三國雄峰

経営学修士。カウンセラー・ホルダー。Amazon書籍多数。ニュースに対する素朴な疑問を…

三國雄峰

経営学修士。カウンセラー・ホルダー。Amazon書籍多数。ニュースに対する素朴な疑問を「私の切り口」で話します。Tipsや読書話もします。フォローはお気軽にどうぞ。よろしくお願い申し上げます。三國雄峰 拝。

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社会科学の見取り図

このnoteでは、ニュースや素朴な疑問を社会科学の方法論で考えます。ニュースが言っていることの適否や、「このニュースは、このような見方もできる」ということを示します。少なくとも、その方向を目指しています。 そこで今回は、何を差し置いてもまずは、「そもそも、社会科学の考え方とは、具体的にはどういうものか」。これをお話したいと思います。 本論に入る前に2つ、余談をさせてください。「社会科学は、愉しい」、「難しいことばをおぼえることにこだわらなくていい」の2つです。その後に「社

    • クラシック音楽は大衆音楽だった論

      ご無沙汰しております。三國雄峰です。 今日は、のんびり・まったりするつもりでした。そこで、「そんなときにはNHK-FM」と思い、パソコンのストリーミングをONにしました。するとなんと、DJ KOOさんの番組が始まりました。 冒頭から「イエーイ、DJ KOOです!」から、はじまります。ところがその次に、「皆さま、いかがお過ごしでしょうか」。礼儀正しい!さらに続けて、「最近、TVのバラエティへの出演が多くて、僕がDJということが、あまり知られていないようなのですが」という、核

      • 村上春樹『一人称単数』

        いいと思います。

        • 『共同幻想論』から社会は生まれ得るか?

          結論:それだけでは、ムリ結論から言うと、「その理論だけでは、社会を創生することは、どうしても無理があるだろう」。こう指摘せざるを得ません。 根拠:なぜならば「感情」「同情」「共感」(まとめてシンパシーと呼びましょう)、「共通感覚」(コモン・センス)という要素がなければ、社会は成立しえない。そのことが、反証をとおして分かったからです(背理法という思考法ですね) 根拠の根拠:なぜ、そのような根拠を主張できるのか前回まで、この問題を考えるに際して、アニメ(映画)『新世紀ヱヴァン

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          「社会を創生する」論。再び前振り

          おさらいこんばんは。先日は、次のことを話しました。すなわち、社会がどのように構成されていくかを考える方法論は、二つある。一つ目は、西洋社会哲学の伝統である「社会契約論」であり、二つ目は、日本の吉本隆明の「共同幻想論」である。このことを話しました。 お詫び:今日は論理展開できません今日は、後者の、吉本隆明の「共同幻想論」を用いた社会創生について、考える予定でした。しかし残念ながら今日は、時間がそれを許しませんでした。というわけで、本格的な論理展開は、明日以降になります。いつも

          「社会を創生する」論。再び前振り

          社会を創生する論(続き)

          さて、今回は、いよいよ本編です。というか、本編として完結してほしい。 筆者注記:『劇場版ヱヴァンゲリヲン』の事例を持ち出した時点で、「今回でこの問題を完結するのは無理」と思いました。ですから、本当の結論は、また後日に回します。ですが、それはそれとして、今回の論考は「社会を創生する論」の(やはり)基礎理論になりますので、お目通しください。 おさらい:社会創生を考える2つの大理論それはさておき前回、社会を創生する方法を考える二つの方法論を示しました。一つ目は、西洋文明圏におけ

          社会を創生する論(続き)

          社会を「創生する」論の前振り

          タイトルに注目『アフター・コロナの社会哲学』の途中ですが、今回は、その前置きとして、ちょっと寄り道をします。 まず、タイトルにご注目いただきたいと思います。「創生する」と書いています。つまりここでは、「社会は、なぜかしらないけれども、そこにあるもの」という考え方ではなく、「社会は人間が創り出すもの・生み出すもの」という立場に立っています。 なぜその立場に立つのか「アフター・コロナの社会哲学」と銘打っているからです。これからの社会の在り方を「自分たちでつくり上げていく」。そ

          社会を「創生する」論の前振り

          アフター・コロナの社会哲学(8)-社会のない世界は「無」に帰する-

          おさらい以前、次のように述べました。すなわち、「世界は社会を包摂する」。世界は全集合であり、社会はその部分集合である。ゆえに、世界と社会は、個別に存在しているように見えて、実は連続している。ちなみに、残る部分集合は「神秘」である。このような話をしました。 残る問題さて、ここで残る問題があります。それは、「社会が消えた後でも、世界は残るのか」という問題です。答えは表題のとおり「否」です。社会という部分集合がなくなった全集合(世界)は、ただの「無」に帰します。 なぜか「世界を

          アフター・コロナの社会哲学(8)-社会のない世界は「無」に帰する-

          不確実性を2つ選ぶ方法

          今日は、これについて書きます。『アフター・コロナの社会哲学』の番外編です。コロナ禍の後の社会・世界の「像」の話とは異なるので、今日は、タイトルには『アフター・コロナの社会哲学』とは、書きません。 バランス・ホイールから2つ選ぶといいさて、この問いの答えを先に言うと、「バランス・ホイール」から、2つ選べばいいのではないでしょうか。以下の図がそれです。グーグルから拾ってきました。これは8つの要素を挙げています。要素を12個挙げるものもあります。 その根拠さて、私がバランス・ホ

          不確実性を2つ選ぶ方法

          アフター・コロナの社会哲学(7)-ミクロとマクロの相互作用について-

          おさらい前回は以下のことを主張しました。すなわち、計量不可能ゆえに対処不能な「不確実性」は、計量可能で対処可能な「リスク」に転嫁してしまえば、対応できる。 とはいうものの、「自分にとって不確実な問題とは何か」を選ぶのは難しい。どうやってそれを選ぶか。それを考えよう。このような話をしました。 話しは私の思わぬ方向に進んでしまった本稿の目的は、「社会哲学」という大きな思考枠組みで、アフター・コロナの「社会」と「世界」にアプローチすることでした(社会と世界のちがいについては、こ

          アフター・コロナの社会哲学(7)-ミクロとマクロの相互作用について-

          アフター・コロナの社会哲学(6)-不確実性に対処する方法-

          おさらい前回、リスクと不確実性はそれぞれ独立しているものではなく、連続している(らしい)、という話をしました。さて、ここで話を一歩進めます。 不確実性に対処する方法は本当に、ないのか?社会科学の通念(ガルブレイス)によると、リスクは、計量可能ゆえに対処が可能です。それに対して不確実性は、計量不可能ゆえに対処が不可能です。しかし、本当にそうでしょうか。不確実性に対処する方法は、ないのでしょうか。これを考えていきます。 不確実性をリスクに転化すれば対処可能になる答えを先に言う

          アフター・コロナの社会哲学(6)-不確実性に対処する方法-

          アフター・コロナの社会哲学(5)-リスクと不確実性は繋がっているか-

          今回は、前回の続きです。不確実性とリスクには何らの対応関係もないのだろうか。この疑問で、前回の話は終わりました。今回は、それを考えます。 おさらいリスクは計量可能ゆえに対処できるもの、不確実性は計量不可能ゆえに対処のできないものです。これが、リスクと不確実性の定義であり、それぞれが持つ性質です。そしてフランク・ナイトの場合、西洋二分法の考えに立っているのですから、両者は独立なものと想定されています。それはいわば、別々の土地に生えている別々の木のようなものです。 本当にそう

          アフター・コロナの社会哲学(5)-リスクと不確実性は繋がっているか-

          アフター・コロナの社会哲学(4)-リスクと社会/不確実性と世界-

          前回まで、コロナ・ショックについて、次のことを話してきました。すなわち、①ショックの意味内容、②リスクと不確実性のちがい、③社会と世界のちがいです。その際、想像力とか限界合理性ということばも用いました。 今回は、リスク、不確実性、社会、世界の4つの用語が、どのように関係しあうのかを、お話しします。 リスクと社会は同じ地平にあるまず、リスクについて考えます。これは、社会とペアになります。なぜなら、リスクも社会も、わたしたちの理性のなかに在るものだからです。限界合理性の枠内に

          アフター・コロナの社会哲学(4)-リスクと社会/不確実性と世界-

          アフター・コロナの社会哲学(3)-社会と世界のちがいとは何か-

          社会と世界のちがいこの論考も、中盤に入りました。今回は、社会と世界のちがいについて一緒に考えたいと思います。 わかりやすくいうと社会と世界のちがいを、直観的にわかりやすいように、比喩でいうと、次のとおりです。すなわち、「パラレル・ワールド」ということばはありますが、「パラレル・ソサエティ」ということばは、ありません。これをヒントにして、社会と世界のちがいを考えたいと思います。 社会とは肌触りのあるもの社会とは、わたしたちが見て聞いて肌で触れる、現実のなまの生活空間のことで

          アフター・コロナの社会哲学(3)-社会と世界のちがいとは何か-

          アフター・コロナの社会哲学(2)-リスクと不確実性/社会と世界-

          リスクと不確実性、社会と世界前回は、コロナショックの「ショック」の意味内容は何か、を述べました。そして、①リスクと不確実性、②社会と世界の概念そして、③それらがどのように関係しているかが、ショックを理解するうえで大切である、と指摘しました。今回から、そのことについて述べます。 リスクと不確実性のちがいは、計量可能か否かこの定義は、社会哲学や経済学で、よく知られていることです。内容を敷衍します。20世紀の社会哲学者・経済学者に、フランク・ナイトがいます。ナイトは、『リスク、不

          アフター・コロナの社会哲学(2)-リスクと不確実性/社会と世界-

          こんにちは。素朴な疑問を社会科学の方法論で考えるnoteです。

          こんにちは、三國雄峰と申します。よろしくお願い申し上げます。この「note」においては、他のSNSよりも詳しく、私の切り口で、次のような提案記事を書きたいと思います。すなわち、哲学・社会哲学・社会科学の切り口でニュースや社会問題を考えると、こういうふうに考えることもできる。「おお、なるほど、そう来るか」と思ってもらえるような記事が書けたらいいなあ、と夢想しております。遠慮せずに「スキ」をポチッとしていただけると幸甚です。よろしくご購読ください。それでは、さっそく、はじめましょ

          こんにちは。素朴な疑問を社会科学の方法論で考えるnoteです。