記事一覧
何となくちゃんとした文章を書かないといけない気のする場所で、「それでも簡単な文章を一筆」というのは中々難しいものでありますね。記事一覧にぼんやりしたつぶやきが並んでしまうの、正直申し訳ない。
やっぱり「不祥事即お蔵入り」は考えれば考える程誰の得にもならないが、一体誰のためにあるんだ。芸能事務所の内部の規律なんか会社の中でやってくれ、表に出していかんのはそっちの方だ。
何というか、ツイッター程ばかすか書ける気がしないのは慣れなのか、スレッドで繋げることができない所為なのか。長文になるなら記事書けばいい話ではあるんですが、ツイッター気楽いんですよね。
使ったことがないのだけど、Twitterがあまりの大惨事なので代替手段を模索することになりました。テステス。
「どうする家康」:CGの戦で何が悪い。
合戦は戦国大河の華である。
勝敗で運命が変わるドラスティックなイベントであり、幾多の命が果てる緊張感がある。
普段と違う鎧甲という華やかな装備をまとい、馬にも乗る。
究極の非日常である。
さて「どうする家康」にも当然戦はある。むしろ多い。
そして感想で頻出するのが「CG」である。
曰く、「作り物である」「強調が安っぽい」「ゲームだ」。
どうしても否定の方が目に立つようなのだけれど
「どうする家康」:アイドルだからできること
なんてったってアイドルなのである。
一般にアイドルの示すものは、若さである。
まだ役者・歌手・ダンサーその他の専門職に特化しておらず、どれでもなくそれだけにどの挑戦もする。
技術の足りない分を一生懸命さで補う。そのうち伸びた才能でプロになる。それまでの短い間を楽しむ、そういう存在である。
そしてまれに、その中でずっと「一生懸命」を売り続けられる人がいる。確かにどれに特化している訳でもない
「鎌倉殿の13人」:大河という世界について
1:物語が広過ぎる
困ったな、と思うのです。
最終回まで全部見た、それぞれつらいしんどいと言いながらどのエピソードも興味深かった。私は放送中に7本も、モチーフだったり事件の位置づけや意義を考えて記事も書いている。
にも関わらず、全部見た後で改めて「全部」のことを感想にしようとすると、どこに焦点を当てていいものか納得のいくポイントが見つからない。
小四郎義時の死と共に終わってしまった物語は
「作りたい女と食べたい女」:食事のように、当然に。
1:「つくりたい」と「たべたい」はWin-Winか?
沢山作りたいのに小食である野本さんと、いっぱい食べたい春日さんの出会いから物語は始まる。
いかにも互いの利害が一致した幸せな出会いに思える、が少し待って欲しい。
「つくりたい」と「たべたい」は当然に引き合う話だろうか。
作中の野本さんのモノローグを引く。
「自分が好きでやってることを全部男のためだって回収されるの、つれーなー……」
料
「守銭奴 ザ・マネー・クレイジー」:喜劇とは何か。
1:「喜劇」とは。
「守銭奴」は17世紀フランスでモリエールの書いた喜劇である。
確かにアルパゴンの常軌を逸した吝嗇は滑稽と言える。
言えるがしかし、怖い。
ビニール素材の中で柔らかく拡散する寒色のライトは、アルパゴン邸が氷の館であることをイメージさせる。
ストーブの赤、フロアスタンドの暖色の光はすぐ消され、主であるアルパゴンは無駄が行われていないか、自分の金が盗まれていないか、頻繁に
「スカーレット・プリンセス」:違う視点を得る幸せ
1:違うことがある意味は。
「スカーレット・プリンセス」の、「桜姫東文章」のテキストを舞台形式まで美しく翻案された演出の美しさは、既に2020年のルーマニア・シビウ国際演劇祭のオンライン配信で見たときに述べました。
そして念願の観劇を果たし、改めて考えることがありました。
プルカレーテの演出によって整理と再構築を果たした「スカーレット・プリンセス」は当然ながら歌舞伎で見る「桜姫吾妻文章」と
「鎌倉殿の13人」:終盤の義時と史劇の役割
1:正直、しんどい。
原因は薄々わかっている。実朝と義時、政子の確執である。
ちゃんと鎌倉時代を学問として学んでいない私のような人でも、近年実朝の再評価が進んでいるのは知っていた。
繊細で実権を握られた哀れなオタク・貴族趣味の虚弱なうらなりビョウタンではない、ちゃんと政治的意欲もあり、朝廷とつきあう上でその歌才は相手の言語で話せる外交能力としても生きた。
苦労はあったろう、軋轢もあったろ
「鎌倉殿の13人」:善児について考える
1:キリングマシーンの死について
善児。
史実にモデルのないオリジナルキャラクターであり、1話で頼朝と八重の子千鶴丸を川に沈めて以来、主の命に応えて現実離れした動きと殺陣とで数々の暗殺及び不審死を鮮やかに彩ってきた。
32回、33回と頼家の強制引退から暗殺までの道のりとそれに伴う義時の変化と合わせるように、善児の衰えと死が導かれてきた。
善児は感情のない声でものを言う、無情のキリングマシ
「鎌倉殿の13人」:No.2の死について
梶原景時が死んだ。
ドラマが始まって以来、もう何人もが非業の死を遂げているのではあるのだけれど、やはりこれはひとつのターニングポイントなのだと思う。
頼朝が死んだことは勿論物語を大きく動かす要素ではあるものの、むしろ頼朝という人そのものを送った感じであり、これから時代が動いていくひとつの予感という程度に留まった。
これに対し景時の死は、頼朝の死に始まる混乱が穏やかには収まらないことが確定し
鎌倉殿の13人:27回を見る前に。
頼朝が死んで、いよいよドラマのタイトルにもある「13人の合議制」が始まる。
この期に及んで改めて思うのです。
幕府、というこの先1868年の明治維新まで至る政治形態は、まだできたばかりだということ。
前例がない組織が、唯一の頼りである創建者を失った。
現代から振り返る目には当たり前の権限移譲ができる訳がない。
「征夷大将軍」という官位と治安維持の権限を得て、全国の所領運営を委任された形
「鎌倉殿の13人」:源頼朝について考える。
1:ひどいけどつらい。 「鎌倉殿の13人」15回「足固めの儀式」。
衝撃の上総広常謀殺。頼朝が御家人の結束を固めるための、──引いては御家人の支配を強めるための、見せしめとして衆人環視の元で殺される罪無きNo.2。
頼朝の仕打ちは残酷であり、冷酷である。
しかしふと、もしかしてこれは頼朝にとって、第二の旗揚げとでも言うべき局面であり、これまで雑な扱いをしては御家人の信望を無くしていく頼朝の描