見出し画像

アフター・コロナの社会哲学(5)-リスクと不確実性は繋がっているか-

今回は、前回の続きです。不確実性とリスクには何らの対応関係もないのだろうか。この疑問で、前回の話は終わりました。今回は、それを考えます。

おさらい

リスクは計量可能ゆえに対処できるもの、不確実性は計量不可能ゆえに対処のできないものです。これが、リスクと不確実性の定義であり、それぞれが持つ性質です。そしてフランク・ナイトの場合、西洋二分法の考えに立っているのですから、両者は独立なものと想定されています。それはいわば、別々の土地に生えている別々の木のようなものです。

本当にそうなのか?

しかし、本当にそうでしょうか。社会と世界が対応している以上、リスクと不確実性には、何らかの対応関係があるのではないでしょうか。先の比喩を使うと、別々の大きな木かもしれませんが、土中深くで、根っこが繋がっている可能性はないでしょうか。今日は、それを探りたいと思います。

リスクと不確実性について真剣に考える理由

ところで、そもそもなぜ、リスクと不確実性について、まじめに考える必要があるのでしょうか。なぜならこれらが、わたしたちの行動を規制するからです。要するに、リスクや不確実性は、わたしたちが何かをしようと思い立ったときに、行動を思いとどまらせてしまう。行動させなくなってしまう。そのように働きかけてくるからです。

だれでも痛い目には遭いたくない

リスクや不確実性があると、なぜ、わたしたちは、行動しにくくなるのでしょうか。これまた当たり前のことですが、人が行動しないのは、痛い目に遭いたくないからです。

「痛い目」というのは、次のようなことです。すなわち、経済の面でいうと「損をする」ことです。政治の面でいうと「懲罰を受けること」です。心理の面でいうと「裏切られること」です。社会の面でいうと「疎外されること」です。宗教の面でいうと「お化けに遭うこと」です。これらのことが挙げられます。

逆説的に話をまとめると、「痛い目に遭わないためには何も行動しないのがいちばんいい」と言われるのは、このためです。

「10円だって冒険だ!」

あることをしたときに、失敗した場合に心に受けるダメージは、成功した場合に心が得る喜びよりも大きい(ダメージ>喜び)ことが、行動心理学の研究で明らかになりました。近年流行した「プロスペクト理論(非対称性理論)」ですね。

よく用いられる例として、「100円を拾った喜びよりも、100円落としたときの心理的ダメージのほうが、大きい」と言われます。お笑いコンビの「とんねるず」が昔、「10円だって冒険だ!」と言ったのは、このことを指します。

リスクと不確実性はつながっているらしい

プロスペクト理論は、もともとは、リスク状況下での意思決定を説明するものでした。ところがその後、不確実性のもとでの意思決定を説明する理論へと移り変わりました(『誠心 心理学事典 新版』)。これは、カーネマンにとっても、思いもよらなかった理論展開だったと思います。

ともあれつまり、リスクと不確実性は、人間のこころのどこかで、つながっているらしいのです。いいかえると、リスクと不確実性には連続性がある(対応関係がある)のです。

人間は思っているほど合理的ではない

社会哲学は、リスクと不確実性を峻別しました。それは、経済学や政治学にとっては有益でしょう。しかしそれが心理学にも当てはまるかというと、そうではない可能性が高いようなのです。人間は、社会科学が想定する「合理的人間」のような存在ではありません。このような事態を指して、「人間は思っているほど合理的ではない(人間は思っている以上にばかである)」と言います。

長々と文章を書いてきて、こんなあたりまえな結論にいたるとは、書いてきた私自身が驚いています。しかしその分この問題は、じっくり考えるに値する問題だったのだと、結果的には言えるでしょう。真理はいつもシンプルなものです。

次回のお題は「不確実性を減らす方法」

というわけで、リスクと不確実性には-プロスペクト理論を援用すると-対応関係というか、連続性が見出される。言いかえると、社会と世界が対応しているからには、リスクと不確実性にも対応関係があったのです。

今日は、このことをお話ししました。それを踏まえて次回は、リスクを減らす方法ではなく、「不確実性を減らす」方法を、考えたいと思います。

親愛なるあなた様へ あなた様のサポートを、ぜひ、お願い申し上げます。「スキ」や「サポート」は、大学院での研究の励みになります。研究成果は、論文や実務を通して、広く社会に還元したく存じます。「スキ」そしてサポートのほど、よろしくお願い申し上げます。三國雄峰 拝。