦手な相手といなくてはいけない場合、物理的な距離を少しでも取れれば、その分だけ、気疲れが減るかもしれない。
ただ、これは、申し訳ないのですが、あくまでも個人的な思いつきなので、きちんとした根拠があるわけではありません。疑問や、ご意見などございましたら、教えてもらえたら、ありがたいです。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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