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アフター・コロナの社会哲学(3)-社会と世界のちがいとは何か-

社会と世界のちがい

この論考も、中盤に入りました。今回は、社会と世界のちがいについて一緒に考えたいと思います。

わかりやすくいうと

社会と世界のちがいを、直観的にわかりやすいように、比喩でいうと、次のとおりです。すなわち、「パラレル・ワールド」ということばはありますが、「パラレル・ソサエティ」ということばは、ありません。これをヒントにして、社会と世界のちがいを考えたいと思います。

社会とは肌触りのあるもの

社会とは、わたしたちが見て聞いて肌で触れる、現実のなまの生活空間のことです。たとえば、となりに愛する人がいる。少し歩くとなじみの店がある。そこで好きな食事をしたり酒を飲む。具合が悪くなれば病院に行ける。このような、肌触りのある、生活の場の総称を「社会」と言います。

世界とは想像の中にあるもの

それに対して世界とは、人間のなまの肌感覚を越えたものです。人間の想像力のなかにあるものです。そして、そこにしかないものです。地球儀を指して「世界」と呼びます。間違っていないともいえるし、間違っているともいえます。なぜなら地球儀という世界は、わたしたちの想像のなかにあった「世界」が現実化したものの一つにすぎないからです。

別言すると

社会と世界のちがいを、べつの言い方で表すと、次のとおりです。すなわち社会は、わたしたちの理性でとらえきれる範囲に在ります。それに対して世界は、わたしたちの理性を越えたところに在ります。

リスクと不確実性/社会と世界

これまでの連載をとおして、「リスクと不確実性のちがい」と「社会と世界のちがい」を考えてきました。さてそれでは、この二つ(合計4つ)のことば(ターム)は、お互いにどのように関連するのでしょうか。次に、それを考えたいと思います。

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