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社会を「創生する」論の前振り

タイトルに注目

『アフター・コロナの社会哲学』の途中ですが、今回は、その前置きとして、ちょっと寄り道をします。

まず、タイトルにご注目いただきたいと思います。「創生する」と書いています。つまりここでは、「社会は、なぜかしらないけれども、そこにあるもの」という考え方ではなく、「社会は人間が創り出すもの・生み出すもの」という立場に立っています。

なぜその立場に立つのか

「アフター・コロナの社会哲学」と銘打っているからです。これからの社会の在り方を「自分たちでつくり上げていく」。そのための思考訓練というか、思考上の戦略を考えていくのが、この表題の目的だからです。

自分たちの社会を自分たちで創ってもいい民主制

なぜ、こんな表題で物事を考えていくかというと、今書いた小見出しのとおりです。これは、民主制の根本的な原理原則です。

リンカーンがあの有名な演説で述べたとおりです。また、宮台真司が、「朝ナマ」で、頓珍漢な発言をした田原総一郎に向かって「なんのために朝ナマ13年もやってきたんだよ!」と語気を強めたのは、この考えが背景にあるからです。

あえてその立場に立つ

私は基本的に、思想流派としては「保守」です。エドマンド・バーク、アダム・スミス、デイヴィッド・ヒューム、そしてド・トクヴィルの系譜と言えば、分かりやすいでしょうか(いや、ぜんぜん分かりやすくない)。

それに対して実質上、大陸合理論の主流である設計主義は、「ソ連」という大実験で、大失敗しました。設計主義は否決されました。すなわち、保守VS急進では、保守が勝利を収めました。

大陸合理主義は誤り。しかし思考には役立つ

ともあれ、ですから、私は、社会を設計的に生み出すことができると考える大陸合理的な思考法に対しては、懐疑的です。しかし、「相手の思想信条が気に入らないからと言って、その思想から学ばないという手はない(学ぶべきことは学べばいい)」(経済学者:ジョーン・ロビンソン)。この考えは正しいと思います。

「保守」ということばについての但し書き

「保守」(コンサバティヴ)ということばはありますが、「保守主義」ということばは、ありません。なぜなら保守は、いかなる「主義」にも与しないからです。「主義」という表現が、保守においては成り立ちえない。

というわけで、自ら「保守主義」と名乗る人には、懐疑の目を向けたほうがいい。その人たちは、「保守」という政治思想の何たるかを、根本的に理解できていない人だからです。

「保守」と「頑固おやじ」は似て非なるもの

「保守」と「頑固おやじ」は、似て非なるものです。

たとえば日常会話で、「あの人は保守的な人だから」とか、「うちの夫は保守的だから」、と言います。この場合、「保守的」ということばには、「頑固で融通が効かない」というニュアンスが含まれています。しかし本来の保守は、そうではない。

保守は、急激な社会変化(≒革命)を嫌うだけであって、暫時的な社会改良は否定しません。人間の社会が進歩するにしたがって、人間の生活様式がそれにつれて暫時的に変化していくことを、許容します。

人間にとって本当に切実に大切なことが変わってしまうことに対しては、保守は、怒りを表しますそれに対して頑固おやじは、社会や生活様式が変化しても、その変化を拒みます

たとえていうと

たとえていうと、文明の利器であるクーラーを買うお金があるのに、クーラーを買わない人は、頑固おやじです。コモン・センス(常識)を持つ保守は、クーラーを買います。

ですから保守は、なじみの酒屋が、扇風機だけではなくクーラーを併設することは歓迎します。けれども、徳利と猪口を変えたことには、がっくりします。なぜなら酒は、人間にとって必要不可欠な生活の潤い(美)だからです

有名な保守の人のことばをひくとよくわかる

ですから、たとえば、孔子が「こんなものが徳利か、こんなものが徳利か」と言ったのは、そのためです。徳利と酒にこだわるのが、保守です。

また、小林秀雄が、「最近は、酒を樽を売らないでしょう……文明国で酒を大切にしないのは、日本人くらいです」といったのも、小林秀雄が、本当の保守だからです。

最後に三島由紀夫が、『豊饒の海』を書いて、日本人の深層意識の中にある「醜悪」と「美」を対比して描いたのも、三島が「天皇主義」という保守だったからです。

保守と「美」は相補関係にある

小林秀雄も三島由紀夫も、「美」について論じました。ホイジンガは『中世の秋』で、ブルクハルトは『イタリア・ルネサンスの文化』で、生活様式と美の関係を捉えています。保守の人は美について語ることが多い

それに対して合理的設計的思想をもつ急進派は、マシーナリー(機械的運動)を主眼に据えるので、美の問題を語りません。大きくいうと、このような傾向があります。

たとえば天皇制を例に挙げると

端的な例でいうと、三島由紀夫は「天皇主義者」でしたので、設計主義的な「天皇機関説」を毛嫌いしました。天皇を機関(オルガン、オーガニゼーション)と(全面的に)とらえる考え方は、いかにも設計主義的です。この点、三島由紀夫と急進革新との違いが、鮮明に表れるところです。

経験主義のイギリスで開花した社会改良思想

話を元に戻すと、イギリスは経験主義であるにもかかわらず、そこから、「空想的社会主義」(と言われるもの)が生まれました。これは、イギリスの思想風土である保守と、社会改良という考えの間にいるので、「美」の問題を残しています。典型的なのは、ラスキンとモリスです。

「保守的」という侮蔑的ニュアンスの事例

もう一つついでに、この小見出しについて、話しておきましょう。先ほど「うちの夫は保守的な人だから」という表現を事例として挙げました。

ここで、「うちの夫」とは、何を指すのでしょうか。それは次のことを意味します。すなわち、

「結婚したときは、好きで好きで仕方がなかったけれど、今になって考えてみると、なんであんなに好きだったのか、わからない。熱病にでも浮かされていたのかしら。うん、そうとしか、思えない。」

これが、「うちの夫」に秘められた、意味です。

夫婦における愛情の非対称性

それに対して男性の場合は、女性がこのように思うほどには、妻に対して「がっくり」するわけではありません。むしろ、結婚当初と変わらない気持ちでいる場合が多い。むしろ、だんだんと愛着が増えていく(私の場合は)。もちろん、結婚当初の「愛情」ということばとは違うニュアンスの感情になっていたとしても、その落差は、妻ほどではない。

私はこれを今、「夫婦における愛情の非対称性」と名づけます。

保守という意味を踏まえたうえで、本題に進む次回

というわけで今日は、「保守」「保守的」「大陸合理主義」ということばについて、述べてきました。次回は、これを踏まえたうえで、本論たる「社会はいかにして『創生』されるか」について、述べたいと思います。

そこでは、大陸合理主義的な西洋二分法の考え方(ホッブス)と、東洋的考え方(吉本隆明)の思考を、援用しようと思います。

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