記事一覧
THE 日記(11/6 - 11/9)
11月6日(月)
低気圧。朝、窓から外を見やると路面がびしょびしょに濡れていた。湿度が高く、GERRYのマウンテンパーカは必要ないくらいだった。
先週、区内の指導教諭に助言を請うた結果、「勝手なこと抜かしてんじゃない世間知らずが」という旨を言われてからというもの、一気にやる気は失せ、もう別にどうでもいいや、という心境になっていた。若手教員が「今日は授業見てくださってありがとうございました」と
THE 日記(10/30 - 11/3)
10月30日(月)
朝から老害ババアのタイピングの音にイライラした。
老害ババアの検査のやり方があまりに不備があり(おそらくまったく準備していない)、検査中、何度も入って是正した。あ、はい、みたいな、知ってます、みたいな態度がイライラする。私は昔主任に言われた通りのことを、主任の魂を身に宿しながら言った。疲れまくる。
午後は年休を取った。早急に家に帰った。散らかっていて、ベランダの窓を開け
THE 日記(10/23 - 10/27)
10月23日(月)
入級相談。障害の理解が、特性の理解が不足しているなと感じた。そして私が話したいことではなく、保護者の話をもっと聞くべきだった。
そしてもう一つ。課題だ。私は最近「特性の発見のためのチェックリスト」を作っているからか、その後の、「特性に合わせた指導法」が不明確だなと思った。だからこそ保護者にうまく説明できなかったんだと思う。
朝からとても嫌な予感がしていて、土日の微妙な
THE 日記(10/16 - 10/20)
10月16日(月)
久しぶりの入級検査の日だった。何というか、担任レベルの面談で色々解決できたろうに、と思った。徒労に終わる。仕方がない。家族の、子育てのしにくさが、「心配の種」になり、やがてそれが「もしかしたら障害かもしれない」と進んでいっているのでは、と感じた。なかなかそこに入って、助言もしにくいが、何か打開できる工夫を提示して、お断りしようと思う。一日しか休みがなかったので怠く、風邪の最初
THE 日記(10/9 - 10/14)
10月9日(月)
三連休。まるで憑き物が取れたような休日だった。とにかくさっぱり。校内研修の任が終わり、さっぱりしていた。良かった。頑張った。次はまた1ヶ月後だ。さらに規模が大きくなる。頑張らねばならない。
10月10日(火)
指導。なかなか発音が治らない子の指導に変化をもたらせるために色々手を使う。次に指導した子は、いつもと様子が違った。しかし後からスクールカウンセラーの方に話を聞けば、原
THE 日記(10/2 - 10/6)
10月2日(月)
ズル休みをした。
10月3日(火)
ズル休み明けの一日は、午前中はタスクをひたすらこなした。午後から出張だった。
10月4日(水)
開けていた窓から大雨が降る音がして、目が覚めてしまった。3時半ぐらいだった。また寝て、気づくと5時だった。あまり眠れていない。
10月5日(木)
ボルダリングシューズを忘れて、「ごめん、忘れてしまったよ」と伝えると、「いいよいいよ」と通
THE 日記(9/25 - 9/29)
9月25日(月)
朝、とても肌寒かった。Tシャツで外には出られない気温だった。アークテリクスのマウンテンパーカを着る。電車は暑くてすぐ脱いだ。
放課後、2年の学年会に臨時参加し、不登校の子について情報を共有した。私はすぐ「特性」に原因を求めていた。無論、特性を理解した上で対応策を考えるつもりだった。子供のせいにしたつもりはなかった。しかしなんだ、この違和感は。
学年主任は「すぐ決めつけず、
THE 日記(9/19 - 9/24)
9月19日(火)
私はまだまだ研究授業を見ても、「んだよ、コレは」と怒りをあらわにしてしまう。そういう幼児性があるなぁとつくづく思う。
今日みた授業は、ただの教材の紹介だ。俺は、そうなりたくない。ダサい。あれは、「教師のためで、子どものためではない。」と強く感じた。というかさ、子どもが本当に可哀想だなと思った。あんなつまんない思いをして、思わされる90分なんて、最悪じゃないか。
「思いつきま
THE 日記(9/11-9/15)
9月11日(月)
職員室で仕事をしていた時、特別支援教室の教員が保護者の文句を捲し立てていた。うるさかった。非常に腹正しくて、「⚪︎⚪︎さん、うるさいよ」と言うギリギリだった。その場を去って、イライラを回避した。なんだかな。文句言う暇あるなら、保護者に変わってもらうにはどうしたらよいか頭を働かせろよ、と思った。
9月12日(火)
忘れた。
9月13日(水)
老害ババアに腹が立った。「速達
THE 日記(7/10 - 7/16)
7月10日(月)
この土日は、昼からだいたい16時まで、試験勉強をしていた。疲れた。準備があまり間に合っていないことを家族のせいにしようとしている時点で不合格だろう、と思った。でも、受かりたい。
朝、支援教室の理解啓発があった。正直、「独善的だな」と思い、ピンと来なかった。教室がどこにあって、こんな指導をしていて、という側だけの説明だった。これを子どもが聞いて、さらに、自己肯定感は低くならな
THE 日記(7/3 - 7/6)
7月3日(月)
朝、出勤しようと電車に乗り込んだら、スマホを忘れていることに気づき家に帰った。もう自律神経がぐちゃぐちゃになり、年休取って休んだ。最悪な一日だった。
7月4日(火)
嫌な出勤だった。昨日ズル休みしたからだろう。
午後は研修だった。帰りはYMOを聴いて帰った。夜はなんだか具合が悪かった。
7月5日(水)
「水曜日に通級だってさ、どう、行く?と私が言ったら、「やった!嬉しい
THE 日記(6/26 - 6/29)
6月26日(月)
実質一日しか休んでおらず、朝は屈辱的な目覚めだった。吃音の本を読みながら、満員電車を耐える。自分と、吃音の六年生の子たちのことを重ねて読んでいると、ぐっときた。
午前中は1枠指導があり、その後は検査だった。私が隣の教室で検査を見ており、「こうですね、あぁですね」と言って、そばにいた老害ババアは無反応だった。もしも自分だったら、と考えた。「あぁ確かに」とか、「なるほど」とか相槌
THE 日記(6/19 - 6/24)
6月19日(月)
年休を取った。今週は6日間あるので、年休を取ることで、5日間に振り戻したのである。計画的間引きをした。
朝、副校長に電話をして、終えた瞬間は、この世の幸せを一手に噛み締めるみたいな気持ちになったが、だんだんと暗くなっていった。休んだはいいものの、あまり心は休まなかった。やんわりとした腹痛が一日中続いた。
6月20日(火)
出勤する。しかし、なかなか朝は起きれなかった。目は
THE 日記(6/12 - 6/16 )
6月12日(月)
1日中気圧にやられていた。勤務後半は、内臓にも低気圧が響いていたようで、腹痛がした。すぐに帰った。一日休みたいくらいだった。昨日は誕生日だったんだ。でも何もなかった。一日経って、悲しくなった。
6月13日(火)
朝から嫌な空気のまま家を出た。家を出ると小雨が降っていて、嫌な気分になる。駅に着くと青梅線は大幅に遅れていて、更に嫌な気分になる。
「午後の研究会、めちゃくちゃや
THE 日記(6/5 - 6/8 )
6月5日(月)
☑︎自分の実力に立ち返るために、何か元々ある実践をまったく同じように踏襲「してみる」。すると、定点観測のように、自分と実践の立ち位置を点で把握できる。この反省の行為こそ、自分の実践を一歩進めることができる。
今朝のボイシーのリマインド。
朝はこうして、なるべく情報のインプットandアウトプットに使おうと思った。画像検索じゃなくて。
午前中は指導主事が来たのでその対応だった
THE 日記(5/29 - 6/2)
5月29日(月)
代休。
靴を買った。
5月30日(火)
朝から定期を忘れて気持ちが萎えた。
起床したら、「なぜ母親の尻拭いをしないといけないんだろう」と思った。
朝の通勤ラッシュの中央線で聴いて、泣きそうになった。めちゃくちゃ良い。アジカンにのんさんの歌声がちゃんと乗ってる。「最強なんだ、私は」のサビが一番好きだった。
p2を取り、15時半に最寄駅についた。ガス抜きだった。