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THE 日記(6/5 - 6/8 )

6月5日(月)
☑︎自分の実力に立ち返るために、何か元々ある実践をまったく同じように踏襲「してみる」。すると、定点観測のように、自分と実践の立ち位置を点で把握できる。この反省の行為こそ、自分の実践を一歩進めることができる。
 今朝のボイシーのリマインド。

 朝はこうして、なるべく情報のインプットandアウトプットに使おうと思った。画像検索じゃなくて。

 午前中は指導主事が来たのでその対応だった。あまり準備していなくて、ぶっつけ対応だった。指導主事と話していて、教室主任として話すことができた。

 あまり好きではない先生から「○○先生、○○さんが漢字テスト20点から50点に上がりましたよ。」と報告があった。嬉しかった。子どもの成長を一緒に喜べるのは嬉しい。

 在籍校訪問だった。
 結論は、「特別支援教育の視点がない老害ババアジジイは早く朽ちろ」である。
 とにかく授業がつまらない。うすい指示で、うすい声かけで、全く伝わっていない。しかし肝心の教師は、「やる気がないわけじゃない。意欲はある。でも。」と基本スタンスは子どものせいだった。「うるさい子がいる」のであれば、その原因は何か、きっかけは何か、手立てとして何を講じるか、全くのノープランだった。基本はやっぱり授業の面白さなんだと思う。

 以下、くそだな、と思った点
☑︎基本スタンスは子供のせい、「あなたたち、3歳?3年生?」という言葉を放ち茶化す姿から
☞これに合わせるように笑ってしまった自分が情けないし、もう絶対にしない「先生でもそれはあまりに子どもの気持ちを傷つけますよ」と言えるようにしなくてはいけない。担当者として。

☑︎指示が聞き取れない、声が小さい、惹きつけが甘い
☑︎支援が必要な子に対して、口調が強い、だから周りもその子を差別する風潮が出来上がる
☑︎「なんで通級してるのか?」「退級は」など、言葉の端々に通級を見下す態度がある
☑︎こいつの授業が楽しくない(ステレオバカ化石タイプ)

 以上が、そのババアのパーソナルな問題点である。そして、
☑︎チックが出てる、足をバタバタさせている(☞それは平行感覚、前庭覚に刺激を入れているだけ、チックではない)
☑︎視力が悪いから、授業に集中できないんじゃないか?だから前の席にしている
(☞視力が良くなる≠授業に集中する、何の関連性もない。むしろ聴覚的短期記憶の苦手さが集中できない状況を作っているだけ)

 以上が、ババアの化石頭でしか考えられない不勉強の表れである。
 誤解を解くしかない。何か紙に書いて、引き継げるようにしなくては行けない。このまま行くと本人は、というかあの環境では自己肯定感が育みづらく、欠損感を持って生活しなくてはならず、いずれ学校から足が遠くなる。友人関係も広がらないままだ。一言も、喋っていなかったから。担任も、声をあまり聞かないらしい。

 挙げ句、「目が悪いから、話を聞けないんじゃないか。だから前の席にしたんだ。」「私が視力検査をした。」「私は教務だが」と、とにかく「私が」が強かった。以前ワーキングメモリの研修で学んだチェックシートでチェックしてやった。それを渡すと少し怪訝そうな顔をしていた。評価されるのが、年下に、嫌だったのだろう。うるせぇと思いながら見解を述べ、誤解を解こうとした。しかし、うまく伝えられなかった。共通言語で話せなかった。

 私ができることは、

☑︎文字化、イラスト化し、現状を報告し、次年度以降も継続して支援されるようにする
☑︎通級なめんなや、成果を毎週示す、これだけ楽しく学習し、これだけ楽しく話して、学びを駆動しているんだということを連絡帳でめちゃくちゃ書く、なめんな慢心ババア
☑︎漢字指導は、全く入っていなかったことを伝え、そこをさらに進化させていることを伝える
☑︎あぁいうババアは今後も出現する。対策を打つ。馬鹿化石頭でも分かるように伝える技術を磨く。

 以上、週初めのモヤモヤだ。

6月6日(火)
 昨晩は風呂の中でモヤモヤを打ち込み、寝た。朝はなぜか飛び起きて起床した。

今朝のボイシー
☑︎実践を“味見”しただけで終わるのはNO
☑︎“原理原則”“ホームポジション”に立ち返る

 吃音についての研修だった。読んでいた本を裏付ける、蓄えた知識を整理し強化する、そんな研修だった。先生の熱が、講演というより授業だった。
 最後の質疑応答は、手を挙げなかったが、帰りの電車で、こんなふうに手を上げれば良かったと思った。

 「先生、本日はありがとうございました。質問ではなく、通級担当の精神的な部分での悩みなのですが、よろしいですか?
 先生が今おっしゃった、小学校の文化に勝てない時があるんです。
 いくら説明しても、啓発しても、理解してもらえない。年齢が高い先生に、こんな壁に悩まされることが多いです。
 自身の啓発の仕方、わかりやすく説明する技術を磨けば良いと思い、また勉強し直します。それでも、どうしても理解してもらいたいからまた説明します。でも、この繰り返しが多いんです。自分の力量の問題なんだと思います。でもこの会場にいらっしゃる先生で、こうやって理解してもらえない悩みを抱えている先生は少なくないはずです。
 どのようにモチベーションを保てば良いのでしょうか。」

と。

6月7日(水)
 覚えていない。

6月8日(木)
 1枠の子。今週在籍学級を見た児童だ。いくぶん気合いが入る。その子は、いつも通り自然な感じで入室して、いつも通り話し始めた。拍子抜けしたが、私が学級を見に行ったのに驚きもしたが、嬉しいとのことで安心した。
 指導。楽しく学ぶことの意義をお母さんがわかってくれて良かった。(やや半信半疑だったので)あとは、担任だ。指導後の連絡帳の筆に自然に力が入った。
 とにかく、その子が「学級での不安感」を彼女なりの言葉に置き換えて言えていて、安心した。だからこそ、ここで毎週楽しく学んで、自信に繋げたいところだ。

 午前中は指導案検討。今回のはあまり見切れておらず、見たが、8割方完成していてよかった。「いいですよ」と伝えると、「ありがとうございます。褒められると嬉しいですね。」と言っていた。そうなんだ。私にもそれが分かるし、その一言が、エンジンになって駆動し続けることを知っている。「みんなで作っているみたいですね」という一言に私はその時反応しなかったが、「たまたま今回あなたが指導者ですが、だからといって指導者任せにするわけではないです。ここの誰かが指導者に変わっても、その指導案の意図がわかり、イメージが湧き、もし私だったら、という視点でみんなで指導案を作っていきます。この過程に、多分みんながそれぞれの学びを吸収して成長するチャンスがあると思う。だからこういうやり方をやっています。」と、付け加えるとよかった、と帰りの電車で思った。

 吃音の六年生。検査の時には、まったく吃音を出さなかった。出そうとしなかった?と聞いてみると、「ちょっとそうかも」と言っていた。会話の中でコンスタントに難発があって、思わず話の間を遮ってしまうような間もあり、これは担任の先生に感謝だなぁと思った。同時に、私の判断はやはり甘かった。
 だからこそ気合いを入れて、初回指導から吃音を話題にして、最大のポイント「吃音を悪化しないように連発に戻さなくて」という点を話した。果たして、これで良かったのだろうか。最後彼の表情は、入室時より重かった。良かったのだろうか。関係もないままに、話したが。うーん。
 私も書籍にさらに当たろう。誤解が生まれないように、指導が独りよがりにならぬように、ノートに会話の内容をまとめて保護者と共有しようと思った。

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