アフター・コロナの社会哲学(2)-リスクと不確実性/社会と世界-

リスクと不確実性、社会と世界

前回は、コロナショックの「ショック」の意味内容は何か、を述べました。そして、①リスクと不確実性、②社会と世界の概念そして、③それらがどのように関係しているかが、ショックを理解するうえで大切である、と指摘しました。今回から、そのことについて述べます。

リスクと不確実性のちがいは、計量可能か否か

この定義は、社会哲学や経済学で、よく知られていることです。内容を敷衍します。20世紀の社会哲学者・経済学者に、フランク・ナイトがいます。ナイトは、『リスク、不確実性そして利潤(risk, uncertainly, and profit)』という本を著しました。その中で、現実に生じる事象は、確率計算(計量できる)できる「リスク」と、そうではない(計量できない)「不確実性」の2種類があることを指摘しました。そして、リスクに対しては対処ができるけれども、不確実性に対しては対処できないと指摘しました。

リスクは具体的に把握できる

たとえば、自動車事故は「リスク」です。きちんと整備された自動車10万台が、法定規則を守りながら走行している場合、どれくらいの確率で対人事故・対物事故が生じるかを計算(確率計算)できます。自動車運転にともなうリスクは、「保険」という形で「対処できる」わけです。これが、「リスクに対しては対処ができる」という意味です。

不確実性は具体的に把握できない

それに対して不確実性は、何が起きるのかが、まったく把握できません。私たちは、ときどき、「明日は何が起きるか、わからない」と言います。不確実性は、まさにそれです。何が起きるかがわかれば対処できます(不確実性をリスクに転嫁できます。そしてリスクヘッジができます)。しかし現実はそうではない。これが不確実性です。

リスクと不確実性が同時発生した例は少ない

歴史を眺めると(具体的にいうと、山川世界史Bの教科書を眺めていると)、次のことに気がつきます。①リスクが暴発したことは、あります。②不確実性が暴発したことも、あります。しかし③リスクと不確実性が同時に暴発したことは、稀です。

リスクの典型例:バブル

①リスクの典型例は「バブル」です。チューリップ・バブルや南海泡沫事件があります。「暗黒の木曜日」もそうですし、日本のバブル崩壊もそうです。「こんな異常な高値の取引が、続くわけがない」と、誰もが頭の中で合理的に考えていながら、他方で、頭のなかが「熱狂(ユーフォリア)」(ガルブレイス)に浮かされていました。熱病>理性という状態になっていたのが、「バブル」という社会現象です。この熱狂から早々に抜けた人(リスクに対処した人)は、損害から免れましたが、大多数はバブル崩壊による損害を受けました。リスクに対処できなかったからです。ともあれバブルは、リスクが暴発した端的な事例です。

不確実性の典型例:第一次世界大戦

②不確実性の典型例は、第一次世界大戦です。というのは当時、サラエボ皇太子が白昼堂々と暗殺されることが、まさか欧州全体を巻き込む(歴史上初めての)世界大戦になるとは、誰も思いもよらなかったからです。未だに、「どうしてそうなったのか」という論理的・整合的な見解は出ていません。いろいろな仮説が示されますが、「これだ!」という統一見解は、私が散見する限り、まだ見当たりません。ともあれこれが、不確実性の典型例です。

リスクと不確実性を分かつ「根」は何か

以上、リスクは計量可能で対処できること、不確実は計量不可能で対処できないこと、という話をしてきました。さてこれを、別の言いに直してみましょう。すると次のように言えます。すなわち、「人間の理性には限界がある」ということです。これを限界合理性といいます。はじめ、社会哲学者のハイエクが唱え、その後、マーチとサイモンが精緻化しました。ともあれ、合理性の枠内で把握できるのがリスクであり、合理性の枠の外にある(在る・有る・存在する)のが、不確実性です。こう言えます。

リスクと不確実性の話は、ここでいったん、終わりです。次は、「社会と世界のちがい」について考えます。「社会」と「世界」のちがいを知ることは、アフター・コロナの社会哲学を考える上で、決定的に重要(クリティカル・インポータント)な要素です。次回は、それについて考えます。

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